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宗教家日誌16

おはようございます。今日は7月17日
教組年祭まで、あと558日。

あと558日の間にやらなくてはいけない事がある。
それは、神様との約束事を達成すること。

この約束は、7年前にした。
理由は、理の親の一言がはじまりだった。
その時思った。
「理の親はそうしてほしいのか」と。
「ならば俺がそれをやろう」とその時に決めた。

しかしだ。現実は甘くない。
たすけの道筋が軌道に乗るか、という時にコロナ禍になった。
又、宗教が絡む事件もあった。
人々の宗教離れはすごいものがある。
「無理もない」と思った。
何度も挫折した。ただ「もうやめた」とはならない。

理由は神様に約束したからだ。

で、約束事の内容だが
「60名の人々をたすける」だ。
60名にこだわった。

「たすける」という形は様々だと思う。
例えば、これは現実にあった話。

以前、自転車で走っていた。
信号待ちをする為止まると、地面にスマホが落ちていたのだ。
拾い上げるとスマホカバーがされていて、まだ新しい。
その時思った。

「これ落とした人めちゃくちゃテンパってるだろうな」

すぐ、私のスマホで警察署を検索。近くにあった。

そこは交番だったが、駐在している人がいた。
「これ落とし物です」と差し出した。
「スマホですね。どこで拾得しました?」
そこから色々尋ねられた。すると
「ガラッ」と
交番の戸が勢いよく開いたのだ。
見ると青白い顔をした男性が立っていた。

「スマホを落としたのですが」が第一声。

「あ、この人か」と交番の人と顔を見合わせた。

結果、スマホはこの男性の物と判明した。
とても感謝された。

という風に、人をたすけると言っても色々な形がある。
そういう事を、教祖年祭までに60人までに達する
という約束がしてある。

が、現実は今もって全くそれに届かないのだ。
気持ちが焦るがどうにもならない。
時間がない。。。

人をたすけること。
その行いをすることが神様は一番お喜び下さる、と信じている。

天理教 という名がつくと 宗教という理解になり
次に勧誘される、という警戒心が生まれる。なので
「いりません」となる。

「いや、そういう訳ではないのです」と言っても信じてはもらえない。

勧誘だけが目的なら、方法はいくらでもある。
でも肝心なのは「人の心をたすける」こと。
勧誘できたからと言って、その人の心がたすかるかどうか。

なので教会は常に「理を蓄えておく」ことが大切だと感じる。

例えて言うと「水を蓄えておく」という表現にする。

困っている人は喉がカラカラ。
教会に行けば 水があると聞く。よし行こう。
自ら遠いところから旅費を遣ってくる。
無事着いた。
しかし、教会には水がなかった。
という事にだけはならないようにしなければ。
なので会長の責任は重いのだ。

昨夜、ある方が見えた。

「どうしたの?」
「頭と腰が痛むのです。仕事がきつくて」と。
早速
「ではおたすけさせて頂くね」と神様にお願いをした。
お帰りの際、妻が駐車場まで送ったが、その時
「会長さんが頭と腰をおたすけしてくれた。
その瞬間に治ったの!」と感激されてました、と報告を受けた。

私は取り次いだだけ。たすけたのは神様ですね。


さ、今日は晴れて暑くなるかも。
水分補給を忘れずに一日がんばりましょう。



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