2024/5/11 人の目が気になる

・海鮮丼が食べたくなった。無性に。磯丸水産へ。750円のマグロネギトロ丼を注文。「いらっしゃいませー!!!」がうるさすぎる。カウンターに座ったために店員との距離が近い。遠くの入り口に聞こえるように大きい声で怒鳴っている。目の前の僕には最悪だ。海鮮丼がうまかったので許す。

・人の目を気にしてしまう問題について。人の目を気にしてしまう人の悩みの声はよく聞くが、この問題を克服したという人の声や、そのプロセスについてはあまり耳にしない。そのため、僕なりの見解を示す。

・前提として、僕も人の目を気にする。むしろ人の目を気にしない人なんていないと思う。ただ、人の目を気にしていないように振る舞っている人はいると思う。また、人の目を気にしていることを自覚していない人もいる。いろいろごちゃごちゃ言ったが、僕も人の目を気にしているし、気にしないための魔法みたいな方法は無いだろう。しかし、今よりも少しだけ人の目を気にしなくなる、ということはあり得る。その方法について書く。

・注意点として、以下に根拠はない。また、僕の経験に基づくものなので、僕と性格が異なる部分が大きい人には参考にならないだろう。以下の文章は完全に自己満である。誰かのためだとかはあまり考えていない。

・僕は物心がついてから高校まで(実際には今でもだが)他人の目をとても気にしていた。クラスの前で発表するのが苦手、班での作業が苦手、1人で電車に乗ると緊張する、などなどである。

・「人の目を気にする」についてもう少し細かくみていく。この言葉にはいろんなニュアンスが含まれているからだ。僕の場合は、クラスの前で発表したことが間違ってたりして笑われたり否定されたらどうしよう、班の中で僕だけみんなと違うことをしてたらどうしよう、友達と僕が話している内容を誰かに聞かれてバカにされたらどうしよう、電車の中で僕だけ歩き方が変だったり服装が変だったり臭かったりして目立ってたらどうしよう、などである。

・これらの根本には、僕は自分のことを、「他の人が当たり前にできることができない人間」という偏った考え方をしていることがある。

・上記の具体的なエピソードをもう少し抽象化してみよう。僕は、自分が意識していない角度からバカにされたり笑われたりするのが嫌だ。そして、僕は劣等感が強く、ダメダメな人間だと思っており、自分のダメダメさが周りにバレるのが怖い。

・僕自身のことを「他の人が当たり前にできることができない人間」と捉えることは正確性に欠ける。より正確に現実を捉えるとすれば、「僕には長所と短所があるため、他の人が当たり前にできることができないこともあれば、他の人ができないことができることもある。そして、僕は人並みの教育を受けた人間である。」ということになりそうだ。

・こうなった原因はいくつか考えられる。僕自身の生まれつきの能力、長所短所、家庭環境、幼稚園や小学校での経験などなどなど、考えればキリがない。こうなった原因について考えることは、「なるほどこういう経験が今の生きづらさにつながってるのか〜」という納得感を生んでくれる。その一方で、「人の目が気になる」という悩みを解決するためには少し遠回りだ。なので、もう少し生きづらさと付き合っていたい人や、解決に長期間かかってもいいから納得感がほしい、という人は原因と向き合ったらいいと思う。もし、「生きづらいのはイヤ!すぐに解決したい!」という人は原因を考えなくてもいいんじゃないかしら。知らんけど。(この辺は自己責任でお願いします。個々人が好きにしたらよろしおす)

・高校3年の頃から人の目をあまり気にしないようになった。全部イヤになり、「もう無理!!!」というふうになったことがキッカケである(フワっとしか言ってなくてごめんね)。そして、「もしかしたらこのまま僕は死んでた可能性もあったな。もしかしたら僕は本来死んでいた人なのかもしれない。そう考えたら、これからの人生は自由なのかもしれない。これまでの人生はレールから外れないように人の目を気にしていたけど、今の僕は一度死んだも同然なんだからレールから外れるも何もないだろう。」と思うようになった。(この辺の心境の変化はうまく言語化できていないように感じる。ザックリと、何かの枷が外れて、より自由になったということが伝わってほしい)

