てんかんの妻について

3月某日。僕は年休を取って大阪から広島の家へ帰り、妻と一緒に広島大学病院にて、4月に受ける検査の日程を調整をした。
脳磁図・MRI・神経心理学的検査・脳波検査・PET‐CT検査。
これらの検査で何がわかるのか僕にはわからない。
ただ、この検査を受けたあと更に2週間入院し、そのうちの1週間24時間付き添いの『モニタリング検査』と言うカメラ監視の状態で、てんかんの症状と発作発生時に脳から発せられる電気の場所を特定する検査によって、手術が出来る場所なのか判断できると言う事はわかった。

検査の日程を調整した帰り、車の中で妻の
『手術する事になったら、頭丸坊主にするんかね?』
と言う問いに、僕は
『どうじゃろ。部分的な所だけかもしれんよ?』
と答えた。妻の本当にそうなのかな?
丸坊主だったら嫌だなと言わんばかりの
『うーん』
の後に僕は
『そうなったらニット帽とか被れば良いんじゃない?』
と続けた。

この日の夜。
僕は一人ベッドの上で涙を流した。

車の中で妻はどういう気持ちだったんだろう。
女性の命と言われている髪の毛を剃られる気持ち?
手術で頭を開くという恐怖感?
手術が成功するのかという不安感?
家に着いた後、少し経ってから家に寄ってくれた妻のお母さんと話しをしていた時に、妻の口から「子供たちも残してまだ死ねんよ」と言っていたのを聞いた時に、妻の手術に対する不安な気持ちに気づいたのだった。

僕は何て心無い事を言ってしまったんだろう。

当事者にしかわからない。
きっと僕なんかには計り知れない不安があったに違いない。

僕は誰よりも妻を見ていて、誰よりも妻の気持ちに寄り添えていると思っていた。
だけど、そうではなかったのかもしれない。
都合のいい所だけを自分の頭の中に植え付けて、自分は妻の事をよく理解できていると自己満足していただけに過ぎなかった。

妻のてんかんの症状の事、飲んでいる薬の種類・副作用、治療方法。
きっと調べれば、より妻のてんかんに対して理解を深め治療の取り組み方にも積極的になれていたはず。
だけど仕事の忙しさを理由に、また妻のてんかんが生活の中で『当たり前』になっていく中で、僕にとって妻のてんかんは『特別なモノ』では無くなっていたのだと思う。

妻のてんかんの症状は、出会った当初に比べれば落ち着いている方だと思う。
出会った当初は身体が硬直し、顔は引きつり、白目を剥いて痙攣を起こす状態だった。お店の中で発作が起きた事も何度かあり、周囲の人もビックリしていた。
その時に比べれば、今は一点を見つめ、手が硬直し、話掛けても返事が無かったり。テーブルの上の物を用も無いのにあちこち触り、声を掛ければ返事をするけど、何もわかっていない様な空返事をしたり。
大体この2パターンだ。

昔に比べて症状が軽くなっている様に思うけど、このままの状況がいつまでも同じように続く訳がない。
この先、歳を重ねた時に発作が起これば、その発作が原因で妻の身体や精神的な所にも良くない影響が出てくるかもしれない。

現在、妻を診てくれている先生が、てんかんの患者さんの多くは薬で発作を抑え込める事が出来るけど、抑え込む事が出来ない人もいる。
薬がダメでも手術をする事で発作を止める事が出来る患者さんもいるので、一度精密な検査をした方が良いと今回の検査を進めてくれた。
手術で発作を止める事が出来るなら、そうした方が良いと思うし、勿体ないとも言っていた。確かにそうかもしれない。このまま薬を飲んでも発作が止まる訳では無いし、薬代だって決して安くはない。
手術で発作が止まるなら、妻がしたいと言っていた車の運転だって・・・

ただ、妻は手術に対して不安がある。
僕や周りの人が、手術をした方が良いかもしれないと思っても、僕たちの気持ちと、当事者である妻にしか分からない感覚は違って当然だ。
とりあえず今回決めた様々な検査を受け、その後のモニタリング検査で手術可能な状態なのかを調べる事になった事で、『手術をする』かもしれないと言う選択肢は増えた。

手術をする事が出来る状態で、手術を受ける事になってもいいし、
妻が手術を望まなければ、それでいい。
もしかしたら、いつか考えが変わって手術を受ける事になっても。
僕は妻の選択を尊重し、寄り添っていこうと思う。
そして『てんかん』と言う病気に向き合う為、
てんかんの妻の夫である自分の視点で記録を残せるように、少しづつだけど
ここに投稿していこうとおもいます。

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