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「glee」デビューへの道~クリス・コルファー

ここまで、「作家」としてのクリス・コルファーさんに光を当ててきましたが、「俳優」としての顔についても、追っていきたいと思います。

2つの「虫」にとりつかれて

▼ 7歳から物語の執筆を始めたクリスさん。

演劇をするようになったのは、いつからなのでしょうか?

クリス:自分は、ずっと前から役者でした。
子どもの頃…7歳頃ですが、僕は「演技の虫」と「物書きの虫」に同時にとりつかれたんです。
子どもにとっては、この2つは形が違うだけで、どちらも「物語を伝える」ものでしたから。
本質的に僕は、物語を伝えることに一番情熱を感じるのです。

僕は、祖父の管理する教会で歌を歌い始め、また、学校で演劇を始めたことから市民劇場で演じるようになりました。

ー クリス・コルファー 2020.11.19 OUT FRONT誌インタビューより
https://www.outfrontmagazine.com/featured/inside-the-magical-world-of-chris-colfer/

なんと、執筆も演技も、7歳から始められたのですね!

歌は、祖父母が委託されていたニューエイジ思想の教会で歌い始めたんだ。僕の故郷では前代未聞の教会だったね。
(中略)
僕は5歳から、祖母がピアノを弾いて、好きな歌を歌わせてくれた。そうして、歌を教えてくれたんだ。
祖母が亡くなった今、そのピアノは僕が持っているよ。

ー クリス・コルファー 2020.2.14  シャー・マーゴリスさんとの対談より

歌は、あの厳しいおばあちゃんから、教わったのですね。
小学4年生のときには、「You’re a Good Man チャーリーブラウン」のスヌーピー役で才能を現していたそうです。
(KMPHニュース https://youtu.be/gQC_M8o1iRo

 

才能を理解されず

しかし、クリスさんは、思わぬ壁にぶつかってしまいます。

僕が育ったのは、とてもとても保守的な町で、人と違うことは受け入れられない土地でした。「高い声をしている」というだけで、のけ者にされるような…。たったそれだけのことで、です。
だから、僕がしゃべるのを聞いた人たちは、たとえ大人や教師であっても、そういう目で僕のことを見てきたのが忘れられません。

僕は、とても器用なシンガーで、「Defying Gravity」みたいな(女声の)歌を、誰にも負けないくらいに歌えたし、「オペラ座の怪人」の高音パートも全部歌えました。
しかし、合唱団のどの指揮者にとっても、あるいは、どの演劇の教師にとっても、それはかえって、僕が使い物にならないということを意味していたのです。

ー クリス・コルファー 2019.11.12 対談「インパクト・セオリー」より
https://youtu.be/bFIdD57Xz84

クリスさんの持ち味の高い声が、当時の地元では受け入れられなかったのです。ちなみに、このときはまだ、ゲイであることはまだ隠していました。


夢への情熱だけが友達

クリスさんは、この町を出て成功することを目標に、努力を重ねられました。
学校ではいじめられていて友人はいなかったそうで、本当に孤独に、夢だけを抱きしめてこられたのでしょう。
それは、「今よりもっと良い人生へ向けて、宝の地図を作っているようなもの」であり、「それが本当に、その後の自分のためになりました。」とおっしゃっています。(「インパクト・セオリー」より)

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クリス:大人になるまでは、成功したい気持ちや、希望や、目標や、夢…そういったものだけが、文字通り、僕が持っている全てだったんだと思います。
家庭は裕福ではなく、美男子でもスポーツマンでもありませんでした。
演技と歌と執筆はできましたが、若者にとって、そういうことを発揮できる場は多くはありません。少なくとも、僕が若かったときには、ありませんでした。
なので、成功への願望だけが、ある意味、僕の想像上の友達になりました。それは、「サバイバル・ツール」であって、自己陶酔などではなかったのです。

ー クリス・コルファー 2019.11.12 対談「インパクト・セオリー」より
https://youtu.be/bFIdD57Xz84


「glee」への出演が決定

クリスさんの夢にはご家族も協力を惜しまず、お母さんは片道4時間かかるオーディションに、毎回車で送ってくれました。
そうした苦労が実って、ついにFOXテレビのミュージカルドラマ「glee」への出演が決まったのです。

その後、友人の友人が、ハリウッドでエージェントをしている友人を持っていたものですから、14歳頃から、ここロサンゼルスでのオーディションに通い始めました。
そして4年間は何も得ることができぬまま、月に1回か2回、様々な映画やテレビのオーディションを受けていたのですが、高校を卒業してすぐに「glee」の仕事をいただいたのです。
僕は大学(コミュニティ・カレッジ)に2週間在学したのち、番組に出るために退学しました。  

ー クリス・コルファー 2020.11.19 OUT FRONT誌インタビューより
https://www.outfrontmagazine.com/featured/inside-the-magical-world-of-chris-colfer/

当初、車いすのアーティー役を希望してオーディションを受けたものの不合格になり、その後、わざわざクリスさんに合わせたカート役が作られて採用されました。
それだけ、制作側に強い印象を残したのでしょう。

一躍、スターとなったクリスさんは、地元テレビのインタビューにこう答えています。

クリス:正直言って、10歳ぐらいからずっとこうなる(プロの俳優になる)のを期待していました。でも、こんなに早くかなえられて幸せです。

ー クリス・コルファー 2009.9 地元フレスノ市のテレビKMPHニュースより https://youtu.be/gQC_M8o1iRo

小さなころからの夢がかなったのですね。


▼ お母さんによる、2008年10月29日の写真とコメント。

「私の息子。Mr.ハリウッド。彼は今、本当に、gleeという作品のパイロット版を『FOXスタジオ』で撮っているのよ。」

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母親として、どんなに嬉しかったことしょう。
しかし、キャリンさんも、思わぬ騒ぎに巻きこまれることとなりました。

▼ こちらに、つづきます。