好奇心のまま、自転車を走らせた小学生の方向感覚の話
小学校3、4年生の頃だったか、よく、幼なじみと二人で「旅」という遊びをした。
好奇心にまかせて、自転車で見知らぬ場所を走り回っただけの遊びだ。
わりと結構な距離になることもあった。
それがどのくらいの距離だったのか、大人になった今ではわからない。
往復2時間くらいだったか。
地図を持つ発想はなかった。なかったが必ず帰宅できた。
ふと、当時を思い出し、あんなことができた能力は何だったんだろうと考えることがある。
で、思い立ってインターネットで検索してみた。
すると案外、いろいろと気になる話題を見つけた。
空間認識力、経路探索能力。
‥‥頭方位細胞。
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「旅」だなんてたいそうな言いようだが、好き勝手にあちこち、うろつくだけの遊びだった。
子ども用自転車でいろいろな場所に入りこんだ。
路地や生活道路の見知らぬ向こうはもちろん、子どもだったから人の家の軒先やら、草むらやらにわけ入った。工場の裏に回ったら川の土手に出てしまい、自転車を担いで次の橋まで歩いたこともあった。すすきの中で、雉と至近で出くわしたこともあった。
不思議と、あるところで「もう、この辺までだな」と感じ、引き返す。
全移動距離や範囲は、その時々でまちまちだ。
ただ、一度なんかは、隣市の巨大池までたどり着いた。遠足や父の釣りのお供で行った池だ、と途中で気づいた。多分、その時は日曜日で時間もあったのだと思う。現在、その時の距離を検索してみたら直線距離で10㎞弱あった。
帰ってこられる、という自信は常にあった。ただ、見知った場所に戻ってこられると、やっぱりホッとした。
親にはそんな遊びについては言わなかった。心配されると分かっていたからだ。
「旅」のやり方はこんな感じだ。
〈家の方向を感じながら走る〉
主にそれだけだった。
私は起点となる場所の方向を、普段からほぼ、無意識にイメージできていた。自分が移動してもヨーヨーの糸のように感覚がつながっていた。
また、子どもの時は結構、記憶力が良かった。道々の様子が自然と短期記憶され、帰路で役に立った。
行きは、好奇心いっぱい、思うがまま自転車を走らせながら、道を曲がる度、起点の方向が後頭部や側頭部のあたりで左右に振れた。
帰りは、ひたすら、起点の方向を目指した。その時はおでこのあたりで方向を感じた。
ショートカットできそうな道はわりと躊躇せず入った。方向感覚を頼りに軌道修正を繰り返し、家にアプローチする。再び、同じ道などに戻ると、さっきの場所だ、とか、さっき見た!とか、脳裏に引っ掛かっていた目印に安堵し、確信を掴んでいった。
そして、あっ、いつもの場所だ、戻ってきた、みたいな感じで「旅」が終了した。
だいたいこんな風だったと思う。
途中でパニックになったり、諦めて迷子になったりはなかった。大人になった今、自分でも感心する。
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あの「旅」の方法をインターネットで検索するにあたり、使っていただろう能力を考えてみた。
好奇心、体力、方向感覚、認知力、洞察力、みずみずしかった記憶力、リスク察知力、計画力、軌道修正力。
あと‥、勘と臨機応変さ。
なるほど、これだけでも、人間、いろいろな能力を上手く使ってるんだな、と感心する。いろいろな能力の複合や制御なんだろうな、と想像される。
あと、結構、大事だと思うのは、幼なじみという相棒だ。
ちなみに記憶力については、映像に関するものだけではない。匂いや音、感触、その場の気持ちなど、さまざまだ。
例えば、砂利道を踏んだ時の音や平衡感覚、草っ原の青臭さやかゆみ、建物の隙間の薄暗さや冷感、触れた建材の感触などなど。
まだ、町がコンクリートや舗装などで塗り潰されていない頃だったから、彩りよく感覚を揺さぶられたと思う。
あと、私は空間的な感覚が結構、冴えた子どもだった。簡単な立体なら、頭の中で持ち上げ、クルクル回せた。
しかし、やはりなんといってもあの時の
