ひとことはなし16

2022年5月12日

福山から帰って、遅いお昼を頂いていた時です。
妻が「OOさんがさっき参拝に見え、これを瓦代に御供してください」との事です。と、僕にその御供を持ってきてくれました。

で、その夜、親方から電話が入りましたので、ついでに
「客間の件ですが、色々追加工事が入りましたよね。最終的に、あといくらお支払いすればいいのでしょうか」と聞きました。
で、その額を聞いて驚いたのです。

なんと、追加工事費として必要な額は、先ほどの方が御供してくださった額とぴったりだったのです。まるで神様が
「おい会長。客間瓦代は、これだけ足らないから、今日それを与えてやるから受け取れ」と言われた感じがしました。

僕としては、門の費用は既に御守護頂きましたが、それには手をつけたくなかったのです。

「不思議は神の働き」とは聞く話ですが、全くその通りだなあと感服したのです。

初代や歴代の伏せ込みの理だなあ、と。初代や歴代の伏せ込みは桁外れでした。その理だなあ、と改め思います。

天理教を信仰していて「伏せ込み」とは聞きながらも、出来る人、出来ない人があります。
それがどうこうは別として、少なくとも、親おやが伏せ込みをしていれば、子供はいざ、という時に大丈夫なんだなあ、と分かりました。

「足らねばもらう。余れば返す。差し引き勘定神がする」の通りですね。

最初親方も心配してくれました。
「00さん、大丈夫なんですか?本当にやるんですか?」と、念押しされた時は言葉がありませんでした。が、
「神様がある、心配いらん」と、自分に言い聞かせ、お金のない中着工。

神様が「見てはおれん、ほってはおけん」と働いてくださったので、皆さんが動いてくれたのんだなあ、と思います。

どうぞ神様信じて参りましょう。

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