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短編

厭になる。肌を焼き付けるような日差し。髪を靡かせる風は一瞬にして通り過ぎ、夏の匂いだけを残して去って行く。照り返す光は翳を揺らし、哀しく波が攫って行く。定まらない焦点を水平線に目を向ければ、純粋な輝きを返された。目を伏せても、眩いほどの憧れを認識させられてしまう。青の世界へ行くための階段を、一歩ずつ進む。足から伝わる感触が柔らかなものになり、白を踏み締める音がする。履いていた靴を脱いで、防波堤の下へ置いていく。掛けていたボディバッグも砂に落として。
薄い白のカーディガンと、細身の体型がよく映える黒のタイトパンツ。色素の薄い髪と陶器のような肌が濡れることをも躊躇わず、透ける世界へ足を踏み入れた。
「そこのお兄さん。海に入るならもう少しマシな格好をしてくればよかったのに」
気配を感じさせることなく背後に立たれていたらしい。ゆっくりと振り返れば、純白のワンピースに身を包んだ少女。本能で解る、夏が連れてきた幻影なのだと。関わってしまっては二度と戻れない。そして、自らの人生を諦めることが、二度とできなくなるだろうことも、頭では解っているのだ。だから背を向けようとした。また一歩進んだ。
「お兄さん、この夏本気で生きてみる気はない?其の後のことはどうでもいい、今この瞬間を、生きてみる気はないかい」
決して逸らされない視線。風に飛ばされた麦わら帽子の下に隠されていた星の瞳。其の瞬間、とらわれてしまった。心の奥底から、この人に賭けてもいいと思えるくらい、堕ちた。

これから語るのは、——使い古された表現だが——本当に一夏の、二度とは帰ってこない『君』との話だ。

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