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病気になってからのこと②

昨日は鍼灸師になった経緯、不妊治療をはじめた流れ、鍼灸師として日々思うことなど、ただひたすら想うがままに書き連ねてしまったが、少し自分のことがわかった。

今日は昨日の想いに自分の病気のことも絡め、先に結論から言うと「女性にはいつまでも元気で活躍してもらいたい」ということ。
ご家族がいる方ならなおさら。
なぜなら、それは自分も周りも悲しいし、自分と同じ大変な思いをしてもらいたくないから。
それは、大変な病気になったことがある方あるいは、ご家族がそうなられた方ならおわかりになると思う。
私は肺癌の父を看取っているので、家族目線、自分目線、両方からそれがわかる。

最愛の父が亡くなってから半年後。
仕事も多忙を極め、睡眠や栄養も思うように取れず、ストレスも重なり、そんな時「あること」が気になった。
腹部に大きなしこりが。
あれ?生理はまったく変化ないけれど、子宮筋腫でもできたかな?少し様子を見よう。
それ以外特に何も変化はなく、しいて言えばお通じの出が悪くなった。
でも、それまでは風邪もひかないほどの健康体だったので、かかりつけ医がなく、たまたま出先での仕事の合間、時間ができたので1度お世話になったことのある婦人科に電話を。
偶然休診ということで、わりと評判の良い近くの産婦人科に。
そこでエコーや内診を終えてから先生に呼ばれ、紹介状を書くのでなるべく早めに罹ってと。
八千代市には女子医大があり、すぐ電話をすると週明け朝イチ予約が取れた。
紹介状の内容が気になり、帰ってから中を見ると、そこには「GIST」の疑いありと。
学校の授業で、聞いたことがある疾患名。
確かにそれもあり得る。
あとから振り返っても、そこのクリニックの先生の診断は、至極真っ当だった。
とにかく、半々(悪性と良性)だろうなという疑いで、診察を待った。
根拠としては、腫瘍は表面から触っても例え外科医でも硬さはなかなか判別がつかない。
ただ、短期間で大きくなったのは、あまり良いことではないのを知っているから。
週明け、大学病院の消化器外科に。
ドアを開け、先生にお会いしてからインスピレーションで決めようと。
「こちらの常勤の先生ですか?」という質問だけした。
「そうです」との返答。
この先生とはきっと相性が良いに違いない、お願いしよう、とその日にすぐオペの予約をした。
どうしても仕事の都合でなるべく待ってもらうようお願いし、その日から3週間後くらいに人生初めてのオペ。
それまでに様々な検査を受けたけれど、結局何かはわからないまま「腫瘍摘出」オペをすることに。
先生も、まさか悪いものだとは思っていなかったようで、恐らくこれかこれかこれかな、みたいな。
前日は日帰り温泉に行き、開腹オペの前日に入院し、そこから8日間、最短で退院へ。
11センチ×13センチの巨大な腫瘍のみ無事摘出し、病理の結果は退院後に。
先生は「見た感じ、悪くなさそうだったよ」と。
とても前向きな優しい先生の言葉に救われた。
それまでは仕事もお休みし、やることがなく、1泊の温泉とひたすら散歩して過ごした。
退院後の診察で、先生が何か言いずらそうにしていた雰囲気から、すぐに察しはついた、私は半々の黒の方を引いた。
病名は「後腹膜由来平滑筋肉腫」。
大人のがんの100人中肉腫は1人くらいしかいないし、肉腫にも種類が多く、細かく言えば全く同名の病気は50万人に1人くらい、レアだ。
決まった治療法や効く薬はなく、とにかくおできのようなもので、できたら取る、できたら取るの繰り返し。
それができなくなったらいよいよ厳しくなる。
実際、今日まで2回開腹オペをし、ラジオ波焼灼を1回、日帰り手術も1回。
私はカウントされていないけれど、国立がんセンターでは、当時10年生存率「0」というデータらしい。
まったく同名の病気だったある女性は、19回オペをしたと聞いた。
ミス日本にも出場経験のある、社交ダンス界では有名な方で、私と同じ年齢で発症、ドラマ化もされ、偶然私が入院中にテレビで放送されていたそう。
その方の功績は数知れず。
心のどこかで、彼女が無事でいてくれることが、私への唯一安心感でもあった。
10年を過ぎた頃、本の執筆を終えた夏、この世を去ったと聞いた。
私はと言うと、昨年初発から10年が経過したが、まだ生きている。
きっと、沢山のご先祖様に守られているし、人に恵まれ、今の主治医とも良好な関係を築いている。
2回目の開腹オペを断ろうとした時に、執刀医から「それは逃げだ、自殺行為だ」と怒られた。
人間命ある限り、戦えということだろう。
病気がわかった時、再発がわかった時、2度目の入院をした時、沢山泣いた。
沢山の同じ病を持つ仲間が志半ばでこの世を去って、でも私は生かされているということは、まだ人様のためにやることがあって、命を助けてもらった時から、私はお釣りの人生だと思ってこの11年生きている。
人生は有限であり、まさに私にとって、命の時間だ。
忙しいと書いて、心を亡くすと書く。
本当に忙しい時は、何かを感じる余裕もなくて、何のために生きているのか、わからなくなる時がある。
あれから10年がむしゃらに働いて、今度は自分のために生きようと思えるようになった。

病気になってわかったこと。
失ったものは沢山ある。
仕事もセーブしたし、穴をあけた。
家族にも心配をかけ、無理ができなくなった。
保険にも入れなくなった。
病気になる前には戻らない。
だからこそ言えること。
病気になる前に、他の皆様には予防をしてほしい。
防げるのだから。
恥ずかしながら、鍼灸学校を卒業してから病気になるまで、鍼灸治療を受けていなかった。
自分のケアというものをほとんどしてこなかった。
だからこそ、失う前に自分は大丈夫なんて思わないで、検査以前にしっかり自分のことを優先してほしい、日々を大切にしてほしい。
改めて、鍼灸師で良かったと、鍼灸師になって良かったと、自分の生涯の仕事として、ライフワークとして、使命として、これからもたった1本の鍼を持って、自分と患者様に治療していきたい。

この大会にチャレンジすることで、本当の自分というものが見えてくる。
どんな人生にしたいか見えてくる。
結果より過程が大事。















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