シャニアニ7話を視聴して思ったのは「残念」である

 テレビアニメ「アイドルマスターシャイニーカラーズ」第7話『W.I.N.G.への軌跡』が放送された。私は既に劇場の先行上映を全幕視聴済みであり、TV放送も欠かさず視聴している。全12話の中で、私自身が1番良くない回をあげるとするならそれが第7話だった。

Aパートで繰り広げられる思い出話

前回の第6話では283プロダクションに所属している全アイドルユニットが新人アイドルの登竜門『W.I.N.G.』に出場することが決まった。各ユニットの練習や本番に向けての対策会議などが描かれていた。プロデューサーもテレビ局に自身が考案した密着ドキュメンタリー企画の持ち込みをして枠を取るなど各々が今出来ることを頑張っていた。

しかし7話ではW.I.N.G.で何が起こったのかは結果以外何も描かれなかった。僅かに映されるライブシーン、本番までに撮影された映像、当日のライブ後の回想シーンをAパートの間繰り返し見せられた。
それだけなら別に良い。しかし問題はその後だ。
アイドル達は結果を受けてそこから生まれるはずのモノを得られなかったのだ。

普通にテレビの前に集まって番組を見るアイドル達

本番翌日にテレビの前に集まって自分達の特集を見るアイドル達。全員がまるで数週間前の出来事を思い出しているかのごとく楽しそうにテレビを眺めていた。気持ちがまだ立ち直れていないからテレビを見れない者も、疲れでベッドから起き上がれてない者も、見ているうちに悔しさを思い出して涙を流すような者もいない。先日のW.I.N.G.がまるで遠い記憶の思い出とでも言わんばかりに誰も感情を見せない。みんな楽しそうにテレビを見て、連絡を取りながら思い出す。それ以上の話が何もなかったのが残念でならない。

何も描かれない再起

アイドルひとりひとりにW.I.N.G.で得た何かしらの想いがある。それは楽しさだったり、悔しさだったり色々あるだろう。あの時ああしていれば、もっとレッスン頑張っていたら、もっと成長したい、みんなでもっと上に行きたい。W.I.N.G.敗退を通して描かれるべき気持ちの再起が何も無かったことが残念でならない。本番当日の頑張った、楽しかった、悔しかったで終わってしまったらそれは成長と呼べるのか?いやそれは違う。ひとりのアイドルとして、ユニットとして更に高みを目指そうとする意志を描いてこそ敗退の結果に意味が生まれる。そんな小学生の絵日記程度の感想で終わる話なら出場する必要がないのだ。過ぎ去った過去として処理するには翌日というのはあまりにも早すぎる。

no make

シャニソンの第7話連動ストーリーはお読みになられただろうか。語られていたのはW.I.N.G.本番当日の夜、映像編集者と同僚視点の話だった。ようやく届いた最終カットの映像に映っていたアイドル達の様子、目を赤らめ、本気でこのライブのために打ち込んできたことが伝わってきたと彼らは言う。そう、アイドル達は本気だった。誰ひとりとして悔し涙を流さないほど、映像から伝わる本気がそこにはあった。ならばその本気を私は見たかった。アイドルたちが努力し、打ち込み、その結果が敗退で悔し涙を流したのならその先を見たかった。これからの展開でそれが少なくとも12話までの間で見ることが叶わないのが残念でならない。


ここまで読んで頂きありがとうございました。

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