つながりの名人
昨年のテーマは、つながりを作る、だったのかもしれない。
数年前は孤独で、あったかい家族がほしいけれど手に入らない、と思っていた。それが、こんなきれいな結末である。
これまでの私
デッドゾーンに入ったときは、親とも連絡を絶っていたし、友達も遠くに住んでいたし、夢破れていたしで、とても孤独だった…だからデッドゾーンに入ったわけだけど。
私は移動が多く、地元もなければ、家族もneglectで親しくないということで、どこかに根は張らない反面、どこにでも行けることが強み、というself-imageでずっと来ていた。家族がどうの、という話は、私には関係ないことと思ってきたし、人に相談しても、頼っても助けてもらえないし、それなら頼らない、と寂しくも思っていた。
そこから順番に人に会うことになり(そうせざるをえなかったので)、おばあちゃんに会いに行き、母とも連絡を取るようになり、いとことも会って連絡を取るようになり、もう片方のおばあちゃんと親父とも数年ぶりに会った。友達や会いたかった人たちともひととおり会い、晴れて日本を脱出した。
新世界
脱出したあとは、classmatesはなぜか合わないのだけど、housematesとは仲良く楽しく過ごしている。引っ越して初日からうまくいった感があって、数日後にはグループでベルギービールを飲みに行き、以来毎週のように飲みの誘いが入っている。飲みがどうではなく、遊びの誘いが入る関係が築けている、ということである。
「コンサート、体調悪くて友達が来られなくなっちゃったんだけど、よかったら来ない?」
「ボンネットを頼むのに、頭のサイズを測る必要があるから、メジャー貸してくれない?」
こんな風に聞いてもらえる関係が、3カ月でできた。それはきっと私の才能なのだろう。こうやって、どこにでも行けて、適応できるのが私である。
転校生のmentality
目の前のことに100%自分を注ぐ。
遠距離恋愛はしない。(そんな機会はなかったけれど)
これまでの生活は、捨てる。
友達は新しく作る。
すべての自分を、新しい環境に移す。
それは、10歳で意に反して転校した私が身に着けた、生き残る方法だったのかもしれない。転校後、何度か友達に電話はしたし、つながり直して会っている子もいるのだけれど、転校前にお山の大将だった私にとって、自分がいなくなった環境で、時間軸が変わらず流れていく…というのは、なんというか、私の世界観に影響を与えたような気がする。私がいた場所すべてで時間は流れる、パラレルワールドを生きている。だから場所によって自分のモードも変わる。のかなあ。
そして、この経験によって私は適応力が高くなった、と母に言われたときはふざけんなと思ったものの、たしかに私の長所というか、人となりとなっているのだった。転校が多かった母自身も感じていることなのかもしれない。
転校生を手放す
そんなとき、予想外に帰省することになり、友達やいとこやいろんな人に声をかけて会う予定を入れた。私は日本を"脱出"したわけだけど、声をかければ集まってくれる関係が築けていて、keepできていることに気づく。今の場所で新しいcommunityを作っただけでなく、今までだっていろんな場所で作ってきたじゃないか、と思う。
そして、実家も帰る場所もない、と思ってきたけれど、母に助けてもらって帰ることになり、これまた価値観が変わった。
脱出だ、2年は帰らない、と思ったから、荷物はほぼすべて送ったわけだけど、毎年帰るのなら、そのたびに荷物を移動させてもいい。別に書くけれど、税関やら郵便事情やらで苦労したこと、天気も違えば生活も違えば必要なものも違う…ということで、大事な貴重なものは、自分と共に移動するのではなく、母のところに置いておいた方がいいな、と思っていた。
というわけで、帰省するときには重量ギリギリでいろんなものを持ち帰ることになった。よって生活に必要なものを持ち帰るスペースはなく、東京よりも寒いところにいるので、冬服も必要なら日本で買うことにして、持って帰らなかった。
結果、母の家には必要なものがほぼすべてそろっていて、手ぶらで帰れることがわかった。
また、私は長いこと日本が嫌いで、合わなくて、出たいのに!!!と切実に願ってきた。同時に後ろめたくもあった。それを手放せたことで、なんというかneutralに見られるようになってストレスが減り、まあいいこともあるし楽しむけど、私は違うところに行きたいから、と思えるようになって出てきた。
日本を捨てて、逃げて、脱出すること=自分のidentityとしなくていいということは、それだけ楽になるということで、気が向けば帰省してもいいし、和食を味わってもいいし、関係をkeepしてもいいし…とまあ、relaxしていられるようになった。反抗=自分とは、ずいぶんと重いものを背負っていたものだ。
今まで私の人生に"日本にたまに帰る"とか、"日本にいる人たちとの関係"が入ったことはなかったが、帰る場所があり、人間関係もあるなら、脱出・一掃ではなく、年に1度は日本に行って家族や友達に会うような、それでいてアメリカとEUを行き来して、買い物やなんやらを楽しむような、そんなlifestyleを自分に許してもいいのだな、と思った。荷物は置いておいたまま、暮らしを完結しないまま、移動してもいい。影を残したまま、というか、各地につながりを持ったまま生きていい。ちょうど、家族の近くに住むことを価値としている人たちに話を聞いたところでもあった。そういう選択をする人もいるのだ。
気づけば
私はずっと寂しかったから、あったかい家族がほしいと思った。
だけどうちはneglectだから無理で、新しい家族を作るしかないと思っていた。親戚と連絡を取るようになったのは、新しい家族を作る前に親戚がすでにいるじゃないか!と思ったことと、うちと違ってneglectじゃないから、というのもあった。
そうしているうちに、親父の愛情表現がわかり(詳しくは別記事にて)、母もようやく手放すことができ(今が一番母との関係がいいと思う)、弟とも前より仲が良くなった。つまり、私が持っていないし、手にすることができないと思っていた家族は、実はいたのだった、ということになる。きれいな話だけれど。
家族との仲が良く、支援してもらいながら留学している。親戚も、いろんなところにいる友達とも連絡を取っている。これが、数年前はデッドゾーンで孤独になっていた私の真の姿である。やはり、つながりが絶たれると、しんでしまうのだなあ…こうして見てみると、つながりを持てるようになったなあ。
誰が変わったわけではない。変わったのは、私だ。見えていなかっただけで、関係を築く能力は私にあったのだった。転校生のままずっと来ていたから、その生き方しかないと思っていたけれど、そういうことなんだなあ。
と、いつまでもふわふわと受け取ったままの気分でいさせてはくれないのが、人生である。笑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?