かつてのようなソクラテスになりたい

「肥えた豚になるぐらいなら、やせ細ったソクラテスになれ。」
西洋哲学の特徴をうまく捉えたこの言葉は、東大の偉い先生によって発せられた。すごく禁欲的でストア派に分類されるのかな。

 このソクラテス像は確かにかっこいいし、やっぱり思慮深いひとの目の堀は深い…ように思える。ものごとの「真理」を常に追い求め、自分はなぜ生きているのかという、哲学たる問いに向き合い続けるこうしたソクラテス像は、判断停止に陥る現代の人々に対して警鐘を鳴らしている。

 でも、、。

「真理」ってないんじゃないかな。ものごとの本質は存在しているように見えて、ただ自分たちが希求しているだけで、実際は「差異」でしかない。
「今の哲学」はそんなすごく寂しいような、悲しいような気付きをようやく認めようとしつつある。それがたとえ肯定的だとしても…

ソクラテスはどう思うんだろう。今の思想の流れを見たときに。哀しくなった彼は、少し町からは離れた喫茶店や福祉施設でおじいちゃんおばあちゃんと問答法をやって退屈を紛らわすようになるんじゃないかな。こっそりと。

そんな気がする。というか、そんなソクラテスみたいな人が現にたくさんいる。いい大人で農村で隠れて夢をぼちぼち追い求めたり、自分の理想と現実に折り合いをつけながら、一定の生きる処世術を身に着けたり。

その人たちを否定はしないし、自分もそんな生き方にあこがれているように思う。波に飲み込まれずに、ゆっくりと自分と向き合うような。
折衷型人生観…

なんかもっとより、まっすぐは生きられないのかな。
かつてのソクラテスのように。ひたむきに「真理」を追い求めるような。
あのフレッシュな人間には…

たぶん自分は高校生の時のような「夢」を見ることはもうできないのかもしれない。と最近よく思うようになった。
世界はとても残酷であり、自分たちには見えていないものばかりでこの世の中は構成されていた、と気づいた瞬間。ひたむきに頑張れば世界は変えられると、何の疑いもなく信じていたあの頃のように、自分はもうなれないのかもしれない。

「かつてのような、ソクラテスになりたい。」
多分これから何年もそのことを考えてしまうんだろうと、ふと鏡に映った自分の顔を見て思った。





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