人は見かけによらない‥じゃなくて、その人が使い分けが上手かった話

地下鉄のプラットフォーム。
元同僚のマキタさんと帰りの電車を待っていた時、彼がふと、呟いた。
「あんな“ウゾウムゾウ”な奴らさぁ‥‥」
“有象無象”?

ついさっきまで私(ヤマノ)とマキタさんは、数人の元同僚たちと飲んでいた。
“ウゾウムゾウ”とは、今日の参加者ではなくて、彼が以前、一緒に働いた人たちのことのようだった。
温厚なマキタさんが、そんな厳しい言葉を使うのか、と私はハッとさせられた。

マキタさんと私は、数年前まで、学習塾で事務員として働いていた。
今は、彼は私立大学で事務方として勤めていた。学習塾は早期退職した。
私も同じ頃に退職し、現在はパート勤めの主婦をしている。

私はマキタさんとは通算10年ほど、同じ部署で働いたが、彼からは悪口や批判などをほとんど聞いたことがなかった。
思うところがあってもすべて腹に収めているようだった。芯が強く、我慢強い。マキタさんってマゾなの?、という人もいた。
心根が優しくて人から慕われていた。

そんなマキタさんの “有象無象”発言。
私には単純なところがある。彼とは途切れ途切れだが、長い付き合いだ。なのに私は彼の表面しか見ていなかったみたいだ、と思った。
彼にだって、溶岩のような苛立ちがたまっていたのだ、と今さらながら感じた。

🐑

「あなたは別だよ」
ふいにマキタさんがそう、添えてくれた。
「えっ、そうなんですか。どうせ、私も有象無象の一人かと思いましたよ」
マキタさんは、どうやら私には及第点をくれていたようだ。何だか、少しホッとした。
彼とは一緒に職場のトラブルに対処したこともあったしな、と当時を思い出した。

教育業界は、優秀で立派で、心底、尊敬できる人がたくさんいる。そういう人たちは自発性に富み、職場を支え、動かし、業界をもリードしていた。
一方で自己中心的で世間知らずな人間、尊大な人間なども少なくなかった。生徒の方がよほど冷静で大人に思われた。彼らはたいてい、他律的でもあり、目先にとらわれたり、馴れ合ったり、嫉妬や自己保身に惑ったりしていた。
私ごときが偉そうなことをいうようだけど‥。

「△△さんとかさぁ、□□さんとかさぁ、あり得ないよ」
と、マキタさんが個人名を口にした。
「マキタさんの口から、個人名が出るって。びっくりですよ」
「そりゃ、だって、そーでしょう。あんなのさぁ」

△△さんというのは、昔、マキタさんと私が所属していた部署の係長だった。
怠惰で、自身のセクハラ行為に自覚のない人だった。
よく勤務中にラーメンの出前を取り、眉間に皺をよせてアイドル写真集をめくり、麺をすすった。
ある時、彼は背後を通りすぎたマキタさんに、突然、
「マキタさんって、エロ本、読むの?」
とヘラヘラしながら話しかけた。女性事務員は手をとめた。
マキタさんは当時、真面目一辺倒な人に映った。影が薄かった。今から思えば、周囲は破天荒を気取る事務員が多く、彼はそういう人たちと一線を引きたかったのかもしれない。
△△さんは、“クソマジメな”マキタさんをからかったつもりのようだった。
マキタさんは、
「ハッ‥?、はあ‥」
と濁った返事をした。

その後、△△さんは勤続年数に応じてちゃっかり昇進していった。目上の人間にはよく仕え、甘え上手だったからだと思う。
しかし必然的に歯車が狂った。地方へ異動させられ、異動先で部下からセクハラで訴えられた。本部に戻されて総務部の預かりの身になったが、結局、1、2年で辞めていった。
しかしながら現在も教育業界におり、働きぶりは基本的に変わっていない、という噂だった。

□□さんは、判断や決断、対外的な折衝ができない新米部長だった。
会議だの、通院だの、あれこれ理由をつけて職場に寄り付かなかった。
この時も、マキタさんと私はたまたまその部長のもとで一緒だった。

