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囲碁史記 第141回 第三期本因坊戦


予選

 第三期本因坊戦の予選が開始されたのは昭和十八年七月、本因坊(関山)利仙と橋本宇太郎による第二期本因坊戦の挑戦手合が利仙の入院というアクシデントで中断され、対応が検討されていた時期である。
 第三期の挑戦手合第二局は、広島で昭和二十年八月、原爆投下の日に行われ、「原爆下の対局」として知られている。これについては囲碁史記シリーズではないが、既に紹介しているのでそちらをご覧いただきたい。
 今回は第三期の予選と原爆投下による中断して以降、再開後について紹介していく。 

 第三期の予選については前回同様、五段級からスタートしているが、空襲により棋院会館が焼失し、詳しい資料は残されていない。
 戦時下の紙不足により新聞各紙の紙面が半分となり、毎日新聞の囲碁欄も昭和二十年三月に姿を消している。後に開催する挑戦手合も第六局まで新聞に掲載されておらず当時の情報は極めて少ないが、岩本薫氏の手記などを基にすると、七段級までの結果は次のとおりと言われている。

第三期本因坊戦予選トーナメント

 七段級までの予選で勝ち上がった、岩本、藤沢両七段、村島、高川両六段、中村五段の五名に加え、瀬越、加藤、木谷、呉の各八段の間で行われた八段級予選は、全成績表は残されていないが、各自四局ずつ対局したといわれ、八段勢は全滅し、藤沢、岩本両七段と中村五段の三名により挑戦権をかけたリーグ戦が行われた。
 結果は次のとおりである。

・昭和二十年四月四日・五日
 △岩本 中押 中村
・日時不明
  藤沢 手番目数不明 中村
・昭和二十年四月二十六日~二十八日
  岩本 中押 藤沢
◎岩本二勝、藤沢一勝一敗、中村〇勝二敗

これにより挑戦手合で本因坊昭宇へ挑む相手が岩本七段に決定する。

挑戦者に決まった岩本薫

挑戦手合第二局までの推移

広島開催の経緯

 第二期本因坊昭宇こと橋本宇太郎は相手の病気による棄権という形で本因坊となり、また娘を亡くし、就位式当日に葬式を行うという不運にも見舞われ、防衛戦には並々ならぬ想いがあったことだろう。

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