2023/10/8 難しい言葉を使わないで

・お久しぶりです。中野です。1週間ぶりの投稿になってしまいました。はたして週1投稿の文章のことを「日記」と言っていいのだろうか。

・以下、駄文。いくつかの日の出来事がごっちゃになってます。「いくつかの日の出来事がごっちゃになってんじゃねぇか!」と憤慨している人はお帰りください。それではスタート。

・電車。ゆっくり座れた。ママキンみたいな人を発見。

・新宿駅のトイレ。和服の人の立ち小便を初めて見た。

・朝6時の電車で学校へ。周りには職位の高そうなサラリーマンか老人しかいない。人生の終末期へと乗客を運ぶ方舟。はやく僕を降ろしてくれ。

・ラッパーがカタカナ言葉をよく使うのは最近覚えたばっかりだから。

・職位が高いサラリーマンが早朝に出社するのは、さらに職位の高いサラリーンに会うためらしい。職位が高いサラリーマンは早朝にしか会社におらず、話をするためにはそれより早く出社して待つしかないらしい。職位が高いサラリーマンって実は可哀想な生き物なのかもしれない。

・コンビニでどら焼きと芋饅頭とミルクセーキを買った。レジのバイトに老害だと思われてたらどうしよう。

・世の中には本質的な言葉は少ない。いらない言葉が多すぎる。本質を突き詰めれば言葉なんてなくてもコミュニケーション取れるんですよ。言葉の通じない上司もいれば、なんでもわかってくれるネコちゃんもいるじゃないですか。文明が発達しすぎて言葉の力を見誤ってるんですよ。言葉の力を過信したり過小評価してる人ばっかり。いやになっちゃうね。僕の日記だってそうですよ。こんなに変な言い回しで面倒くさいことをクドクドと言われても、読者の方たちは「なんだこいつ」としか思わないでしょう。そんなことしても僕と読者のどっちも幸せにならないじゃないですか。僕が考えてることを文章にする過程で内容が歪むし、それを読者が読む過程でも内容が歪む。複雑な内容を伝えるためには論文みてぇーに面倒くさいけど長文を書く必要があるのに、それをサボって端折って端折って複雑な内容を書くでしょ。言葉の力を過信しすぎですよ。せいぜい、一緒にごはんを食べて「おいしいね」って言ったり、散歩しながら「風がきもちいいね」とかそのぐらいですよ。日常でできる本質的な会話って。日常会話の中でクドクドと複雑な内容を言ってくる人は言葉の力を過信しすぎているか、聴き手であるあなたのことを過信しているか、思考を言語化することで頭を整理したり自分の考えの正当性を誇示しようとしているだけです。でもそれって全て本質的な会話じゃないと思うんですよ。話し手が思ったことがそのままの意味で聴き手に伝わることが本質的なコミュニケーションだと思うんです。なので読者の方々はどうか日常会話で難しい言葉を使わないでください。

・僕の名前はカッコいい。だけど僕は自分の名前に愛着がない。なぜなら自分の名前の由来を知らないから。名付け親の父親に聞いても教えてくれない。父が死ぬまでに知れたらいいな。

・スマブラの大会を見ていたら一日が終わってしまった。

・今日の運勢予想:大吉


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