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復興城主として訪れた熊本旅行(2日目)

ふるさと納税で熊本城の復興城主となってから「自分の目で熊本城の復興状況を確かめたい」と思っていたので、仕事に都合をつけて金曜日から一泊二日で出かけることにした。熊本城に行く前に…熊本県観光サイト「くまもっと。」を見ていたら空港から車で1時間30分車を走らせると阿蘇山に行けることに気付く。1日目はdカーシェアで6時間の阿蘇山カルデラドライブ。2日目は熊本城巡りと郊外へのバスの旅。
旅行日:2022年12月1日(木曜日)〜12月2日(金曜日)

寒さで目覚め、TVをつけると昨日から気温が急激に下がったそうだ。上着を準備しなかった事に後悔しながら、最初の加藤神社に向けてホテルを出発した。城の外周道路から本丸に向かう急な坂を登り、加藤神社に到着。印象的な白い大きな鳥居をくぐり、真っ直ぐ拝殿に進み参拝を終えて、境内を散策する。明治四年に熊本城内に錦山神社が創建され、社号を加藤神社に改称されたのは清正公三百年祭が行われた明治四十二年と由緒を読んで知る。比較的新たらし神社のようだ。主祭神 加藤清正公が建設した日本三名城「熊本城」が最も綺麗に見れる場所に祀られているのには意味があるのかもしれない。

加藤神社から見た熊本城天守閣

訪問した2022年12月当時は、加藤神社から天守閣繋がる道は封鎖されていて、ぐるっと迂回していく必要があった。西大手門を過ぎてみた石垣はまだ崩落したままであり、これからも継続した復興へのサポートが必要である事がよく理解できた。復興城主になる為の手続きは下記のURLの通り:https://castle.kumamoto-guide.jp/fukkou/

たぶん奉行丸の横の石垣

ぐるっと城内を歩き、ようやく天守閣へ続く特別見学通路に到着、天守閣への通路を進んでいく。

熊本城天守閣

天守閣は、戦国時代の外装と近代展示場のギャップを感じて階段を上がることになる。1階の加藤時代の展示を見ると、土木に優れた加藤清正がもともと現在の熊本駅西側にあった熊本城を難攻不落の城になるよう拡大し今の城になったことを知ることが出来た。2階は細川家が藩主だった頃の展示が広がり、細川護熙元首相を思い出した。清正の子、加藤忠広の改易は小説にも記載されているが、領地を引き継いだ細川忠興が時代に翻弄されながらも最後に肥後国熊本54万石の領主になる立身出世話はとても興味を持った。3階は西南戦争で薩摩軍の攻撃を52日間耐え抜き、西郷隆盛に「清正公に負けた」と言わしめ敗北を決定付けた時代の分岐点に熊本城があることを知る。4階は熊本地震での被害と復旧について紹介、その上の展望フロアでは昨日ドライブした阿蘇山まで見る頃ができた。
1時間程度の天守閣観光は、戦国時代以降の熊本の歴史をよく知ることが出来る。

城巡りはあまり時間が掛からないので、時刻はまだ10時。熊本市内に熊本城以外の観光地は無いようなので、調べてきた路線バスの旅に出かけようと決めた。桜町バスターミナルから片道1時間、どんな場所か分からない通潤橋を見に行く。バスターミナル内のパン屋で昼ごはんを調達して、案内所でのぞんざいな回答ではバス停の場所がよく分からず、大きなバスターミナルでキョロキョロ10時40分発通潤橋行きバスを探してなんとか乗車した。
バスの旅は刺激的なドラマは無く、幾つもの街を通り、山道を進む。突然左手に通潤橋が現れ、バスを降りた。通潤橋に行く手前に道の駅があり、通潤橋の放水見学用チケットの購入方法について聞いてみると「11月末で終了した(12月2日に訪問)」との回答に、1時間のバス疲れで愕然とする。気持ちを整えながら、学習見学に訪れていた幼稚園児たちの横で水路橋を見に行く。

山都町 通潤橋
チョッパー越しの通潤橋
上から見た通潤橋

13時40分に熊本市に戻るバスが来るまでの滞在およそ2時間は、あちこち歩き回り撮影に時間を費やす。放水があれば、到着から帰路に着くまでの2時間は完璧な時間配分で滞在することが出来ただろうと、持て余した時間に思いつき改めてため息する。

帰りの路線バスの旅も特にドラマは無く、15時前に桜町バスターミナルに到着。熊本市庁舎から熊本城が一望出来るとWebで見ていたので、徒歩で移動。朝一度通り掛かった清正公像をもう一度カメラに収め、市庁舎からも熊本城をカメラに収めた。

加藤清正公像
熊本市庁舎14階からの熊本城

目的の熊本城復興状況の確認も叶い、十分満足した旅行だった。日本三名城の一つ熊本城が震災にあい、寄付をしたことから始まったこの熊本旅行だったが、熊本の歴史が自分の日本史の様々な記憶と繋がり知的好奇心が十分満たされた。今回の旅行の最大の発見はあか牛丼。初めて熟成肉を初めて食べた時ぐらい、その柔らかさに感動した。東京でもお店を探してみたい。
前回訪問した長崎市から東へ80Km離れた熊本市とは、全く異なる文化があり、その背景に土地を支配した幕府直轄領/加藤清正公の政策が今でも色こく残っていることを感じることが出来たことは、九州の魅力に触れたと感じた。また九州の別の土地へ行ってみたいと思う。

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