業務は滞った。
生徒募集パンフレットが受付開始日に間に合わず、授業当日に教材が無い事態も起きた。すべてコピーなどで対応した。
部下が他部署や所属講師へ謝罪したりもした。
□□さんは、部署の所属講師たちからも顰蹙をかい、彼らの目が恐ろしくなった。そして、彼らとの最低限、必要な打ち合わせや話し合いも避けるようになってしまった。

そのうち、よそから「□□さんは部下にいじめられている」という噂が流れてきた。
そんな情けない話、誰が真に受けるんだろうか、と思ったのだが、庇う人はいた。□□さんの先輩で、彼をかわいがっていた本部長だ。
本部長はある日、突然、うちの部署にやってきて、部署の支柱の一人であるマキタさんを異動させる、と発表した。補充はない、と付け足した。
うちは新規事業を担う部署だったから人減らしは理解できなかった。それになぜ、本部長がわざわざお出ましなのか。何か、ネジれている、と思った。

一連の出来事に、所属講師たちが業を煮やし、しかしながらグッと気持ちを堪えて□□さんを囲む飲み会を開いた。
講師たちは彼にビールを注ぎ、頃合いを見計らって、優しくそっと彼に新米部長としての心情を尋ねた。
すると□□さんは、
「ぼく、人と話せない理由があるんだぁ‥」
と、照れ笑いのようなものを作りながら弱々しくいった。
人と話せない理由?
一同、一瞬、ポカンとなった。
「ぼく、一人っ子なんだあ‥」

さらに他部署での話になるが、ほかにも、業務がくだらない、といって、仕事をしない女性事務員もいた。
日がな、自席で新聞を広げ、切り抜きをしていた。やがて、海外へのボランティアに専念する、といって辞めていった。
あらゆることを占いで決める男性講師もいた。その日、着る服、通勤経路、果ては結婚相手まで占う。
愚痴や批判が止まらない人で、どうやら常に不安や不満を感じてしまう気質だったらしい。腹に溜まる黒いモノを吐き出さずにはおれなかった。
よりにもよって、その講師の職場にある日、爆破予告が入った。彼は生徒も誰もかれも置いて、一目散に逃げてしまった。
「日曜日に働くなんて人間の働き方じゃないだろ!」と文句を口にした高校受験ゼミの担当講師もいた。平日、学校に通う受験生を相手にする客商売だ。なぜ、その発想になるのか、と私は思った。

もちろん、どんな業界や職場にだってクセの強い人、困った人などなど、さまざまな人がいるだろう。うちの業界だけじゃない。私も一応、わきまえているつもりだ。
それに私も、当時は環境に染まり、気取って飲み歩くなど、思えば赤面な振る舞いをした。だから、マキタさんが“ウゾウムゾウ”といった時、私もきっと、その一人なんだろうな、と思ったのだ。

「オレさあ、身体を動かすような仕事がしたいんだよね」
と、一緒に乗り込んだ車内でマキタさんがいった。
「身体を動かす仕事?」
「ドライバーとか」
「ええっ?」
私はもう一度、驚いた。
職業に貴賎をつけようというわけではない。ただ、マキタさんにはせっかく積み上げた実績があり、それがもったいない、と思った、というか‥。

マキタさんは勤務する某大学の志願者数をV字回復させ、部長、そしてアドバイザーに昇進し、受験メディアから取材を受けたりもしていた。
マキタさんはさっきまでの飲み会で、
「いや、V字って、当たり前なこと、やっただけですよ。
伝統に胡座かいて何にもしてないんだもん。だから普通に高校に営業まわりして、その分、志願者が増えただけで」
と話していた。
あとは、旧態依然とした募集パンフレットのデザインを新しくしたそうだ。人には「顔」に目がいく、という心理があるそうで、表紙には偉人の顔を大きくあしらったそうだ。書店やネットに溢れるパンフレットの中で、とにかく受験生の手に取らせよう、と狙ったのだという。

「ドライバー?
‥だって、受験界や大学経営の界隈で、その道のプロとして世間に認知されかけてる人ですよ?
それに『 ×××大の××××学部 』ですよ?」
「うん‥」

×××大の××××学部、というのがマキタさんの出身だった。そこは私立大学の文系学部の中で入試難易度が1位、2位を争う最難関だ。
卒業生は、多くが国家公務員やメガバンク、マスコミ、巨大情報通信企業、等々でグローバルに活躍し、政治家や財界人などにも多く、国を動かすような人たち、というイメージが私にはある。
マキタさんの年齢なら、同級生は今頃、相応の職場でトップに立っている人も大勢、いるだろう。

