【歌詞解釈】マカロニえんぴつ*恋人ごっこ①

流行りのマカロニえんぴつ。
彼らも最初は流行りに乗りたくない精神が発動して聴いてませんでした。
初めて聞いたのは確かMステだったかな?
その時もピンとこなかった。

でも友達の家でダラダラ過ごしていた時にこの曲を流してて、
何となく聞いてたらすごい共感しちゃて、
当時めっためたにダメな恋愛をしてた私には
あまりにも刺さりまくって、
泣いちゃう始末。(笑)
しばらく聴けなくなるくらいはまってた。

思い入れがありすぎるから、
恋人ごっこを2パターンに分けて考察していこうと思います。

1 「セフレ(相手に恋人がいる)」設定(身体的に恋人ごっこ)
2 「恋人同士」設定(精神的に恋人ごっこ)

今回は「セフレ版」

"「ねえ、もう一度だけ」
を何回もやろう、そういう運命をしよう
愛を伝えそびれた
でもたしかに恋をしていた
恋をしていた”

「ねえ、もう一度だけ」っていうのは、
エッチのことか、会うこと自体なのかもだけど
要は、もう一回、もう一回ってそれを何回もやって
この関係を終わらせないようにしている状態
しかもそういう運命をしようって強めに肯定しちゃってるし。

愛を伝えそびれたっていうのは、
自分の好きっていう気持ちを素直に言えなかった
=付き合えなかったことを表してる

そんなわたしだけど、確かに君に恋をしてたよって
過去を振り返りながら語ってます。


”缶コーヒーで乾杯、シーツは湿って
どうにもならない2人だ
言う通りにするから
恋人ごっこでいいから
今だけ笑っていてほしい”

シーツが湿ってるのは、エッチしたから。
しかもお酒じゃなくて缶コーヒーで乾杯してるから
酔った勢いとかでもない。
つまり、そうなるべくしてなってる2人。確信犯ってこと。
だから、どうにもならない2人。

そんなしょうもない関係でも、僕にとっては特別で。
君の言いなりになるし、セフレのままでいいから
今だけは笑ってこの関係を続けててよ。って言う悲痛な叫び。

”余計な荷物に気付くのは
歩き疲れた坂道だ
忘れていいのはいつからで
忘れたいのはいつまでだ?”

余計な荷物=君に対する恋愛感情ですね。
それに気付くのは、坂道=しんどくなって来た時。

大体、セフレって何の気無しに始まって気付いたら
どんどんこの関係がしんどくなってて、
最終的に相手のことが好きだと自覚せざるを得なくなっちゃう
っていうあるあるな感情。

忘れていい=恋人ごっこを始めたまたは承諾した気軽な自分
つまり、僕たちの始まりはいつから?ってことを言いたいんだと思う。

で、忘れたい=今の恋人ごっこで苦しんでる自分
僕たちのこのしんどい関係はいつまでなの?ってことだと思う。


”「ねえ、もう一度だけ」
を何回もやろう、そういう運命でいよう
愛を伝えそびれた
でもたしかな恋をしていた
恋をしていた”

冒頭のサビとあまり買わないように見えるけど、

「そういう運命でいよう」の部分。
冒頭は、「そういう運命をしよう」
最初はそうしようって思ってたのに、
時間が経つとそれでいいになっている、、、
きっと僕には本当は望む2人が他にあるんでしょうね。

不本意な形でも、気持ちが伝えられなくても
それでもたしかな恋をしていたんだと
冒頭よりも更に強い気持ちが表れてます。


”無駄な話に頼るのだ
隠し疲れた罪を運ぶため
忘れていいのは君なのに
忘れたいのは僕だけか”

隠し疲れた罪=自分たちのだらだらと続く今のしんどい関係
この核心に触れない為にどうでもいい話をして紛らわしてます。
これすんごい虚しいんよね。。。

忘れていい=捨てていい、この関係の主導権を握ってるのは君なのに、
なんで君は忘れたくない=この関係を切れないでいるの?
僕は忘れたい=もうこの関係を終わらせたいよ。


”「ねえ、もう一度だけ」
もう無しにしよう?そういう運命をとろう
愛を伝え損ねた
またこんな恋をしてみたい
恋をしてみたい”​

ねえもう一度だけって言いながらだらだらと続けてたこの関係。
ついに僕の方から終止符を打ちます。

結局君に気持ちを伝えることはできなかったけど、
それでも又こんなに心から誰かのことを好きになってみたいよ
っていう僕の前向きな発言が出てきます。強がりかな。


”裸や、なで肩や、キスや乾かない髪”

これは今までの君とのことがフラッシュバックしてるんでしょうね。

こういう時に思い出すのって、
決まって何でもない日常だったりすることが多い。

それが余計に辛いんだけども。


”もう一度あなたといられるのなら
きっともっともっとちゃんとちゃんと愛を伝える
もう二度とあなたを失くせないから
言葉を棄てる 少しずつ諦める
あまりに脆い今日を抱きしめて手放す”

もし君との関係をやり直せるのなら、
もっと違う形で関係を築けたのなら、
次はこんな中途半端な関係じゃなくて
ちゃんと出し惜しみなく気持ちを伝えてまっすぐに君と向き合いたい
っていうこの結末への悔しさと叶わぬ願いが、
どれだけ僕が君を想ってるのか伝わって来て本当に切ない。。

もう二度とあなたを失くせない
=これ以上僕の大切な大切な君を悪い奴に思いたくない。だから、
言葉を棄てる
=もう一度だけなんて言わないし、もう連絡もとらない
少しずつ諦める
=恋人になれなかったこと、君への未練を少しずつ手放していく
つまり、君と恋人ごっこを抜け出すための覚悟です。

そして、不安定な僕らの関係、
愛しくてたまらない君との最後の恋人ごっこの時間
を体全身で感じて、同時にその時間達に別れを告げます。
ここの抱きしめて手放すっていう部分に僕の未練だったり
最後まで君に対する愛を感じて本当に切なくて共感の嵐なんです、、


”ただいま さようなら
たった今 さようなら”

1行目はきっと恋人ごっこ中の2人のやりとりだと思うんです。
2行目は恋人ごっこの終わりを指すさよなら。

こんな風に当たり前にずっと続いていくように見えて
気付いたら終わりを迎えるんだなと感じさせるフレーズで曲は終わります。



この歌に魅せられた当初のわたしはまさにこんな感じで、
セフレだった彼に実は彼女がいることが発覚して、
でも発覚した頃にはわたしはもう彼のことが好きで
ダメだと思いつつも拒み切れずズルズル関係を続け、結局
春になってわたしが引っ越さないといけなくなるまで続いた。

「ねえ、もう一度だけ」っていう言葉が何度もわたしの中でこだまして。

「裸や、キスや、乾かない髪」に彼との日常を思い出し。

「きっともっともっとちゃんとちゃんと愛を伝える」っていう言葉で
もっと2人は良い関係になれなかったのかと涙を流した。

歌詞の一つ一つに彼が浮かんでくるくらい、
わたしたちのことを歌ってるんですか?()ってくらい
どの言葉も無駄がなくぴったりわたしの心にはまった1曲。

でもまたいつかわたしもあんな恋をしてみたいと今なら思えます。

それもこの歌のおかげかも。




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