< 起点の方向を常に感知していた感覚 > だ。
“真っ直ぐな命綱”とでもいうか。透明な、多少、太さもあるしっかりした線だ。
自転車に限らず、徒歩でも、建物の中でも座っていても、基本的にいつも無意識に感じていた。さすがに車や電車ではすぐに途切れたが。
さしあたって「方向感覚」とか「空間認知」などのキーワードで検索してみた。
あっさり、いろいろなものが見つかった。
まず気になったのは、この記事。
『空間認識力と経路探索能力における男女差の研究』
海外の研究だ。
(後述で項目C. として再掲する)
「空間認識力と経路探索能力は、
男性:基本方位と距離測定を当てにする傾向が強い
女性:ここでどちらに曲がったなど、ランドマーク(目印)を頼りにする傾向が強い」
なお、女性は空間に対する不安を高いレベルで有するという。未知の経路を探すとき、または既知の場をつなぐ新しいルートを進むときに安全を気にかける人は、より高い傾向にある、とのこと。
なんだ、こういう研究報告があったのか、と思った。
私の「旅」の方法は、これによく当てはまる気がした。男女両方の感覚がともに働いていた気がする。
だが、少し、もの足りない気がした。
さらに検索してみた。
すると、次の説明を見つけた。
『経路探索能力(方向感覚)は“感覚”というべきものではない。
脳、感覚、遺伝子、環境などが絡み合った“働き”、“タスク処理”である。』
これもなんとなく、しっくりくる気がした。
以上は何の専門知識もない私が表層的に検索し、要約しただけのものなので、大意を汲み取る感じでお読みいただけると幸いです。(後述についても同じくお願いいたします)
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さらに にわか知識を得た。主なものを並べてみる。
A. 方向感覚(経路探索能力)
B. A. に影響する神経学的要素
C. (参考)空間認識力と経路探索能力
における男女差の研究
D. (参考)磁気感覚、方向オンチ
A. 方向感覚 **(経路探索能力)
脳、感覚、遺伝子、環境などが絡み合って働く。
感覚は、視覚を始めとする五感はもちろん、五感に含まれない感覚も相まって関与するそうだ。
五感に含まれていない感覚とは、空間における自らの位置やバランスを把握する感覚など、とのことだそう。
ほかに、不安のレベル、自信や自己認識、予測なども関与。
** 先述で、「方向感覚(経路探索能力)は“感覚”というべきものではない。‥‥“働き”、“タスク処理”である」の引用をしたが、便宜的に「方向感覚」という表現のままでいく。以下、同じ。
B. 経路探索能力に影響する神経学的要素
脳内にGPSとも言える仕組みがあり、ナビゲーションに関係する代表的な神経細胞として次の4つが知られるそうだ。
ラットの実験で、それらの細胞が相互に作用し、方向感覚が生じることがわかったらしい。
だが、その結果を人間にどう当てはめられるかは不明だそうだ。
「場所細胞」
「格子(グリッド)細胞」
「ボーダー細胞」
「頭方位細胞」
「場所細胞」は、記憶を司る海馬にあり、自分のいる空間を認知し、記憶する細胞だそうだ。
「格子(グリッド)細胞」は、海馬への入出力を担う嗅内皮質にあり、自分が空間のどこにいるかを認知する細胞だそうだ。
「ボーダー細胞」は、壁際など、環境の端にいるときに活動するそうだ。現実の環境の端からの距離を感知し、他の細胞で認知した空間や経路との誤差を修正しているのではないか、ということだ。
「頭方位細胞」は、自分が今どの方向を向いているかによって活動が変化するらしい。
タクシー運転手に対して行った海外の実験では、運転手は進路に対して頭の向きを計算していると明らかになり、「頭方位細胞」との関係が示唆された。
この実験の記事を見かけた時、私は、引っ掛かる‥、と思った。
私の “真っ直ぐな命綱のような感覚” は、実験結果に照らせば、〈家の場所に対して自分の向きを計算していた〉みたいにいえそうではないか。
