能力を眠らせて見えた彼女 その2 30年後、ネットで見つけた彩りある姿の話

メミちゃんは、私(ヤマノ)が20代の時、事務員として勤めていた塾で、答案を採点するアルバイトをしていた。
私は彼女とだんだん親しくなり、お家にまでお邪魔する仲になった。
しかし、彼女は30歳で結婚すると、しばらくしてご主人の転勤に伴い、アメリカへいってしまった。
その後、彼女とのつながりはフェイドアウトしてしまった。

あれから‥。
メミちゃんは還暦だ。
私も50代半ば。

そんな年齢に、なって、しまった。
人生の下り坂が目の前だ。どんな風に過ごしていこうか。私、どんな風に過ごしていくんだろうか。
そんなことを考えていたら、メミちゃんの言葉がほしいな、と思った。

─メミちゃんは、この先の老いに、どんな気構えでいるの?

メミちゃんは能力が高く、そつがない人だった。小柄で愛らしい見た目。しかし、そんな姿とは不釣り合いに、妙な落ち着きがあり、物事を自分なりに見極めていて、問へば絶妙な返しをした。
当時の私は、次第に彼女の答えに期待感がわくようになっていった。
彼女の言葉は、私にとっていつも示唆に富んでいた。愚痴や悩みを聞いてもらい、なるほど、と思う答えが返ってきた。
胆力、ユーモア、適度な諦念を持っている彼女。今、この下り坂をどう、歩もうと考えているだろう。

「う~ん‥‥‥。仕方ない」
と、やっぱりいうかな。でもほかに何か、意外な切り口を持っていそうな気がする。

私は、これまでにも、ふと、メミちゃんの言葉を思い出すことがあった。
彼女には、私にとっていろいろな名言があった。

「優しさはいらない、強さが欲しい」
彼女の結婚が決まった頃、“相手に求めるもの”として、彼女はポツリとそう、口にした。
私は、きっと、ご主人は芯の強い人なんだな、と思った。
“癒し”が流行りの時代だった。

出産を目前にした時も、
「どうせ痛いんだから、痛いとか言わないでおこうと思って」
といった。
実際、少なくとも「痛い」とはいわなかったらしい。

彼女とはメールアドレスの交換などしていない。当時、メールが一般的でなかった。
連絡を取るとしたら‥。

メミちゃんとの連絡方法を思案しているうちに思い付いた。
─そうだ、メミちゃんのご主人はスーパーエリートだった。
メミちゃんと結婚した当初は国内巨大企業で研究員をしていた。
SNSの発達した現代、手がかりが転がっているはずだ。しかも幸い、名字が希少だった。

検索結果は簡単に出た。
ご主人の名前、現在の所属、直近の顔写真まで表示された。
─某研究開発センターの特任研究員。
ここへご主人宛にメールか手紙を送るって話になるのかな…。
昔、学習塾でメグミ先生にお世話になったヤマノと申します…。で、メミちゃんとの親しかったエピソードを入れるとか。ご主人とも三回ほどお会いしてる。覚えてないかな。

さらにスクロールしてみた。
共著だが著作物まである…。
学者、著名人が参加する某研究会でパネリスト…。
何か‥、気後れしてきた。世界が違い過ぎる。
私は田舎出身で、大学は出させてもらったものの、大した欲も志もなく、これまで平凡に生きてきた。今はありきたりな主婦だ。絵に描いたような庶民だ。生活レベルはごく普通‥、いや、それは有り難いことではあるが。

でも、メミちゃんだって、昔は手芸や料理などをして過ごすタイプで、今でもきっと、一般的な暮らしぶりの人だとは思う‥。
ご主人も、極めて優秀で好奇心に満ちた人だったが、真面目で普通な感じの人だった‥。
しかし、そういえば、二人の出自は庶民だったのだろうか?
ほんとのところは知らない。
─いやいや、彼らが庶民的かどうかの話じゃない。
私、今の自分に自信が持ててないぞ。

実際のところ、私は連絡をほんとに取りたいんだろうか。
そう自問すると、それほどでもない感じもある。
多分、なにかと物事が面倒に感じる年齢のせいだ。
それと、多分に人生のステージのせいだ。
私と彼女、互いに“共演”相手として面白くて必要だった時期は、職場が同じだったあの時だけだったのだろう。
彼女はアメリカに行ってから連絡がなかった。小さい子どもを抱え、異国での新生活に多忙を極めたためもあろうが。だが、一気に彼女のステージが変わったのだ。私という登場人物は彼女のステージから掃けたのだ。
同様に、私のステージからも確かに彼女は掃けた。だが、幕袖か、控え室くらいにはいた。