・僕はゲームのキャラだ。なぜなら本来の自分は死んだから。残機だ。他人はすべてCPUだ。他人が流暢な動きをするのはCPUだから。他人がみんな同じように動けるのはCPUだから。プログラミングされてるから。僕が他人と違うのは、僕だけプレイアブルだから。自由だから。細かい動きもできる。不自然な動きもできる。他人と同じように自然な動きを目指してもいいし、不気味な動きをしてもいい。なぜなら僕だけがプレイアブルだから。

・上の思考は少しやりすぎだと思う。社会適応的なやり方ではないと思う。しかし、人の目を気にすることは少し減ると思う。

・別の考え方をしてみる。まず、人は基本的に自由だ。電車でエッチ動画を見てニヤニヤしてもいいし、コンビニのホットスナック前で何を買うか30分悩んでもいいし、歩いて日本一周してもいい。たぶん法律には触れてないと思う。もし触れててもいきなり逮捕とはいかずに注意されると思う。これらの行動は、一見不自然だが、ルール違反ではない。もしホットスナックの前で悩んでる僕を見て、「なんだあいつ邪魔だな」という顔をしているオジサンがいたとしよう。僕にはホットスナック前で悩む自由がある。オジサンには「あいつ邪魔だな」という顔をする自由があり、それを僕に伝える自由もある。それを受けて、僕にはホットスナック前から移動する自由も移動しない自由もある。移動しなければいけないわけではない。そして、もし僕が移動しなかった場合に、オジサンには僕に文句を言う自由があり、それに応戦する自由が僕にはある。

・何が言いたいかと言うと、不自然な動きをする自由が僕にはあり、他人には僕をジロジロ見る自由もあり、それを受けて僕には不自然な動きをやめる自由もやめない自由もある、ということだ。

・そして、意外と知られていないことだが、人は他人に迷惑をかけてもいいし、人は他人から迷惑をかけられても一発で大嫌いになることも少ない。

・ここまでは「他人の視線を気にしないための考え方」だ。しかし、そもそも他人にジロジロ見られたくはない。以下にちょっとした解決方法を書く。

・まず、基本的に人間はよく知らない他人に興味がない。なぜなら、自分に関係ない人間に脳みその容量を使うことが勿体無いからだ。これを応用して、街中や電車で、見ず知らずの他人からジロジロ見られることを防ぐための方法を考える。

・人は基本的に自分に関係ない人間には興味がない。つまり、ジロジロ見ない。では、どのような人に興味を向けるのか。それは、自分の身に危険が及ぶ可能性がある人間だ。少し話が飛躍するが、僕の持論では、属性がカテゴライズできる人はジロジロ見られず、カテゴライズできないような未知の人のことはよく観察しようとすると思う。

・つまり、スーツを着た40歳男性のことは「サラリーマン」とカテゴライズできるためジロジロ見ないが、大学生ファッションの40歳男性はカテゴライズできないためジロジロ見られてしまう、という具合である。僕の場合、無印コーデにメガネをかけた20代前半男性であり、「無印大学生」というカテゴライズができるため、見た目によってジロジロ見られることは避けられている。

・以上でおわり。頑張ったんだけどうまくまとめられなかった。ごめんね。以下、戯言。

・大学が終わると疲労感でいっぱい。ボーッとしちゃう。実習が終わると無力感でいっぱい。自己効力感を取り戻すために友達と喋ったり勉強したりしちゃう。

・電車で目の前の赤ちゃんが僕の目をまっすぐ見て身を振ってくれて神。

・最近日記から離れている。もしや日記のモチベーションが下がってしまったのかと思い、これはマズイ、と思ったが、よくよく考えてみたら、日記のモチベーションが下がったのではなく、電車での暇つぶしの代替行動として音楽を聴くモチベーションが上がっており、日記の優先順位が相対的に下がっただけだった。つまり、僕が日記から離れていたのはTempalayの新アルバム『((ika))』が配信されたからだったのだ!!!!こりゃすげー発見じゃ!!!!

・今日の運勢予想:吉

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