そして、併せて、C. (項目として後掲。内容は先述)による知見である〈基本方位と距離測定を当てに〉と〈ここでどちらに曲がったなど、ランドマーク(目印)を頼りに〉を組み合わせれば、私の「旅」の方法をかなり説明してくれそうな気がした。
ちなみに、「頭方位細胞」は、2022年に国内の研究で「北」を好むらしいことが判明した。
ある渡り鳥は親鳥と幼鳥で別々に日本を飛び立ち、それぞれ、違う経路をたどって目的地に向かうのだそうだ。その行動の違いを探ることから突きとめたそうだ。
渡り鳥の場合、磁気感覚(以下D. ①)で方位を感知し、頭方位細胞で向きを調節して特定方向(方角)を目指せるらしい。***
ただ、ヒトの場合は、進路とそれに対しての自分の向きを感じ取れるだけで、細胞レベルで特定の方角を感知できるわけではないようだ。
*** 渡りの方法は他にも、嗅覚、地形学的な記憶、天体を頼るなど、さまざまな仮説や報告がある。
C. 空間認識力と経路探索能力における男女差の研究結果
先述の通り。
D. (参考)磁気感覚、方向オンチ
①クジラ、鳥類などの磁気感覚
イルカ、クジラなどは地磁気を感じる器官が発達しており、鳥類、鮭などは、一説に、磁場で方向感覚と記憶を得るとのこと。
ハトの脳内には、実際に磁気を感知する細胞が発見されている。
人間にはこのような感覚や器官は無いとのこと。
②方向オンチ
方向オンチの原因は、上述のいろいろな機能や働きの度合いのほか、経験や社会性など、複合的なものと考えられるらしい。
また、海馬への入出力を担う嗅内皮質での処理が追いつかない状態なのでは、という説も。
さらに、人それぞれで違う「空間的な“知識”の獲得方法」が一因とも。
これは、空間に関する“知識”を、言葉で表現して形成するか、俯瞰的なイメージで形成するか、みたいな違いだという。
それぞれ、「ルート的知識」と「サーベイマップ的知識」というらしい。
大学生の時の私の友人は極端に方向オンチだった。
例えば、友人はそれまで一緒にお茶をしていた喫茶店を出た時、
「あれ?、どっちから来たっけ」
といった。
私は驚愕した。
どっちから来たのか、分からない?
来た道の記憶はないのか?
駅の方角など、だいたいの見当がつかないのか?
私はその時、初めて方向オンチという状態を実感した。同時に自分の方向感覚について自覚した。それまでは、自分くらいの方向感覚は誰にでも当然あるものだと思っていた。
今、思えばなるほど、その友人は「ルート的知識」のタイプだったのかもしれない。
人とおしゃべりなどして、ルートの言語化や記憶の定着作業をせずに店まで来てしまうと、ルートマップが形成されないのかもしれない。
一方、私は、多分、「サーベイマップ的知識」のタイプだ。
私のイメージするマップは空間的、俯瞰的だ。同時に “命綱のような方向感覚” を働かせれば、寄り道もショートカットも難儀はなかった。
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以上の、たかだか4つ程度の にわか知識で、強引ながら、小学生の時の私の「旅」のやり方をまとめてみる。 ****
私は、
家の場所に対して常に自分の向きを計算し、
基本方位と距離測定を当てにし、
ここでどちらに曲がったなど、ランドマーク(目印)も頼りにし、
空間的知識を「サーベイマップ的知識」の形で獲得、形成し
‥ながら、「旅」という遊びをしていた。
**** 方向感覚については、上記のほかにさまざまな知見があり、未知なことも多々、あるそうです。
上記はあくまでも、そのごく一部でしかない知識であり、それらからの我流の考察です。適度な距離感を持ってお読みくださると幸いです。
さて、こうして自分なりの考察がとりあえず、できたところで、思った。
その能力で、もし、小学生の時の私が自転車で空を漕げるとしたら、どのくらい遠くまで行けただろうか。
渡り鳥とちょっとは、ワタリ合えただろうか。
いろいろな制約や障壁は、勝手ながら全無視する。しなければならない。話が進まないからだ。
例えば、飛行に関する物理力だとか、法令だとか何だとかの規範や制約など。ほかにも大気のこと、地形の関係、飛行物の有無などなど。すべて棚に置く。だいたいそもそも、私に知識がない。
