悲しみの乗り越え方

先月下旬に買っていた犬が虹の橋を渡り、2週間が過ぎた。
先代犬が死んだ時、1年以上夢に犬が出てくることはなかったのに、この2週間ずっと犬の夢を見ている。
夢の中の犬は元気な姿で、この時に気づいてあげたらこんな結果にならなかったかも?と後悔したり、本当は死んでいないんだね。と違う世界線にいたりする。
夢を見ること以外、私はいたって普通だ。
夫も普通に見える。娘も。

私たちは、薄情なんだろうか?
…と、娘に聞いた。
娘は、「犬を飼っていなかった時の気持ちでいる」と言った。

食いしん坊だった犬が死んでしまう前の1週間、食事も満足に取れずにいたので、写真を飾り、封を切って残っていたドッグフードと水を供えたささやかな祭壇を作ったのだが、娘はそれを見ないように過ごしているという。

犬と過ごした日々ごと忘れないと、とても普通に過ごせないのだろう。

娘は「人が死んだお通夜に普通に生前の思い出話をするのも嫌だ」と言う。
たぶんそれは、まだそこにいるかもしれない魂に楽しかった思い出を伝えたい思いがあるのではないかと思うのだけど、とてもそんな気持ちになれない人もいる、話したくも聞きたくもないと思う人もいると言うのだ。

愛するものを失った悲しみを乗り越えるために
どっぷりと悲しみの底に落ちていくことが必要な人もいるだろう。
一方で悲しみの底に落ちたら這いあがれないと思い、悲しみから目を逸らす人もいるのだろう。
残されたものは、残された自分の命を生きていかねばならないのだから。

私は娘に犬の夢の話をもうしないでおこうと思う。

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