マガジンのカバー画像

囲碁史記 No.4

16
囲碁史研究家の視点により、囲碁の歴史を貴重な資料をもとに解説。 No.4は囲碁史記 第67回から第82回まで 明治維新から本因坊秀甫逝去までを紹介します。
興味あるところを単体でも購入可能ですが、マガジンですとまとめて購読可能ですし金額もお得です。
¥3,380
運営しているクリエイター

2024年4月の記事一覧

囲碁史記 第67回 明治維新と囲碁界

 慶長八年(一六〇三)に徳川家康が征夷大将軍に就任、以降江戸幕府は約二六四年にわたり続…

100
2

囲碁史記 第68回 本因坊秀和と伊藤松和の逝去

囲碁界の衰退 前回も述べたが、江戸幕府の崩壊および明治維新という社会情勢の劇的変化は囲…

100
4

囲碁史記 第69回 維新三傑と囲碁

 江戸幕府の崩壊、および明治維新による社会の劇的変化にともない混乱していた社会は、明治…

300
12

囲碁史記 第70回 方円社設立以前の村瀬秀甫

 明治期に維新という時代の風に乗って「方円社」を設立し、その後、十八世本因坊となった村…

100
2

囲碁史記 第71回 悲劇の当主十五世本因坊秀悦

秀悦の生涯 十五世本因坊秀悦は、十四世秀和の長子で、三弟一妹がいた。秀栄、秀元は秀悦の…

300
3

囲碁史記 第72回 方円社の設立

 明治十二年に村瀬秀甫や中川亀三郎が中心となって「方円社」が設立される。その設立までの…

200
3

囲碁史記 第73回 新聞碁の始まり

日本初の新聞碁 現在では大手新聞各紙に囲碁の棋譜が普通に掲載されている。新聞社自らがタイトル戦の主催者となり対局結果を掲載している場合も多い。その新聞碁の始まりは、明治十一年四月一日の「郵便報知新聞」といわれている。  日本では江戸時代初期より、大事件などが起きた際に木版で摺られた瓦版が発行されていたが、新聞と名付けられたものが発行されるようになったのは幕末で、一八七〇年には日本初の日刊紙『横浜毎日新聞』が創刊されている。そして読者獲得のための企画として囲碁の棋譜が掲載され

¥200

囲碁史記 第74回 方円社を支えた中川亀三郎と小林鉄次郎

明治十二年、維新という時代の風にのって設立された「方円社」、そのトップである村瀬秀甫以…

200
2

囲碁史記 第75回 方円社の分裂

井上因碩を除いた発会 明治十二年四月二十日、村瀬秀甫、中川亀三郎らが中心となり神田花田…

200
2

囲碁史記 第76回 方円社 段位制から級位制へ

新しい「方円社」の立ち上げと免状発行 明治十二年四月に発会した囲碁研究会「方円社」は、…

200
3

囲碁史記 第77回 方円社設立後の家元の動き

 明治十二年四月に発会した囲碁研究会「方円社」は、十月には家元側との対立により分裂して…

200
1

囲碁史記 第78回 方円社創成期を支えた棋士

方円社創成期の社員 日本棋院誕生前に日本囲碁界の片翼を担った「方円社」は、明治十二年四…

300
2

囲碁史記 第79回 巌埼健造 江戸時代編

 幕末、そして明治維新という社会の劇的変化の影響は囲碁界にも及び、棋士として活躍しなが…

300
2

囲碁史記 第80回 官僚時代の巌埼健造

 江戸時代、安井四天王として名を馳せた海老沢(巌埼)健造は、機を見るに敏で、明治維新を迎え世の中が激変する中で囲碁で食べていくのは難しいと感じ、一時囲碁界を去っていった。  今回は囲碁界を離れていた時期の健造について紹介していく。 囲碁界離脱 健造が囲碁界を離れたのは明治四年、二十二歳のときである。  ある日、元薩摩藩士の吉井友実の屋敷に村瀬秀甫、中川亀三郎、黒田俊節らと共に招かれ、そこで西郷隆盛、大久保利通、松方正義、得能良介等と出会い、碁を打ち話をする。  囲碁界の先

¥300