気象状況は極めて良く、地上の目印がよく見通せるとする。
もちろん、足は自転車だ。
自転車が空を漕ぐ某映画みたいな感じだ。
速さは小型の渡り鳥くらいの時速40~50kmとする。
そろそろ、帰らなきゃ、みたいな心配も一切、なく、体力、持久力なども無限だとして、いつも通り、幼なじみと一緒に行くものとする。
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早速、幼なじみと落ち合い、出発。
離陸は広めのあぜ道がいいだろう。
家を出れば、すでに家と後頭部を結ぶ“命綱のような方向感覚”は働いている。
その感覚が初めて高さを経験する。
離陸。
ペダルを漕ぐ足がとっても重い。息がきれる。
数mの高さまで浮いた。
風が流れている。
伸びきった竹林の葉先や防風林が足元になった。緑の匂い、葉の蒸散。
視界が一気に広がる。
買い物や銭湯に行く町がもう、見えた。
ペダルが軽くなり始めた。
興奮と期待が膨らんできた。幼なじみと軽く目を合わせた。
速い。視界がどんどん流れる。
「エリちゃん、市役所!」
と、幼なじみが私に叫んだ
あっという間に知らない町、田畑、工場、川。
「雨!?」
「雨!?」
二人で叫びあう。
なんか‥、冷たかったが一瞬だった。
なんか‥、山。いつも遠くに見えていた低い山々。
後頭部の“命綱のような方向感覚”は、斜め下を向いて左右に振れていた。
地元で愛されている小山はすでに遥か後方だった。
コンクリート造りの小さな城を頂き、市民がハイキングや桜見物などを楽しんだ。園児・小学生には遠足先にもなっていた。歴史好きな人もたまに遠方から訪れる。
もう、速さに慣れていた。
人の頭頂や豆粒のような自動車も見慣れてきた。
ここまでですでに、市役所や工場、スーパーマーケットなどの印象的な建物、川の蛇行、山の重なり具合などが脳内にインプットされていた。
‥‥みたいな感じで自転車が空を走るんだろうと想像する。
目的地はない。関心の向いたところへ好き勝手に走り回る。
(だから、ほんとは渡り鳥との単純な比較はできない)
「ユイちゃん!屋上になんか、字、書いたる」
私が幼なじみに叫んだ。
「どこぉ!?」
「あすこ!」
「ほんとだ!」
公の施設の名称だと思うが、当時の私たちは多分、なせそこに表示があるのかだとかは考えもせず、漠然と流して過ぎただろう。
「エリちゃん!池、光っとる」
「ほんとだ!池の上、行ってみよー!」
「うーん!」
池の光は太陽の反射光だった。近づくとさざ波の色に変わった。水面の反射って鏡みたいに強いんだな、と思った(と思う)。
「アドバルーン、上がっとる」
「ほんとだ!見に行こー」
「エリちゃん!なんか、お祭り、やっとる」
「ゴッチャマンだ!」
「ほんとだ!ゴッチャマン、おる!」
と、叫ぶや、急降下し、イベント参加者のすぐ頭上まで行ってみる。
その後も、
「鳥、いっぱい飛んどる」
「わー、ついてってみよー」
「でっかい工場!」
「煙、出とる~!!変な匂い、しん(しない)?」
私たちの会話はこんな単純な感じだったと思う。
また、山より海が好きだったから、海岸線なぞ、見えたものなら、つたっていっただろう。船が見えただの、海水浴場が見えただのと夢中になって走ったに違いない。
ちなみにアドバルーンというのは、大きな風船や気球に広告を載せた垂れ幕をぶら下げたものだ。昔は時々、百貨店や大規模スーパーマーケットなどの屋上に係留されていた。
そんな風にフラフラ走り回りながらも“命綱のような方向感覚”はずっと、働いている。家の方向は掴んでいる。
走りに慣れてしまうと、ランドマーク─地上の目印 がだんだん、大規模になっていくのだと想像する。それにつれてマーキングの間隔は広がり、間隔が広がれば、より、飛距離が伸びるだろう。
最初に市役所に目を落としたあと、駐車場のある大きなスーパーマーケット、車が走る大きな橋、ターミナル駅、飛行場、湖、特徴的な地形のところ‥。
富士山や琵琶湖、某ランドみたいな小学生でも見まごうことないランドマークを得たなら、飛距離は格段に広がるに違いない。
‥‥どのくらい足を伸ばせるだろうか。
名古屋~大阪間くらい?
