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残波野綾光
2024年1月8日 21:46
天声人語で中島らものことが書いてあった。彼は有名な超進学校の灘校の落ちこぼれだった。音楽と恋愛と芸術に生きた彼こそ、私にとっては崇拝すべき人であったが、その死に様は哀れに思っていた。私は平凡な進学校の落ちこぼれだ。中学部に入った時に教師から、144人中50番以内にいたら、東大京大に入れると言われていた。その圏内に、中学部の2年生まではいた。学年の実力テストは数学で最高得点をとった二人の