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13歳、スパイスカレーに出会う。

2021年10月30日 20歳ときに福岡県大牟田市に「Curry Toiro」をオープン。完全予約制カレーのコースのお店。
2024年3月31日 23歳のときに「Curry Toiro」閉店。

30ヶ月間のカレー屋での日々と、カレー屋になるまでのことを綴ったnoteです。

前回までの記事では、僕がカレー屋さんになると決めた頃のことについての話。今日はもう少し年齢を遡って、僕がスパイスカレーと出会った頃を思い返してみたい。

13歳、 スパイスカレーに出会う。

いわゆるスパイスカレーとの出会いは13歳。
近所にインドカレー屋さんができたことを知った僕は、祖母に運転手を頼んでそのカレー屋さんに行くことにした。

初めて訪れたインドカレー屋さんで食べたカレーは、家で食べるカレーとはまったくの別物で、当時13歳の自分には食べたことのない未知の味だった。

同時にスパイスを組み合わせてつくるカレーって、なんだかおもしろいなと思った。
すでに趣味で料理をしていたから、自分でもスパイスを買って、いちからカレーを作ってみたいと思った。

図書館で本を借りたりネットで調べたりしたんだけど、聞いたこともない、知らない名前のスパイスがいっぱいあることにまず驚いた。カレーの種類も自分が思っている以上にたくさんあるんだなと思った。どんな味なのか、どんなカレーなのか、まったく想像がつかない。

ちなみに、それまでの僕の家のカレーはいわゆる市販のルーで作るカレー。たまにカレー粉でドライカレーを作ってくれるくらいだったと思う。スパイスが家の台所にはなかったし、親との会話の中でスパイスの話が出てきたことはない。

夜な夜なカレーを作る

そこからどんどんカレーの世界にのめり込んでいくことになるんだけど、知れば知るほど、調べれば調べるほど、さらに知らないことが出てくる。

スパイスの名前、使い方、どんな調合でカレーを作っていくのかなどなど。追いかけても追いかけても追いつけないというか、その感覚が僕はとても楽しくて、何度も何度もカレーを作った。

なぜか夜になるとカレーが作りたくなる。家族がソファに座ってテレビを観ているそばで台所に立ちカレーを作り始めるんだけど。すでに就寝前でリラックスしている家族からは、たまにブーイングがあがった。「やめて、目が覚める!」と言われることもあった。今思えば、就寝前に起こるちょっとしたテロだなと思う。

失敗続きのカレーづくり

興味を持ってはじめたカレー作りだったけど、とにかく初めの頃は、自分のつくるカレーって美味しくないなと思うことばかりだった。

まだカレー歴が浅かったこともあるけれど、そもそもどんな味がおいしいカレーで、どんな味がおいしくないカレーかもわからない状態だったのだと思う。だから失敗だと思うこともなかったけれど、正解の味みたいなものがまったく検討がつかなかったのだ。

本を見る限り、レシピどおりに作ってるんだけどな
自分の好みに合わないだけかな
それとも、どこかで失敗してるのかな

とにかくわからない。

わからないから、また違うレシピで作ってみる。だけど、また美味しくないカレーができる。美味しくないカレーしか作れないことが次第に悔しくなって、さらにどんどん作るようになっていった。

今思えば、スパイスは自分のお小遣いから買った分も多かったけど、それ以外の食材は冷蔵庫にあるものを使っていた。親としては「おいおいそれ明日の分の食材なんだけど」と思っていたりしたんだろうか。そういうのも思い出せないくらい、とにかく夢中で、毎日のようにカレーを作っていた。

今は自分が納得する美味しいカレーが作れないでいるけれど、きっといつかおいしいカレーが作れるはず! そんな自分への期待があったのかもしれない。そして自分なりにおいしいと思えるカレーが作れるようになったのは、それから5年ほど経った頃のことだった。

時間の経過だけみると、長いし、よく粘ったなとも思うけど、当時はそんなこと考えてもいなくて。ただただ追い求めていたら、いつのまにか5年経っていたっていうだけ。

14歳、カレーの食べ歩きをはじめる

自分でスパイスカレーをつくると同時に、もっとプロのカレーを食べてみたいと考えた僕は、この頃からカレー屋の食べ歩きを始める。

僕のつくる「おいしくないカレー」と、プロがつくる「おいしいカレー」のどこが違うのか比較したい気持ちも強かったと思う。

ガイド本やネット情報を頼りに、毎週毎週、カレー屋巡り。自宅から福岡の中心部(天神や博多)までは電車で片道1時間強。往復すると2,000円ほどの運賃がかかる。

県内にとどまらず、九州各県、屋久島、大阪、東京まで足を伸ばして食べ歩きを続けていた。そうなると自分のお小遣いでは賄えないわけだけど、お年玉を使ったり、親にスポンサーをお願いして出してもらっていた。高校生になってからはカレー屋でアルバイトもはじめて、稼いだアルバイト代をまたカレー屋巡りに注ぎ込む。そんな高校生時代。

