霊獣? 和泉式部墓の守り主
そんな歌で有名な和泉式部のお墓が神戸市北区藍那という場所にあるのを知ったのは、ちょうど和泉式部に関する舞台脚本を書こうとしていた時のことでした。
藍那という場所は神戸市民でももしかすると馴染みがないかもしれませんが、源義経の鵯越ルートの起点になっていたり歴史的な"秘境感"のある味わい深い町です。
ここにかの和泉式部のお墓があるということをネット情報で知った私は早速神戸電鉄を乗り継いで藍那駅まで行ったのですが、"ほんとにこんなところにお墓が?"とめちゃくちゃ不信に感じた記憶があります。
あまりに普通の田舎町と歴史感が全くそぐわなかったからです。京都とかに感じる歴史と生活が一体になっているあの感じが全然なかったんですね。
しかもよくよく調べるとこの和泉式部のお墓が建立されたのが南北朝時代ということで、「あれ? 時代違うくね?」とますます怪しさ満載です。
私は意を決して、たまたま出会った住人に「和泉式部のお墓ってどっちですか?」ときいたら丁寧に場所を教えてくれました。そしていよいよ本題の「これって本当に和泉式部のお墓なんですかね?」とぶっこんでみたところ、「さあ、どうなんでしょうねえ」とアハハな笑いが…。
つまり住民すらこれがガチ和泉式部墓とは思っていないようです。
そうしてようやくたどり着いた和泉式部墓。……、微妙。。。。ぽいと言えばぽいし、なんだか小さすぎるような気もするし。。。
しかしその時です。墓を挟んでわずかな原っぱに突然現れたのは、まさかの野生の鹿でした。あまりに唐突な野生獣の出現に私は完全に硬直し、がっつり鹿と目が合いました。
鹿と言っても奈良公園の鹿のようなのではありません。もののけ姫感たっぷりのまさに神獣というべき巨躯と品格を纏った鹿です。
次のリアクションが全く思い浮かばない私に鹿は一言「キィ」と小さく鳴いて小走りに去っていきました。
あとで調べたことによると、南北朝時代にいわゆる"井戸掘り"というお坊さんビジネスが盛んで、和泉式部やら紫式部やらのお墓を営業手法的にあちこちで作っていたそうです。
そうなればますます眉唾ものの和泉式部墓ですが、あの神秘的な鹿との対峙があったせいで、一笑にふすこともできないという、なんとも妙な体験でした。
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