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名古屋 花ある日々

今は名古屋を馬鹿にする人はいないだろう。
ふたりがいた頃の名古屋は、大いなる田舎として、タモリなんかにからかわれていた。
私には今の発展した名古屋よりも、昔の都会らしからぬ名古屋の方が好きだ。
学生時代は運転免許など持っていなかったので、移動は常に地下鉄かバスだった。
トヨタの影響で、道路はだだっ広く、歩いて渡るのには負担だった。
かなとふたりで出かけたのは、栄の繁華街や大須、そして大学の近くの東山動物園、かなの下宿の近くの鶴舞公園だった。
その思い出話を例のごとく白昼夢で話してみたい。

<白昼夢> 名古屋の思い出
栄や大須には何回も行ったけど、なんか 憶えてる?
あんまり 憶えてないわ 買いものも そんな しなかったし
コメ兵に行ったん 一緒やなかったっけ? 一回だけ 映画 見に行ったやろ 憶えてない?
憶えてない
ほら 内藤が自作映画作りの仲間に入っとって 電車の模型作るん頼まれたんで 手伝ってくれたやつ
あ~ぁ 思い出した ちょこっとしか映ってなかった
小道具やでな 何の意味があったか 分からんかったけど
どういうストーリーだったかも 忘れたもん
動物園行ったんは 憶えてるやろ?
東山動物園でしょ 
おまえ ゴマフアザラシ 気に入ってたな
ごまちゃんね 可愛いもん
まあね 横になって浮いてただけやけど
そこが かわいいのよ
鶴舞公園 憶えてる? 初めてのデートの場所と違う?
うん でも 辛い想い出もあるから・・・ 
・・・・・・・・

名古屋には大学卒業後も何度も立ち寄った。
ただ、誰とも会わずにひとりセンチメンタル・ジャーニーをしたのは、二度だけだ。
1回目は道子と結婚式を挙げる1ヶ月前だった。
弟が東京へ車で帰るついでに、名古屋まで乗せて貰い、ICの近くからバスで名古屋駅に向かっただけだった。
それは結婚するに当たり、かなと思い出が詰まった名古屋の街にさよならを告げて、気持ちにけじめをつけるのが目的だった。
バスに揺られながら、見慣れた街並みを眺めながら、「さよなら」とつぶやき続けいた。

2回目は2007年に、東京に行くのに半日だけ立ち寄った。
それは、かなと過ごした場所を写真に残すためだった。
最初から、大学時代によくしていた、青春18切符を使っての普通列車の旅をあえて選んだ。
かつてかなとも一緒に名古屋まで普通列車で帰った思い出もある。
電車の中で既に私は大学生の時の気持ちに戻っていた。
名古屋に近づいて枇杷島駅を過ぎると、アパートに帰ったら昔のようにかなが待っていてそうな気がした。
私は地下鉄でいりなか駅まで行き、大学までかつて通った道をスマホで写しながらたどった。
かなり様変わりはしているのだが、かつて叔母さんがやっていた喫茶店ルフランは、波板塀で閉じられていたが、看板だけはそのまま残っていた。

本当は大学で、お世話になった先生に会うつもりでもいた。
自分が出版した研究書は先生には送っていたが、大学にも寄付して貰おうかと思っていた。
しかし、かなとの思い出に浸っていた自分は、今の現実には引き戻されたくなくて、会わずに人類学研究所の受付に書籍は預けた。
私はグリーンエリアで、ふたりの姿を思い浮かべながら、昔のように芝生に腰掛けていた。
そこから、自転車で通学した道を歩いて、ふたりの思い出のアパート池美荘に向かった。
思い出の場所を写真に残しながら歩いていると、自然に涙がこぼれ落ちてきていた。
ただ、今に引き戻されたのは、池美荘が完全に無くなって、新しい立派なアパートに様変わりしているのを見た時だった。
むしろ、昔と変わらなかったのは、よく行った近所の喫茶店や食堂だった。
池美荘の写真は一枚も残っていなくて、そして、もう写真で思い起こすことも出来なくなった現実に、立ち尽くしていた。

名古屋は望んで住んだ街では無かった。
単に、叔父が住んでいたので、それを頼ってのことだった。
その叔父は、最後まで自分の生まれ故郷に戻りたがっていたが、結局今は覚王山の納骨所に眠っている。
そして、名古屋には今でも叔母やいとこが元気で暮らしている。
また、大学時代の仲間や友人がたくさんいて、最近の年賀状でも飲み会の誘いを受けた。
東京近辺にも3年暮らしたが、そういう気軽に会える人はいない。
たった、4年間過ごしただけなのだが、人生の中で一番楽しく、そして自分自身を輝かせられた時間を過ごせたと思う。
もし、過去に戻ってやり直したいとしら、どの時代かと聞かれたら、迷うことなく、この名古屋に住んでいた時代と答えるだろう。
「いや」と言われそうだがお願いして、かなも一緒に・・・・・





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