見出し画像

剣かペンか 決め手は愛

私は小学生の頃から、剣道少年団に入って、剣道を習っていた。
習うと言っても、きちんと指導者がついていたわけでは無く、自分たちで適当に練習していた。
それでも、そこそこ強くて、校内の大会で学年優勝したり、市内の大会の個人戦に出されたりしていた。
熱心な指導者がついてくれた頃には、中学受験を勧めてくれた担任先生に辞めさせられた。
私立学校の中学部では少し経験があるので、剣道部に入って1年の夏休みの合宿は乗り切ったが、その後続かなかった。
私学だったので、高等部の先輩と練習が普通にあり、体格的にきつい上、高等部から始めた先輩に偉そうに言われて面白くなかった。

私は事もあろうに、大学で入った軽音楽部を数ヶ月ですぐ辞めた後に、よせば良いものを剣道部に入部した。
その当時好きだった同級生の女の子が剣道部のマネージャーをしているというのを噂に聞いて入ったのだが、それは大きな思い違いだった。
入ってしまった以上は仕方ないので、剣道の練習に打ち込んだのだが、1年間の浪人生活で体は肥えて鈍ってしまっていた。
1年生に課せられた道場の腰上げ雑巾がけも息が切れる始末で、1年の初心者の部員仲間と慰め合っていた。
普段の練習は何とかこなせたのだが、地獄の夏合宿が待っていた。

夏合宿は、信州の戸狩の民宿に泊まり、近くの小学校の体育館を借りて練習した。
早朝練習のランニングで、何も食べてないのに、すでに嘔吐いていた。
剣道の練習は朝と午後の二部制で、たまに夜練習も加わった。
練習についていくのもままならない状態だった。
極めつきは、最終日の1年生に課せられた祭り稽古だった。
これは、30分間のかかり稽古(休まず攻め続ける練習)で、受ける中年の外部師範も途中で交代するほどの激しさだった。
私には、主将が担当してくれたが、どうも途中で倒れるのを見越してのことだったようだ。
案の定、途中で体が動かなくなって、リタイアさせられた。
この時は、面を外して水飲み場に座り込み、自分の情けなさに涙が止まらなかった。

ただ、試合稽古では、対戦した大学の顧問教員の師範とあたって、1本しかとらせなかった。
私の得意技は、小手抜き面(小手を狙ってくる相手の竹刀をかわして面を打つ)であり、それで師範をたじろがせた。
因みにこの小手抜きの技は、教職に就いた後、地元で習っていた時に、地稽古で元学生チャンピオンの師範(当時七段)の小手を抜いて褒められたことがある。
その教員師範には、筋が良いので剣道を続けるように言われていた。
合宿はレクレーションもあったし、同級生とはずいぶん仲良くなれて、達成感もあった。
何より大学職員のOBに目をかけて貰って、心やすくなったのが収穫だった。

しかし、合宿も何とか終えて、大学で普通の練習に戻った時だった。
主将との地稽古で、自分から攻めていかない私を怒った主将に、体当たりで倒されて打ちのめされた。
そして、その練習はビデオに撮られており、後でみんなの見世物となった。
それを見たひとりの先輩が「豚がころんどる」と、馬鹿にした言葉を聞こえよがしに口走った。
本来なら、今に見ておれと思うところだが、自分にはそんな気概は無かった。
というのも、主将は腹筋の割れて鍛え上げられた身体をしており、部内で勝てる者はいなかった。
そして、先輩に逆らった者はどうなるか、合宿で3年生が4年生にしごかれるのを見てよく知っていた。
愛無き剣道に気持ちは遠のいた。

そんな屈辱なこともあったし、毎日の剣道漬けの生活に嫌気がさしてきていた。
バンド練習は好きだから、毎日していても飽きないが、剣道の筋トレや稽古は好きでやっているわけでは無く、まさしく修行だった。
世話になった大学職員のOBには、奨学金の相談にも乗って貰ったりしていて心苦しかったが、剣道部は辞めた。
そもそも、不純な動機で始めた剣道など長続きするはずも無かった。
教職についてからも、剣道は思い出したように自ら再開しては辞めたり、必要に迫られて再開するの繰り返しだった。
社会人の同好会チームで地方大会にも出たこともあるが、企業のクラブチームの全国レベルの選手には全く歯が立たなかった。
昇段試験は金もかかるし、型を覚えるのが面倒なので、とりに行かなかったが、三段程度の選手とは対等に練習できた。
要するに剣道はそれほど好きでは無いが、ちょっと得意なスポーツだっただけだった。

剣道部を辞めてから、アキラがやっている研究会活動に興味を持った。
自分の専攻する文化人類学の研究会で、考古学サークルと村落調査サークルに分かれていた。
アキラは考古学の方に所属したが、自分は村落調査の方に入会させて貰った。
活動は週一回程度で、昼休みに食堂で一緒に昼食をとりながら駄弁るのが日課だった。
この、研究会には、自分が苦手とする同級生がいたが、剣道部のように好きな女性がいると勘違いしたのでは無い。
自分にはめずらしく純粋に文化人類学に興味が持てて、その研究活動をしようと思っていたのだった。
ミュージシャンになる夢が途絶えた私に、違う夢を与えてくれようとは、その時には思いもしなかった。
それがきっかけで大学院に進学できて学歴ロンダリングとなり、教職に就くのに役に立ったから分からないものだ。
そして何より、かなとの仲もそこから始まり、人生において最も愛に満ちた日々も待っていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?