以前、こんな記事を書いた。 その後、バレー部の副顧問をやらせてもらうことになった。 今年から事務職員を対象に新しく始まった副顧問制度に自分から手を挙げた。 去年までは資格試験の勉強に追われていたので、ちょうどいいタイミングで始まった制度だった。 自分に何ができるだろうかとも考えたが、迷ってるうちにやってみた方が早いと思って書類を提出した。 選手たちはみんな自分より上手だし、本格的にコーチングをするにはまだまだこちらの実力不足。 だから、練習を見に行ってもほとんど指導したり
中学高校の頃のことはあまりよく覚えていない。 中高一貫の6年間は、勉強とテレビゲームをしてただけで、部活で汗を流したり、友達とワイワイ遊んだりすることはほぼなかった。 別に辛い思い出があるわけではない。 でも楽しい思い出も同様になかった。 暗黒時代と呼ぶにはあまりに穏やかな時間だったが、それでも失った経験や機会も大きくて、いつのまにかあまり触れたくない過去になっていた。 今なら自分次第でもっと楽しく過ごすことはできただろうなってわかる。 親の勧めで入った学校で教師の勧める
いよいよ4月がやってきた。 僕は大学で事務職員として働いているので、4月といえば新入生達がやってくる賑やかで慌ただしい季節だ。 大学の事務と一口でいっても部署によってその内容は様々だが、僕は日々窓口で学生対応をしている。 学生達の成長を近くで見ることができるのは大きなやりがいであり、この仕事の醍醐味かなと思っている。 キャンパスを行き交う学生達を見ていると、まぶしいほどにキラキラしていて、本当に可能性そのものだ。 もちろん立場上、たしなめたりすることはあるけれど、基本的に
最近になって、両親の顔を見られるのはあと何回くらいだろうとふと思うことがある。 そんなふうに言うと、まるで大病でも患っているかのようだが、両親は二人とも至って健康で元気だ。 それでもやっぱり歳をとったなと感じることは増えた。 家を出て長くなると、ついつい親のことを忘れて過ごしてしまいがちになるけれど、なるべく時間を見つけて実家に帰るようにしている。 とはいえ、実家に帰ったからと言って特段何かしてあげるわけではない。 車を手放した両親を電車では行きにくいショッピングモールに
バレーボールが好きだ。 観るのはもちろん、自分がやるのもすごく好きだ。 バレーボールを始めたのは、大学に入ってから。 真面目に練習はするけど、大会に出たりはしないちょっと変わったサークルだった。 それでも初心者大歓迎な雰囲気が自分にはとても居心地がよかった。 なによりひどい運動音痴ながらも、みんなでボールをつなぐのは単純に楽しかった。 自分のバレーボール生活のスタートがここで本当によかったと思う。 その後も就職や引越しの度にバレーボールができるチームを探した。 気づけば自
実はここまでに三度転職をした。 多い方だと自覚はしてるものの、今となってはそれぞれに意味がある転職だったなと感じている。 一番印象に残ってるのはやっぱり最初の退職だ。 5年目で配属された部署は、人間関係が最悪だった。 毎日職場に着くと心臓がドキドキしたし、暗い顔でため息ばかりついていた。 金曜の夜から、月曜の仕事のことを考えて憂鬱だった。 週末は何も考えたくなくて、家で黙々とミサンガを編んだりもした。 そして、いよいよ続けることができなくなって、退職を決めた。 最終日もひと
振り返れば、ずっと特別なものに憧れていた。 言い換えれば、人と違う何かを持ちたいと考えていたのだと思う。 親の勧めで入学した学校では、特に部活に打ち込むこともなく、かと言って友達とワイワイ遊ぶこともあまりなく。 明確な目標のない勉強と息抜きのテレビゲームという、なんとも味気のない生活を送っていた。 その結果として、取り立てて秀でたもののない凡庸で中途半端な人間が出来上がった。 (顔ももちろんカッコよくない。) この中途半端さこそが自分を飲み込むコンプレックスの正体だ。 2