カレー屋巡りをすることを親から反対された記憶はない。ただ当時はまだ中学2年生だったから、遅くならないようにね、気をつけていってきなさいよっていうのは、毎回言われていたかなあ。


カレー屋に行くときは、できるだけキッチンに近い席を選ぶ。キッチンの中が見える席や、カレーをつくる手元が見える席。そしてタイミングを見計らって店主さんに声をかける。

会計の際に声をかけることもあったけど、当時14歳という年齢もあったのか、店主さんから声をかけてくれることも多かった。14歳の少年がひとりでスパイスカレーを食べにくる。僕にとっては普通のことだったけど、珍しいことだった思うから、「1人で来たの?どこから?」そうやって声をかけてくれる人も多かったのだと思う。

でも店主さんから声をかけてもらえると、僕としてはありがたかった。その流れでカレー作りのことが聞けるから。「自分でもカレー作ってるんですけどなかなかうまくいかなくて」とか「出来上がったカレーが粉っぽくなるんです」とか、そのときに聞きたいことを聞いてフィードバックしてもらっていたと思う。

今の僕が同じことをできるかというと自信がないけれど、14歳の僕は臆せずやっていた。嫌な顔をする人なんてほとんどいなくて、みんな親身になって質問に答えてくれたり、その日食べたカレーについて、そのどんなスパイスを使ってたりとか、どんな調理法を使ってるなんてことも快く教えてくれた。このときのやりとりが、僕がカレー屋をやろうと決めたときの大きな要因になっていると思う。

カレー屋さんで教えてもらったことを家で実践してみる。その結果を伝えに、またカレー屋さんに行く。

そうやって食べ歩いたカレー屋さんは、5年間で約300軒ほど。1年あたり60軒ほどだから、1ヶ月5軒。ほぼ毎週カレー屋さんに行っていた計算になる。実際は1回の外出で2〜3軒めぐることもあったし、遠出(関西や関東)しての食べ歩きのときは、1日5〜6軒めぐることもあった。

カレーには人柄が出る

カレーには人柄が出ると思っている。それはカレーをつくりはじめた10代の頃も思っていたし、今も変わらず思っていること。優しい感じ、マイルドな感じ、刺激的な感じ、スパイシーな感じ。

自分から見たその店主さんのイメージがそのままカレーの味になっている人もいれば、自分から見る店主さんのイメージとは真逆のカレーの場合もある。そういうギャップもおもしろいなと思ったし、カレーを通じて、店主さんの人柄を知ることもあったように思う。

ちなみに僕の作ったカレーを食べた人たちからは、よく「優しい味」だと表現される。スパイシーなカレーを作ったときにもなぜか同じような反応をもらうことが多く、それがなぜなのかはいまだに謎。同じ食材、同じスパイス、同じ環境、同じ作り方でカレーを作っても、結局は作りての“何か”で味は決まっているのかも。


現在、僕は23歳。こうやって10年ほど前のことを思い出してみると、悲しい気もするけれど、あの当時、スパイスカレーに感じていた楽しさとかワクワクは減っているように感じる。
大人になるって、そういうこと?

同時に、10年間、スパイスカレーづくりを追い求めてきて、やり切った感もある。
自分なりの知識や体験は積み重なってきたなと。

12歳の頃の話

そもそも料理をするようになったのは12歳のときに体調を崩したことがきっかけ。病院での診断は過敏性腸症候群。とにかくお腹が痛くて、食べたらトイレに直行。しばらくトイレから出てこれない。

あまりに辛くて、どうやったら治るんだろう、お腹に優しい食材や料理ってあるのかなとネットで調べ始めた。そこから食べ物に興味を持ち、料理に興味を持ち、それがいつしかカレーとなり……という流れ。お腹が痛かったという経験が実は僕の原点。そんなネガティブ経験からカレー屋につながるなんて、自分のことながら人生っておもしろい。

それに幼い頃から、とても偏食だったと思う。好き嫌いが多い、食べれないものが多いというよりは、食べたいもの/食べたくないものがはっきりしているタイプ。あ、でもこれは好き嫌いなのかな。

6歳とか7歳のときは果物がとても好きで、でも果物って旬があるから、1年じゅういつでも食べれるわけじゃない。なのに「今、梨が食べたいんだ!」と癇癪を起こしたりしていた記憶もある。親は困っただろうな。

3歳のときは、親が目を離したすきに、鍋いっぱいのおでんをたいらげていたこともあるそうだ。
偏食はあるけど、食べるの大好き。
そんな子供時代だったと思う。

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