見出し画像

【アメリカ時代の思い出】ポリタンクのオヤジ

2002年から2010年までの8年間を、夫の企業駐在に帯同してアメリカ・カリフォルニア州のSan Jose近郊で過ごしました。

ある日、友達と待ち合わせた日系ショッピングモールでの出来事です。

God bless you


無事、落ち合えて隣どうしに止めたお互いのクルマの側でおしゃべりをしていると、向こうの方からポリタンク片手にあまりきれいとは言えない身なりをしたオヤジが近づいて来ました。

私は目の端でその人が近づいて来るのを見つけ、私たちに話しかけてきたら嫌だなあ、と思ったのですが、あれは何か法則でもあるんですか?
来ないでくれ、来ないでくれ、通り過ぎてくれ、と願っている時にはまず間違いなくこっちに来ますよね、来てほしくない人が。

おしゃべりは日本語だったので、私は「英語はわかりませんオーラ」を全力で発しましたが、そんなことにはお構いなくオヤジが話しかけて来ました。

近づくと何日も洗っていなさそうな服や、日焼けなのか垢なのかわからない顔の汚れ、深いしわなど、オヤジのディテールが私の目に飛び込んできました。

オヤジは、「妻のクルマにガソリンが必要なんだ」と私たちに話しかけて来ました。
おっとりしている友人は、ショッピングモールの角を指差し、
「あそこにガソリンスタンドがあるわよ」。
頭を振ったオヤジは「分かっている。でも、僕たちにはお金がないので、Can you give us $1 ?」

私は即座に「No,I can't help you」と答えましたが、心優しい友人は1ドル札をオヤジに渡しました。
その後、オヤジは再度「本当に困っているんだ」と訴えましたが、私が財布を開くことはありませんでした。

オヤジは、友人の真っ白な車を「nice car」と誉め、「God bless you」と言って去って行きました。

たった1ドルなんだけど・・・。

私の心にちょっとした寒風が吹き抜けて行きましたね。

困っている人を助けるのは、キリスト教の国ではごく自然なことなのでしょう。
ガソリンがなくて困っているオヤジさんに1ドルを断った私は、とても冷たい人間なのかな?

たった1ドルのこと。
お金に困っているわけでもないし、「自分の身の丈で暮らせ」とオヤジさんに説教する立場でもないし、募金だと思えばよかったのかな。

私がオヤジさんにお金を渡せなかったのは、私自身が知らない人にお金をあげるような環境で育ってこなかったこと、お金の貸し借りは知っている人どうしでするもので、借りたら返すし貸したら返ってくるという思い込みがあったのだと思います。

当時、ガソリンの値段は1ガロンで3ドル程度だったと思うので、オヤジさんが3〜4ドルをそのショッピングモールで手に入れるのはそれほど難しくなかったでしょう。

画像1

私たちから離れた後、駐車場にいた別の日本人にも声をかけていたので。

なぜにポリタンクを?

それにしてもあのオヤジさんはなぜ、ポリタンクを片手に持っていたのでしょう?
最初、私がポリタンクを持って近づいて来るオヤジさんを見た時、私たちのクルマからガソリンをちょこっと分けて欲しい、と言うのかな?と思いました。
(そんなことができるのかどうか、わからないけど)
でも、彼はお金を必要としていたので、なぜにポリタンクを持って歩いていたのか、未だにわかりません。

さまざまな人種が住んでいるアメリカ、人と人との距離が案外近いのかもしれませんが、日本では体験したことがない出来事でした。


読みに来てくださった方に居心地の良さを提供できるアカウントを目指しています。記事を読み、ひと時あなたの心がほぐれましたらサポートお願い致します。