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夜桜の下で

桜の季節になると必ず思い出す。名古屋の覚王山にある日泰寺の夜桜を
、その時雨が降っていた。

その日は二間のアパートに同居していた大学の同じ学科の友が引っ越しした日であった。

彼は我々の三流大学が嫌で、東京の一流私学を受け直したのだが失敗して大学に残ることになった。

彼が東京に移ってしまえば、二間の家賃の2万円は払えないので、安い下宿を探して移る予定であった。

それを知った大屋さんが、「1万円で良いよ」と言ってくれたものだから、そのまま残ることにした。

結局、彼は残ることになり、元々、1年だけ一緒に暮らす約束で自分が後から転がりこんだのであるから、自分が出て行くべきであった。

ところが、学生用の安い下宿を探すとなると時期的に困難だった。

結局、彼の母親が気を遣ってくれて、彼の方がアパートを探してくれて出て行き、結局自分が残ることになった。

かなはその同居人の引っ越しの手伝いに来てくれた訳であるが、その彼女を送る道すがらこの寺に寄ったのである。

小雨の降る中、広い境内には誰も桜を見る人などいない。

もう閉じた薄暗い茶店の縁台に腰をかけて、彼女の肩を抱いた。

すぐに彼女は頬を肩にもたれさせ、彼女の髪の香りにうっとりしながら唇を奪った。

彼女は初めてらしく、唇も堅いが口の回りの毛も剃っていないので、それと分かった。

彼女の身体を倒して上に覆い被さろうとすると、思いのほか強く嫌がる。

初めての経験で怖いのだろうと思い、こちらが下になって胸の上で抱きかかえてやると安心して顔を埋めた。


ふと目を開くと桜が街灯に照らされて、明かりの白と桜の淡い色が混じり合い、闇の中から小雨がそこで光ながら落ちてきた。

人に見られることも闇を恐れることもなく、かなの身体から湿気とともに伝わる温もりを感じ続けていた。

熱い吐息の香りに酔いしれながら,ながいながい一瞬が刻まれていた。

どういうわけか年もそこそこいった女性が暗闇の中、傘もささずに立っている。

気味が悪いわけではないが、まるでこの怪しい桜に誘われ出てきた遊女であるかのようであった。


彼女を地下鉄の駅まで送る道に灯篭があって、その上に彼女は足をかけると、見事に尻餅をついてしまった。

彼女は、「いつも肝心な時にドジをしてしまう」

と辛そうに言ったが、それがまたいとおしかった。


この時以来、二間のアパートは二人の愛を育む場所になった。

風呂は無いが2DKで、東と南に大きな窓があった。

下に大家さんが暮らしていて、電話を取り次いでくれた。

かなも下宿暮らしだったが、賄い付きの女子大生専用の下宿だった。

地下鉄の路線が違っていたので、通うのに時間がかかり、途中から自転車を買って乗ってきたりしていた。

週末や休日にはデートしたり、アパートで一緒に過ごす日々が、かなが卒業するまでの2年間続くことになった。

この夜のことを、かなはずっと忘れずにいて、いつまでも憶えている自分自身のことを、恥ずかしそうに話してくれた。

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