見出し画像

恋花火

天声人語で中島らものことが書いてあった。
彼は有名な超進学校の灘校の落ちこぼれだった。
音楽と恋愛と芸術に生きた彼こそ、私にとっては崇拝すべき人であったが、その死に様は哀れに思っていた。
私は平凡な進学校の落ちこぼれだ。
中学部に入った時に教師から、144人中50番以内にいたら、東大京大に入れると言われていた。
その圏内に、中学部の2年生まではいた。
学年の実力テストは数学で最高得点をとった二人の一人にもなった。
もう一人は後に東大に入ってロボットを研究し、大学教授になった。
進学校で最初上位にいて落ちこぼれ、バンド活動をしたところまでは、中島らもと一緒だが、その後の人生は雲泥の差だ。

私は中3の頃から、音楽と恋に目覚めてしまい、卒業する時は完全に落ちこぼれになっていた。
これはよくあるパターンで、学年トップの1年上の先輩が、恋の病で凡人になってしまったのを知っている。
その先輩もバンドで、ベースをやっていた。
私は最初からバンド指向ではなく、最初に買ったシングルレコードはミッシェル・ポルナレフの「忘れじのグローリア」だった。
やがてギターを買って、ミュージシャンを志した。
それは、私の記事の「途切れたミュージシャンへの道」で書いたとおりである。

一方の恋愛の方は、中学部の頃は、通学電車などで一緒になる近隣の美しい女生徒に憧れて、授業中などボーとその人を思い浮かべていた。
高等部の頃から、女子校の生徒に声をかけて、友達になって貰ったが、その関係はあまり長く続かず自然消滅した。
そんな一人で、かわいい年下の留美ちゃんも、家に呼んで一緒にレコードを聴いたり、家の近くを散歩する程度で、恋人とは呼べなかった。
ただ、プレゼントに貰ったシャープペンシルは、彼女が私の友人と結婚した後も持っていて大切に使っていた。

そんな私を大人の世界に導いてくれたのが、真美さんだった。
私は高3の18歳、彼女は4歳上のOLで銀行に勤めていて、通学電車で毎朝一緒になっていた。
ふとしたきっかけで、話をするようになって、毎朝の通学が楽しくなった。
彼女はちょうど失恋をしたばかりで、心がすさんでいた時だった。
年下で危なっかしいが一途な私の思いに、心を開いてくれたのだと思う。
初めてのデートは家の近くの海辺で、防波堤の石の上を歩いて、誰もいない突堤でふたりで海を眺めた。
その時初めて女性と手をつなぎ、真美さんから「かわいい手ね」と言われて、恥ずかしい反面嬉しかった。
というのも、体格が良い割には指が短くて、それでギターを弾くのも上手くいかなかった。
その手を「かわいい」なんて今まで言われたことは無かった。
私は、女性の手がこんなに柔らかくて温かいことを初めて知った。

仲良くなった真美さんと、週末に近くで行われる花火大会を見に行くことになった。
その日は、1学期の中間考査の真っ最中で、親には友達の家で勉強してくると嘘をついて出かけた。
多くの人前で女性と歩くのは初めてなので、私は非常に緊張していた。
真美さんに「なんで そんな怖い顔してんの」と言われて、何とか平静を装うとしたが無理だった。
でも、打ち上げ花火が見られる港に着くと、辺りも暗くなって心も落ち着いた。
真美さんには、「この花火の赤色はナトリウムだよ」とか、知ったような話をして、何とか場を持たせる話をした。
じっと黙って花火を眺めていればそれで良かったに、まだ自分にはそういうゆとりはなかった。
美しい花火さえ、自分の目にはあまり入ってこなかった。
ただ、打ち上げの際のドンという衝撃音が、真美さんへの思いを高まらせるのを感じた。

花火が終わり、家の近くに住む、真美さんを送っていくことになった。
本当は、橋を渡ってまっすぐ行くと彼女の家だった。
でも、何も言わずに二人は土手沿いの道の方に折れてしばらく歩き、川原への坂を下りていった。
葦が茂って周りから見えないところに、二人で腰掛けて何も言わず口づけを交わした。
そして無我夢中で彼女を抱きしめた。
女性とこういう経験のない私に、真美さんは優しく導いてくれた。
我に返って、彼女を心配する私に「大丈夫よ」と言ってくれた。
そして、私は彼女の肩を抱きながら、家まで送っていったのだが、その時は茫然自失で何を話したかも憶えていない。

そんなことがあってしばらく経って、母から土曜日にどこへ行っていたのか聞かれた。
誤魔化そうとしたが、母は近所の人から花火大会で二人を見かけたことを知らされていた。
それでも、母はそれ以上は言わなかった、試験中にデートしたことを叱られると思ったので意外だった。
私の両親は、バンド活動にのめり込むことにはうるさかったが、女性との関係には寛容だった。

真美さんとの熱い関係は、その後しばらく続いたが、真美さんの方から離れていってしまった。
私は未練がましくストカーのようなことまでしたが、彼女の心は戻らなかった。
彼女自身、二人に未来などないことなど最初から分かっていたけど、失恋の痛みを癒やしてくれる私を、少しの間だけ愛してくれたのだと思う。
将来も描けない一途な私に、たぶん危うさを彼女は感じていたのだろう。
失恋の心を紛らしたのは、友達との馬鹿騒ぎをしたり、彼女を忘れられる女性を探し求めたが、真美さん以上の関係になれる人は現れなかった。

その後、何年か経って、町で彼女が中年の男性と親しげに歩いているのに出会った。
その時、彼女と目が合ったのだが、彼女は私に優しく微笑んでくれた。
真美さんから誕生日プレゼントに貰ったのは、当時はやりの黄色と紺の横縞のラガーシャツ。
私はずっとそれをその後も着続けていつしか無くなってしまったが、彼女とのことは一生忘れられない思い出として心に深く刻まれた。

当時の同級生も、女性と深い関係になった者は、数は少ないが何人かいた。
仲の良い友達程度の彼女と付き合いのある者は、そこそこいたのだが、受験勉強と両立させていた。
ただ、東大、京大、国公立医学部、歯学部、薬学部に進学した同級生で、高3にもなって付き合っていた者は思い浮かばない。
その一方、勉強とは無関係に派手だったのが、一緒にバンドを組んだこともあるケイスケ君で、軽はずみなことから後で追い回されて困っていた。
やはりバンド仲間の私の悪友のリュウジは、一途に同学年の女子高生を深く愛したが、受験をきっかけにふられた。
リュウジは学年で成績が最下位で欠点だらけだったが、自分を見返して貰って、彼女を取り戻すために早稲田大学に入る決心をした。
彼は早稲田大学の過去問を徹底的に勉強し、見事、法学部に現役合格して、言葉通り彼女とのよりを戻した。
ただ、入るだけの目的の大学だったので、バイクにのめり込んだりして、事故で1年留年して何とか卒業して、彼女と一緒に地元に戻った。
そして、リュウジはその女性と後に結婚して幸せな家庭を築いている。
一途に愛せる人がいる事の強さを彼から学んだのであった。
半端な自分などより、恋でも勉強でも思い込んだら一途になれる、リュウジのほうが立派に思えた。
学校での成績の善し悪しなどでいうと、私はただの落ちこぼれだったが、リュウジこそ真っ当な落ちこぼれだった。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?