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日本初の打碁集『碁傳記』の販売について

 江戸時代初期に刊行された、日本初の打碁集『碁傳記』(翻刻版)をPDF形式のデータで販売します。
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『碁傳記』について

 『碁傳記』は京都の版元久須見九左衛門が慶安五年(一六五二)九月に刊行した棋書。
 現存する木版棋書としては、慶長一二年(一六〇七)に刊行された本因坊算砂の『本因坊碁経』、寛永年間(一六二四~四三年)に作成されたと言われる『玄玄碁経』に次ぐもので、打ち碁集としては日本最古のものである。
 一般には出回らなかった『本因坊碁経』や『寛永版玄玄碁経』に比べ、誰でも購入できた『碁傳記』は、棋力向上のための教本として江戸時代に七回にわたり版を重ねてきたが、明治以降は秀策流布石の普及にともない顧みられなくなった。
 しかし、江戸時代前期の囲碁を知るうえで貴重な史料であり、これによって当時の多くの無名の打手の闊達自在な打ち方を見ることが出来る。

販売DATA詳細

〇『碁傳記』上巻・下巻セット
〇様式 PDFデータ(モノクロ) B5判サイズ
〇内容
 ・慶安五年九月上旬刊行の初版を基に棋譜作成ソフトにて作成
 ・先又は互先の棋譜は黒先で統一。白先の棋譜は棋譜上欄にその旨注記。
 ・原本には無いが、詰碁の解答図を掲載。失題の四図は削除。
  内訳 『碁傳記 上巻』 52ページ
      吉備大臣入唐説話、打碁 四十八局
     
『碁傳記 下巻』 60ページ
      
打碁 四十二局、詰碁 一五題、あとがき
※ダウンロード方法
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『碁傳記』の詳細

一.構成

 ・全二巻
 ・ 冒頭に『吉備大臣入唐説話』を収録。
 ・ 打碁九〇局、対局者四〇名。 ※詳細は下記に掲載。
 ・ 詰碁一九題、解答図なし。
 ・ あとがきと刊行年月が記されている。

二.『碁傳記』作者について

 作者の久須見九左衛門は『碁傳記』の中で打ち手として二四局に登場している。これは算知の二九局に次いで多い。別人で九左衛門の名があるので、単に久須見と記されている。
 久須見は『碁傅記』で打ち手・作者・版元を兼ねているが、その経歴等は不詳である。所在地は京都烏丸通七観音町。
 江戸初期には、寺院が多く仏典を印刷する需要が多かった京都に木版印刷を手掛ける業者が集中していたが、久須見は版元としてこれら職人を抱えるか、彼らに仕事を与える立場にあった人物と考えられる。掲載されている「吉備大臣入唐説話」は、仏典の翻刻のために出入りしていた寺院から提供を受けた説はではないかという説もある。
 臨済宗・鹿苑寺(金閣寺)の住持から相国寺九十五世住職となった鳳林承章の日記『隔蓂記』によると、明暦三年(一六五七)六月二六日に、風林承章が安井算知を始めとする安井家一門と久須見九左衛門を招いて碁会を開いたという記述がある。この時、久須見とは初対面と記されている。

三.収録棋譜の特徴

(一)収録された対局者
 我が国最古の打碁集である『碁傳記』に収録された棋譜は江戸中期以降に作成されたものとはかなり様相が異なる。久須見本人が相当の打ち手であったことから、採録した棋譜は当時のものが主となり、それに、本因坊算砂や中村道碩などの過去の棋譜が加えられている。
 対局者は家元当主、家元の弟子、その他に分類されるが、囲碁が専業(プロ)化して間が無いこの時代は、まだプロとアマの実力にあまり差はなく、後に名人となる算知が先で哲斎に敗れた棋譜なども収録されている。
(二)『碁傳記』の棋譜とその後の棋譜の相違点
・先又は互先で白先の棋譜が二五局ある。
 白先から黒先へ移行したのは室町時代とされているが、江戸時代初期には充分浸透していなかった。
・対局年月日の記載が殆どない。対局場所の記載も同様である。
・対局者は名前だけが記述され、苗字が記載されていない。
・先が誰なのか記載されていない局が二三局ある。
 対局者の名が記載されているので推定出来るものもあるが、これが不能な場合は棋譜としては不完全である。

 後に出される打碁集と比べると不完全な面もあるが、江戸初期に四〇名の打ち手による九〇局の棋譜が刊行された成果は大きいと云わなければならない。

四.対局者

 対局者の苗字が記載されていないが、関節蔵が「報知囲碁講義録」一三(昭和三年九月)にて解読した結果を発表しているので下記のとおり紹介する。

道碩
  中村道碩。本因坊算砂の高弟。算砂の遺命により算悦を指導して本因坊二世とした。史上最強の棋士は誰かと考えたときに、江戸時代には林元美、明治時代には高崎泰策、大正、昭和時代には高部道平らが道碩の技術を高く評価している。
因碩 井上因碩。中村道碩の弟子。
算悦
  二世本因坊算悦。安井算知との六番碁は四局を収録。算知より六歳年長。
南里
  南里與兵衛。算悦の門人。本因坊家では道策の時代まで師範代をつとめている。
算知
  二世安井算知。天海に認められ、家光の異母弟保科正之の愛顧を受け、その邸内の一画に住居を与えられる。後の名人。
安心坊
  僧侶であることは確かであるが、その出自、経歴は不明。算悦に先で対局してジゴであるからかなりの実力者。
算哲   一世安井算哲
雲碩
  松山雲碩。道碩時代に活躍した棋客で、道碩に師事したと考えられるが内弟子ではなかった。
利斎
  出自、経歴は不明。八段格の算哲に勝っているところから上手(七段)と考えられる。
如清
  
蔭山如清。美濃国の大名戸田采女正の家臣。 好棋家で本因坊に師事している。
・因策
  松原因策。井上因碩の門人。算知に勝っていることから上手と考えられる。
哲齋    中坊哲齋。算哲の弟子で算知との対局が多い。
久須見   作者の久須見九左衛門。
算砂    初代本因坊算砂。
利玄    算砂のライバルといわれる本能寺の僧。
権兵衛   伊勢国津の住人。
彦兵衛   加賀国の住人
玄碩    僧侶。経緯を込めて法橋玄碩と呼ばれた。法橋は僧位。
玄齋    寺井玄齋。井上因碩の門人。
友仙    本名は板垣善兵衛。本因坊門。
三郎左衛門 杉村三郎左衛門。本因坊門。
権四郎   『隔蓂記』に西陣の人とある。
・詳細不明の対局者
 市左衛門、権七、忠太夫、愚碩、徳蔵、四郎兵衛、九左衛門、十三郎、清三、八郎兵衛、惣右衛門、六三郎、其入、宗昧、春慮、善八、清典

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