《富倉田植唄》~山村で歌われた古風な田植唄(長野県飯山市)
富倉は、飯山市の北部、北信濃から越後へ抜ける交通交易の重要なルート沿いの集落でした。この富倉には数多くの民謡が歌われていました。ここに大変古風な《田植唄》があります。
唄の背景
豊作を祈るための田植唄
富倉は松田川沿いに点在する山間の地で段々畑と水田がわずかばかり目に入る土地です。江戸時代までは信濃、越後の国境の地で、海産物や木炭を運搬する姿があったそうです。
富倉は豪雪地、しかも山間地であって、厳しい自然環境のなかでの農作業は大変なことであったかと思います。古い時代の稲作は農民の生活には切実でした。特に豊年満作を期待する田植えは大切な作業で、各地に田植え神事が残されているように、田植えには民衆の祈りが込められていました。そのため「田植唄」は、単純に苗を植える際の作業の唄ではなく、祝い唄としての性格を持つ唄でした。
ところで、この唄の歌詞は、甚句形式の7775調ではなく、古風な祝い唄などに残されている75574調で、その後に他の人々が574を返しとして付けて歌います。従って75574+574調という詞型になっています。
〽︎五月が来れば(7)
思い出す(5)
おらが殿(5)
水掛け論で(7)
討たれた(4)
[返し]
水も水(5)
夜水の論で(7)
討たれた(4)
各地の古調の祝い唄とのつながり
この75574調の民謡は、田植唄としては北信地方にいくつか歌われていました。
長野県内でも、木曽郡木曽町の旧開田村では《大根種》という祝い唄が同型の歌詞です。
〽︎目出度いものは
大根種
花咲きて
実りて俵
重なる
また、近年《開田嫁入り唄》として知られるようになった《コチャ節》も同型の歌詞で歌われています。この75574調の詞型の唄は「コチャ」とか「コチャエ」といったハヤシ詞を伴って、踊り唄や酒盛りの唄にも変化し、江戸では《お江戸日本橋》として歌われるようになります。しかし、元来はこうした古調の祝い唄が源流でした。
また、新潟県十日町市等、魚沼地方を中心とした地域では「天神ばやし」という祝い唄が知られていますが、上記の《大根種》と共通する歌詞もあり、同系統の唄とされています。いろいろな歌い方があるようですが、富倉の《田植唄》と同様の75574調の歌詞もあります。
〽︎目出度いこれの
お台所
お釜八つに
後ろに蔵が
九つ
なお、この75574調は長野県以外でも「田植唄」等の祝い唄だけでなく、「麦打唄」「酒盛り唄」「盆踊り唄」として伝承されています。
音楽的特徴
拍子
無拍節
音組織/音域
律音階/1オクターブ
※律音階は、盆踊り唄や騒ぎ唄などに多い民謡音階とは異なる雰囲気をもっています。
歌詞の構造
前述のとおり、75574調を基本として、574調の返しが付きます。この返しは下の句の574の歌詞部分を繰り返すのが基本ですが、歌い出しに使われる、〽︎五月が来れば― のみ、詞のストーリーに続けた歌詞となっています。
〽︎五月が来れば 思い出す
(ハイ上手)
おらが殿
コラ水掛け論で 討たれた
[返し]
ハァー水も水
コラ夜水の論で 討たれた
演奏形態
歌
掛声
返し
※歌に続けて返しの部分も一人で続けて歌うことはできます。
下記には《富倉田植唄》の楽譜を掲載しました。
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