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二度と逢えぬ人との想い出話

死ぬまでにもう一度巡り歩きたい場所は、大学時代に想い出を刻んだ、名古屋を中心とした中部地方だ。
たった、4年間過ごしただけなのに、ぎっしりと想い出が詰め込まれている。
どこに行ったとしてても想い出は蘇ってしまう。
だから、あえて妻・道子とは行くことが躊躇われる場所となってしまった。
テレビを見ていて、かつて行った場所が映し出されると、道子にはかなと行った時の話をしたりする。
当然、かなと言う名前はださず、「彼女」ということが殆どだ。
道子にはちゃんとかなとの駆け落ちと別れを話しているので、名前を出しても良いのだが、それはできない。
私は道子にはかなの名前は決して口にしない。
そして、道子とは今後一緒に行くことが出来ない場所にもなっている。

だから、その思い出話をすることが出来るのは、ただ一人、かなしかいない。
いつも、今のかなに会ってみたい気持ちと、会いたくない気持ちが交錯する。
たぶん、今のかなは昔のかなとは全く違っていると思うから、昔の思い出が壊れてしまいそうで恐い。
そもそも、あの頃のままでいて欲しいと思うこと自体が身勝手な話だ。
私は思い出したように、かなの夢を見る。
夢に出てくるかなは、いつもあの頃のかなだ。
思い出話をするなら、あの頃のかなと、白昼夢(Day Dream)の中で話し続けるしかない。
そして、話しかける相手のかなを自分で作り上げなければならない。
今はAI技術を使って、彼女の残された手紙や音声を利用して、話し相手となってくれそうだ。
将来手軽にやれるようになれば、やってみたいと思う。
今は、白昼夢で架空のかなとやりとりするしかない。

私の脳が作り上げる白昼夢で、かなの心情や話し方を、昔の彼女から想像するしかない。
ところが、最近、道子とのやりとりと、かなとのやりとりが重なってしまう。
元々、私には全く容姿も性格も異なっていると思える二人だった。
道子とは見合い結婚で、かなとのような熱い恋愛時代がないに等しい。
子供が出来てからは、妻というより子供の母親の部分が大勢を占めた。
この歳になって子育てが終わり、道子は母親からまた妻に戻った。
この頃は、かなとしたように、毎週日曜や休日に出かける。
手をつないで歩いたり、ベタベタすることはないけど、気軽にドライブに出かけて食事をする。
道子はどちらかというと出不精だったのだが、私に一生懸命合わせてくれているのが分かる。
たぶん、「彼女」とよく出歩いた話をしたので、それを意識しているのだと思う。
だから、寄り添っていられる今の夫婦が、昔のかなと私の様子と変わらなくなっている。

たぶん、白昼夢での相手の架空のかなは、昔の彼女と今の道子が混じってしまうのではないかと思える。
それでも、思い出話が出来るのはその方法しか無いので、それで綴って行こうと思う。
ただ、絶対触れてはいけないのは、別れた後のかなと私の暮らしだ。
また、私もかなも当然当時とは、考え方も感じ方も変化しているのだが、当時に気持ちが互いに戻ったとせねばならない。
つまり、別れた後と今までの時間を飛び越えて、想い出話をしようと思う。
因みに私は播州弁(関西弁とはかなりイントネーションが違う)を基本に共通語と名古屋弁が入り交じっていた。
かなは共通語を基本に山口弁が混じり、時々私の播州弁をまねしていた。

「<白昼夢>アパートの大家のお婆さん」 

アパートのお婆さんのこと 憶えとぉ?
憶えとぉよ あんたが学校へ行って 一人残ってた時 いきなり入ってきたもん。
よう おらん時 勝手に入って掃除してくれてたからなぁ
そんで、急いで押し入れに隠れてたんよ
押し入れ開けとったら びっくりして 腰抜かしたやろな
わたしは 息殺してて たいへんやったんよ!
まあ 見つからんで良かったヤン ちゃんと お土産にアイス 買うてきたったやろ
うん あのソーダーキャンデー 冷たくて美味しかった

というように、私の脳の白昼夢を駆使して、思い出話に花を咲かせようと思う。
ところで、最近かなのことをこうして文章にしていると、全く本当の夢に出てきてくれなくなった。
「昼間会っているから、夜にまで会う必要ないでしょう。」と言わんばかりだ。
夜にしか出来ないこともあるのに・・・・・




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