ちなみに以前、私が偶然、マキタさんの学歴を知った時、
─なんで『 ×××の×××× 』が、ここ(しかも事務職)にいるんだ。
と思った。
彼は転職組だった。
転職で教育業界にくる超難関大学の出身者は少なくない。結構、いる。次の職場への場繋ぎの人もいるが、そのまま居続ける人も多い。

「同級生は社長さんとか、やってるんでしょ。会社も選べる大学なのに。
それにマキタさん個人の能力とか、粘り強さとか調整力とか、もったいない気が」
「うん‥」

マキタさんはさっきから素直に「うん」といっていた。
─この人、自己肯定感が十分なんだな。
優秀さの証の一つだ。‥と私は思っている。うらやましい。

─それにしても、それほど教育業界にイヤ気がさしてるんだろうか。
いや、ほんとにただ、向いていない、と感じているだけかもしれない。
実家は町工場だと聞いたことがある。やはり、身体を動かして働く方が馴染みがあるのかも。
家のローンがあると聞いていた。子育てもあったし、ずっと我慢してきたのだろう。
子どもも自立する時期だ。ローンは退職金などで目処がついたのか。

「んー、でもさあ、オレ、もう、面接に行ったの」
「えーーーっ? 面接?本当に本気なんですか」
「うん‥、そしたらさあ、そこでもあーたとおんなじこと言われてさあ」
「そりゃ、言われるでしょ」

Gさんは、どう、思うだろう、とふと、思った。
マキタさんを今の職場に紹介した。
Gさんは教育業界では名の通った人だった。マキタさんや私の元上司でもある。
現在、当たり前になっている大型試験の自己採点・合格予想システムやオンライン授業などの開発・普及に携わったほか、いまもなお、業績を残し続けている。教育業界における時代の開拓者の一人だ。
斬新な発想力と人並みはずれた行動力があり、分かりやすく未来や希望を語るので、さまざまな人が惹き付けられる。ただ、同時に敵も生まれたが。

マキタさんは彼に重用された。彼に反感を覚えたことも多々、あったようだが、なんだかんだで付き合いが続いている。基本的には彼を敬慕していた、はずだ。
Gさんは、マキタさんが教育業界を去ること自体は固執しないだろう。しかし、転向先については、「何をいってんだ」といいそうだ。マキタさんの意図をいぶかる気がする。

「Gさんには話したんですか」
「彼さあ。結構、俗物でさぁ」
と、マキタさんが三たび、意外なことを口にした。
─“俗物”
二人の間で何かあったんだろうか。
今日のマキタさんは言葉が辛辣だ。

乗り換え駅に着いた。
マキタさんとはここでお別れだ。
おそらくもう、会うこともない気がする。
「ヤマノさん、ミッシツ、行きましょう」
マキタさんがサラッと何か、私にいった。
「ミッシツ? 」
─密室?
「行きましょ」
マキタさんが私の背中を軽く叩き、向きを変えさせようとした。
私の頭の中にはいくつものハテナマークが浮かんだ。同時に、バカにされてるのか?、と思った。
「え?‥っと、マキタさん、あたしのこと、好きなの?」
「もう、そういうこという年齢じゃないでしょ」
マキタさんは強めに私の背中を押した。
「はぁー、はいはい。いやいや、いいです。はいはい、イヤです」

マキタさんとは、うやむやな空気になり、そのまま、別れた。
「いずれ個室にも行きましょうね」
と、彼は口にしてあっさりと去っていった。

─マキタさんにあんな一面があったんだ。
私は単純なところがある。職場での彼を一面的でステレオタイプ的に真に受けていたのか。
ほかに誰か、彼のそんな一面に気付いていただろうか。
‥‥‥‥‥。
あれこれ思い起こしてみるが、彼はほとんど常に、そして多くの人の眼に、心優しく、良識の人に映っていたように思われる。
‥‥‥‥‥。
いや、人間って、男女って、そんなもんだよな。いろんな顔がある。そういうのをたくさん、目撃した職場にいたじゃないか。
そして、彼の公私の使い分けはすごい、とも思った。そんなところもある意味、優秀なんだろうな、と思った。

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