否定される怖さ
本日、とあることを頑張りたいので
夫に相談した。
めちゃくちゃ否定される怖さがあった。
まぁ、全ては話していない。
相手に理解できるように話した。
そうか、相手に理解して欲しいというのは
こちらの願望だ。
願望で目的は果たせるか、ノーだ。
私の目的は理解ではなく
協力してもらうこと。
だって私も相手のことを100%理解はできない。
だから相手もわたしのことを100%理解は難しいであろう。
ただ、我々は家族である。
幼子がいる。
そして私と夫は娘を深く愛している。
私と夫は娘を養育するという
義務?使命がある。
お互いに協力しあう必要がある。
協力が必要なのは
相手の立場にたって理解してもらうこと。
私の立場ではなく。
それならば、相手に理解できるように
言葉を変換しなければならない。
誤魔化しではないという正論になった笑。
タイトルから離れたが否定される恐怖は裏返せば
相手への依存なのかもしれない。
幼少期に愛を、青年期に自己を、
確立できなかった自分の。
そこから少しずつ脱却したいと思う。
もう私は大丈夫よと少しずつ
自分を安心させたい。
今日はそういう意味で進歩できたと思う。
夫君に言うことはできた!!
投げやりではなく、、
嫌われても良いではなく
私を出していこう
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