もっとか?
寄り道が多すぎると遠くには行けないが。
再三だが、道中、制約や障壁はない前提だ。
あとは、どこで引き返そうと思うんだろうか。何がストップをかけるのか。
多分だが、それは満足感に違いない。
また次の新たな「旅」があると思っているから欲張らないだろうし、今日はこんなもんだな、って感じで引き返しそうだ。
普段の地上の「旅」なら、これ以上は危険、という本能や、日が暮れる、とか、親に心配をかける、という気持ちが働くし、疲労もある。だがそれらが無い前提だ。となると、引き返すきっかけはやっぱり満足感だ。
帰宅。
家の方向は分かっている。ずっと、見えない真っ直ぐな綱でつながっていた。
綱は振り向くなり、後頭部からおでこに接続が変わる。
来た道を複雑に逆戻りするのではない。
ただ、ひたすら綱を手繰り、漕ぐ。
そして、ランドマークが再び、現れると、ホッとしたりする。
結局、私たちはちゃんと帰宅できただろう。
胸がいっぱいだ。たくさん遊んだ。
そして、
「またね~、バイバ~イ」
と、私たちは手を振りあって、いつも通り、それぞれの家に帰るのだ。
夕焼けの中、心地よい疲労と充実感にひたり、家々から漂う煮炊きの匂いにしみじみしながら。(帰宅時間が上手い具合に夕方なのも、雰囲気と充実感をあらわしたいがための方便だ)
結局、子どもの時の私が「旅」に使っていた能力で、空をどれくらい、冒険できたか。
まるっきりの想像だが、今回は名古屋~大阪間くらい。いや、名古屋から琵琶湖の向こう端を確認したあたりで満足したか。
慣れてきたら、日本の地方区分(北海道、東北、関東‥みたいな一般的な7、8区分)の中を巡る感じの冒険ができたんじゃないか。
ちょっと広すぎるか。
私は普段から空想好きな人間なので、想像を展開するスピードが人より少し速いかもしれない。そのため、こんな広大な距離感の空想になるのかもしれない。
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実際の「旅」遊びはいつの間にか終わった。
最後の方ではテーマを持ったりした。
これを社会性が加わった、と解釈すれば、成長といえるのだろうか。
テーマは、“朝顔探し”や“線路の単線、複線、踏切探し”、“変わった犬がいるところ”など、他愛のないものだ。
なにせ、私は田舎の素朴な子どもだった。
商店街が賑わうヒナビた時代で、電車は単線、スーパーマーケットは2種類くらいしかなかった。携帯電話はもちろん、コンビニもなく、テレビは国内のことばかり扱っていた。
“朝顔探し”というのは、ある時、不思議な茶色の朝顔を見つけたのがきっかけだった。
ほかに珍しい種類がないか、幼なじみと探すことにした。夏休み、親に早朝、起こしてもらい、家々の朝顔を見て回った。
茶色の朝顔は、大人になってから「団十郎」という品種と知った。色は海老茶色といった方が的確だ。
当時、子どもにも手軽に使えるカメラがあればよかっただろうな、とつくづく思う。
子ども目線で撮る写真はどんな感じだっただろう。
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非常に残念ながら、“命綱のような方向感覚”は30代くらいから鈍り始めた。
実際の向きと感覚が合わなくなり、変な錯覚をおこすようになっていった。
道をショートカットするとまるで別方向に出てしまったり。
店を出ると、どっちから来たか分からないこともおき始めた。自分でも不思議だった。
ホテル、旅館などでは、以前は食堂や浴場など、一度、行きさえすれば頭の中に館内地図ができたが、今では、部屋を出る都度、場所を思い出さなければならない。
新たな「旅」が始っている?
‥いやいや、そんな旅は楽しくない。
ところで、あの遊びをなぜ、「旅」といったか、というと、当時のドラマの影響だった。
ジーパン姿の青年やワケありの女の子が日本を旅するドラマがあった。その姿にあこがれたのだった。