一行 感想

最後の一行小説大賞の感想です

伊藤翼(いとうつばさ)も参加しました。告知もしてさっそく作業にとりかかります。参加するにあたって、北海道札幌市の開花時期と散る時期を調べました。小説のはじまりは5月1日のGW期間の話かな?とここからスタートしました。イトーダーキさんの好きな曲はサカナクションです。審査員とおなじ頭になりたくて。イトーダーキさんは、サカナクションの作詞にあこがれているようなエッセイをたまに書きます。だから、サカナクションみたいな一行をかけばいいのかなぁなんて思いました。浅はかです。傾向と対策を練るってこんなかんじ。ズルばっかりで自分が嫌になります。サカナクションのインタビューをあさりながら、いろいろ聞きました。サカナクションの山口一郎さんへの理解を深めます。グンと深く潜って息をするのを忘れる感じです。最後の最後に新宝島をきいて泣きました。山口一郎さんは、新宝島を作詞するにあたり、手塚治虫の情報をあさったそうです。ちょうど、わたしの母校は手塚治虫の出身校です。わたしの母校には「思い出ギャラリー」という場所があり、手塚治虫のマンガがほぼ全巻そろっています。その記憶とリンクしました。まずは、小説を頭の中でつくりました。完成したら、始めの1行を置きます。「純白の桜の花びらがすべて散ったころ、三人の女の人生が始まるはずだった」そして、最後の一行を置きます。2日目に旦那に報告しました。企画の趣旨を伝えて、すでに6作品できているわたしの、6文を伝えました。旦那が唯一反応した一文がありました。「ニュースのアナウンサーが一人目の名前を読み上げる前に、僕はチャンネルを変えた。」ずっと、A4用紙とペンを手元にだして頭の中を書き出します。小説のアイデアを書き続けます。小説というかショートショートの種です。これを30回~50回くりかえしました。応募するときは「正社員パンプキン」をつかいました。審査員にフラットな目線で審査されたかったからです。もしかして、審査員はnoteのプロフィールをチェックするかもしれません。警戒しました。「サイトマップの人」って怪しくない?どうせ、だれもわたしのnoteなんて、見てないだろうし、見たとしても、忘れてるだろうし、まぁいいか。なんて当時は思っていました。おともだちに「見覚えのある名前パンプキンあれは、おともだちのような気がした」と バレマシタ。最初は、「遺言」というテーマに集中していましたが、5日目ぐらいで「遺書」にすり替わりました。これは、わたしの失敗です。遺書に関するテーマでひたすら送ってしまいました。反省中です。最後の一行をつくるときは、キャッチコピー寄りにしました。本来ならば、純文学っぽい、情景の美しさを競う大会に思えますが、イトーダーキさんです。イトーダーキさんはキャッチコピー畑の人です。騙されないぞと思って「情景を美しさを表す一行」は応募しませんでした。かわりに(自分が思う)キャッチー寄りに言葉を置き換えて応募しました。あと、審査員に女性がいるとぽろっとスタエフでおっしゃられていたので、女性だけに分かる単語を入れてみたりもしました。「ヌン活」とか「香水」とか。ヌン活は、「アフタヌーンティーのお茶会」を示します。しかし、自分らしくないので、うまくいきませんでした。一行を作り続けることで、自分らしい得意分野をみつけることができました。うれしい。遺言なので、ひとまず、頭の中でいろんな死を連想しました。(レオンさんの小説で、べつに殺さなくていいんだねとあとになって気付きました。)人が死ぬ話をぐんぐん、つくっていると、とっても苦しくなりました。途中で、「死ぬ」よりも「生きる」を強調すればいいんだね!と気づきましたが、時すでに遅し。ヤダヤダっとなりまして、最後の3日間は応募する気力がでませんでした。継続力なストイックは精神を病みがちです。「あ、もうできないかも」と感じて、その熱を「いかにして最後の一行小説大賞を獲るか、傾向と対策を練ってみた。」の執筆にそそぎました。「死ぬだけじゃなくて、生きるを強調するんだよ!」と、大会に参加する方々への他の人を応援するメッセージを遺しました。「あとはみんな頼んだ!」と。今思えば、この記事そのものが遺言だったかもしれません。残りの体力を1点に集中させて、最期に、だれかに思いを託す。これが遺言な気がします。結果発表はうれしかったです。一次選考突破作品できてよかったです。それにしても、まさかこれが一次選考突破作品するなんて思っていませんでした。びっくりです。


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