友人・知人同士、長年、ずっと続く仲もあるが、私と彼女の間柄は、とりわけ彼女には、その必要が大してなかったのだろう。
まあ、大抵はそんなもんだ。
でも私は、親しくつながった相手とはずっとつながっていたいと思ってしまう。
たまに思い立って、久しぶり、どうしてる?、とか聞いて、相手がどんな風に歩んでいるのか、知りたいし、互いを長く見届けたい。
だけど、大抵の人は、相手との共有の場面が終わったり、時間の経過で関係性が薄れたりすると、“この付き合いは、もういいか”、と感じ始め、“会うこともないしな”と、過去という引き出しに片付ける。
引き出しに片付けられてしまうと、私の場合は正直、結構、寂しい。だから私からは相手を片付けないでおこう、切らないでおこう、となるべく思う。
こういうのって、性分の違いというのか、脳の働き方の違いとでもいうんだろうか。でも、だから相手が片付けるのも、それはそれで自然だとは理解しているつもりだ。

メミちゃんに、今さら、と思われたら、正直、つらい、と思いながらも、だが、もし接触を試すなら時間がない、と私の思考は固まった。
ご主人はメミちゃんの高校の同級生だから、メミちゃんと同じく還暦だ。定年退職し、繋がりを見失ってしまうかもしれない。

でも、こんな用件の手紙やメール、いいトシして職場や代表アドレスに送ったりしたら、やっぱり非常識だよな?
でも、このまま、会えないのも、ちょっと寂しい。
寂しい‥かぁ。これって、自分の年齢がそう言わせてるな。
でも、彼女も、再会を喜んでくれる気はするんだけどな。相変わらずだね~、っていいそうな。
彼女も今までに一度くらいは私を思い出してくれていると思うし。
例えばもし、彼女が私に連絡しようと思い立ったとしても、私の連絡先は時代に埋もれて探せないだろう。
あ~‥‥。
この“でもでも”な悲観。
私、自信を見失ってる。気持ちがトシを取ってる。

そういえば、メミちゃんの娘さんたち‥、社会人だ。SNSで検索すると出てくるかもしれない。
知る限り、三人。

ご主人同様、あっさり出てきた。
一人は医師だった。氏名が一致し、「新規着任の医師の紹介」としてアップされていた。笑顔が両親に瓜二つ。きっと間違いない。
もう一人は、修士論文レジュメに名前を見つけた。研究室の集合写真もあった。簡単に笑顔を見つけた。
もう一人は見当たらなかった。

─きっとメミちゃんは元気だろう。
そんな気がした。
メミちゃんが第一子に恵まれた時に口にした言葉が、そう思わせた。
「何者かになりたかった。だけど子どもができたら、そんな気持ち、全部、無くなった」
私はずっと、彼女のことを、能力を眠らせるドメスティックな人とばかり思っていたが、実は、“何者か”になりたかったのだった。当時、そう聞いた時、私はハッとなった。
─娘たちはそれぞれに“何者か”になっている。だから彼女はさらに満たされているに違いない。
もう、私、そう思えたことで、いいんじゃない?
と思った。

しかし、突然、気がついた。
─待て待て。彼女本人の名前で検索すればいいじゃないの。
私はやっぱり、彼女をドメスティックな人だと決め付け過ぎていた。
そして、出た。
「地域福祉ボランティア 生活支援係員 ◯◯ めぐみ」

─ホント?
彼女がこんな活動、するかな。
でも、なかなかない名字だしな。地縁にも違和感がない。
それに、よく考えたら向いてなくもない。彼女は物怖じをしない。対人構築も飄々、淡々と行う。
人生に余裕ができた人は、社会貢献を通じて人生の恩返しをする人も多い。社会貢献を、富める者の義務とする考え方もある。彼女の場合、それのような気もする。
海外生活の経験も役にたつはずだ。

─ネットって便利だな。
と思った。
私は私自身を検索しても何も出てはこないが‥。
あ~~~。
だめだ、私、人と比較してる。
ネットに載るとかどうとかって、何!?
結局はその人自身の有り様だ。
なら、私は‥。
あ~‥。
仕方ない。比較しちゃうよな。もう、いいよ。

こんな風に誰かのことを考えるほど、自然と自分自身の振り返りになってしまうもんだな、と思った。
昔、メミちゃんを前にすると、彼女が飄々、堂々、淡々としていて、自然と自分が少し情けなくなることがあった。
彼女と再会してもいないのに、今の私、これじゃあなぁ、と思った。
それに、メミちゃんには若い時にも、生き方 みたいなものを聞こうとして、臆して聞けなかった。今また、繰り返しになってるし、と思った。

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