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囲碁史記 No.4

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囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.4は囲碁史記 第67回から第82回まで 明治維新から本因坊秀甫逝去までを紹介します。
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#囲碁

囲碁史記 第68回 本因坊秀和と伊藤松和の逝去

囲碁界の衰退 前回も述べたが、江戸幕府の崩壊および明治維新という社会情勢の劇的変化は囲…

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囲碁史記 第69回 維新三傑と囲碁

 江戸幕府の崩壊、および明治維新による社会の劇的変化にともない混乱していた社会は、明治…

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囲碁史記 第70回 方円社設立以前の村瀬秀甫

 明治期に維新という時代の風に乗って「方円社」を設立し、その後、十八世本因坊となった村…

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囲碁史記 第71回 悲劇の当主十五世本因坊秀悦

秀悦の生涯 十五世本因坊秀悦は、十四世秀和の長子で、三弟一妹がいた。秀栄、秀元は秀悦の…

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囲碁史記 第72回 方円社の設立

 明治十二年に村瀬秀甫や中川亀三郎が中心となって「方円社」が設立される。その設立までの…

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囲碁史記 第73回 新聞碁の始まり

日本初の新聞碁 現在では大手新聞各紙に囲碁の棋譜が普通に掲載されている。新聞社自らがタ…

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囲碁史記 第74回 方円社を支えた中川亀三郎と小林鉄次郎

明治十二年、維新という時代の風にのって設立された「方円社」、そのトップである村瀬秀甫以外の主要な人物を紹介していく。 初代 中川亀三郎 東京を離れていた秀甫とつながりを持ち、実質的に方円社設立を主導したのが中川亀三郎である。  亀三郎は十二世本因坊丈和の三男で、天保八年(一八三七)に生まれる。長兄の井上節山因碩は丈和の先妻・達子の子で、後妻・勢子の間には亀三郎のほか、次兄の松次郎(二世葛野忠左衛門)、長女で秀策の妻ハナ、亀三郎の下には四男と次女がいた。  幼名を長三郎とい

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囲碁史記 第75回 方円社の分裂

井上因碩を除いた発会 明治十二年四月二十日、村瀬秀甫、中川亀三郎らが中心となり神田花田…

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囲碁史記 第76回 方円社 段位制から級位制へ

新しい「方円社」の立ち上げと免状発行 明治十二年四月に発会した囲碁研究会「方円社」は、…

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囲碁史記 第77回 方円社設立後の家元の動き

 明治十二年四月に発会した囲碁研究会「方円社」は、十月には家元側との対立により分裂して…

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囲碁史記 第78回 方円社創成期を支えた棋士

方円社創成期の社員 日本棋院誕生前に日本囲碁界の片翼を担った「方円社」は、明治十二年四…

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囲碁史記 第79回 巌埼健造 江戸時代編

 幕末、そして明治維新という社会の劇的変化の影響は囲碁界にも及び、棋士として活躍しなが…

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囲碁史記 第80回 官僚時代の巌埼健造

 江戸時代、安井四天王として名を馳せた海老沢(巌埼)健造は、機を見るに敏で、明治維新を…

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囲碁史記 第81回 秀甫・秀栄 和解の十番碁

 明治十二年四月に、家元も参加して設立された方円社は、十月になると実力主義で家元の権威を蔑ろにする運営方法に反発した家元が離脱。以降、両者は反発を続けてきた。  その間、囲碁界の第一人者である村瀬秀甫を擁し隆盛を誇っていく方円社に対し、低段のまま当主となった十六世本因坊秀元は苦境に立たされ、事態を打開するため、実兄の林秀栄は家元林家を断絶させて本因坊家に戻り、十七世本因坊秀栄となっている。  その秀栄が明治十七年十二月、五年ぶりに方円社の定例会に出席し村瀬秀甫と対局している

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