囲碁史記 第7回 織豊時代の碁打ち
碁打ちの立場と浸透
室町時代の後半、戦国時代と呼ばれる時期になると多くの「碁打ち」と呼ばれる人達が登場する。十六世紀中頃を過ぎたあたりで、末期には江戸時代へと続く本因坊たちが登場するが、その一世代前の碁打ち達である。代表的な人物として初代本因坊算砂の師匠といわれている仙也をはじめ、宗心、樹斎、庄林など多くの上手達がいる。
当時の公家や神官などの日記類にはこれらの碁打ちが多く登場している。それまでは囲碁の愛好家といえば僧侶や公家などが中心であった。しかし、織豊時代(織田信長や豊臣秀吉の時代)になると急激に財力を増していった堺の町人などにも囲碁は普及していったようだ。
本因坊算砂の師匠といわれる仙也が戦国武将の細川幽斎と共に厳島神社(安芸国)へ行ったと思われる記述がある。
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