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セラピストは究極何もしなくていい

セラピスト、ヒーラー、スピリチュアルティーチャー、

を目指している人、はじめたばかりの人が最近よく個人セッション受けに来てくださるので、その時にお話することをシェアします。

わたしが15年かけてセラピストの道を歩んできて、学んできたことです。

セラピストさんや高次元に導く役割の人の参考になればと思います。

また、クライアントや生徒として、よいティーチャーやセラピストを選ぶ際の参考にもしてください^_^

セラピスト、ヒーラー、スピリチュアルティーチャー、表面的には役割違うけど、目的は全部同じだと思うので、まとめてセラピスト(治療家)とします。

多くのセラピストは、
クライアント(あるいは生徒)に何かを提供する必要があると思っていますが、究極は、何も与えなくていいのです

与える何かというのは例えば、
施術、カウンセリング、セラピー、グッズ、メソッド、知識、パフォーマンスなどです。

そういうものをいかにたくさん持っているかとか、いかに極めていて、いかにそれを上手に与えられるかでセラピストの質が決まると、私たちは勝手に思っています。

それで、自分が与えたもので、クライアントが良くならなかったらどうしよう、効果がなかったら?

満足させられなかったら?
ということを心配する人もいます。

治療家が施術なり知識なりパフォーマンスなり何かわかりやすい形で与えて、それによって、クライアントが楽になったり、学習したりする、というのは、単に現象で起こっているだけのことであり、本当に癒しが起こっているかどうかなんてわからないのです。

真の癒しというのは、治療家が何を与えたか(doing)、よりも、どう在るか(being)で起こるものです。

治療家のマインドの状態が、クライアントに共鳴することによって、真の癒しが起こります。

真の癒しとは、
マインドにもたらされる絶対的な平和と安らぎです
(前回のノートに書いた内容からいうと、前頭葉タイトジャンクションが少ない状態)。

健康になるとか、恋人ができるとか、人間関係が改善されるとか、お金や欲しいものが手に入るとか、そういう物理的なことは二の次、オマケみたいなもの(真の癒しが起こったあとには、欲しいと思ってたものが、実は必要なかったと氣づくこともある)。

どんなに知識や経験が豊富で、パフォーマンスが上手い治療家であっても、マインドに絶対的な平和や安らぎを獲得していないのであれば、クライアントを真の癒しに導くことはできません。

反対に、
マインドに絶対的な平和や安らぎを獲得している人が、今日からカウンセリングやってみます、先生やってみます、施術、パフォーマンスやってみます、ってやってみたら、いかにその技が未熟だとしても、真の癒しが起こったりします。

doing ではなく、beingが、鍵だからです。

究極は何もしなくてもいい。

10年前にお世話になっていたメンターの1人である非二元ティーチャー、セラピストの中野真作先生のグループセッションがまさにbeingのセッションでした。

先生と10〜20人ぐらいの参加者が丸くなって椅子に座って、最初に先生が、

「何か話したくなったら話してください。話さなくてもいいです。
沈黙の中で、あるいは、話をしているとき、聞いている時、自分の内側で何が起こっているか、それに氣付いていてください」とアナウンスします。

その後は、ただ起こることが起こる、んです。
何十分も沈黙が続くこともあれば、活発な話し合いになることもあったり、、
それは、外側の現象です。

内側ではいろんなことが起こります。ザワザワしたり、モヤモヤしたり、ギュッとなったり、あるいは、急にシーンと静かになったり。

それに氣づいている、ということが、変化や癒しをもたらします。

3次元的に中野先生がされていることといえば、
会場をとって、募集して、集まってきた人に最初にちょっとだけアナウンスして、あとは時々話す、ただ参加者の話を聞くだけで話さないことも珍しくない。

何か知識を与えてくれるとか、セラピー的な誘導をしてくれるとか、そういうのも稀〜にあるぐらいです。

人を惹きつけるようなトークセンスやパフォーマンスが得意ということもなく、
ただただ、心が凪の状態で参加者と一緒にいる、それだけ。

何もわからないできて、何か物理的なものを求めてきた人からしたら、参加費返して、ってなるかもしれません(笑)。

でも、真の癒しとは何かや、癒しの仕組みがわかれば、それこそが1番の価値のあるセッションだとわかります。

こういうセッションができるのは、その治療家のマインドが、外側の条件に依らない絶対的な平和や安らぎを知っているからです。

もちろん、起きている間常に、何が起ころうと、絶対的な平和や安らぎの中に居続けられるほどの人は、地球に何人いるかな、というレベルで、

中野先生でも、普段は動揺したりイライラしたり、人のことが気になったりされることもあると思います。

そういう意味では、
治療家も、クライアントも、みんな同じライン上(癒されていく、進化していく)にいるってことです。

良い治療家は、それがわかっています。

大事なのは、たくさん知識を増やしたり、施術の腕をあげたり、話術に長けたりすることではなく、
自分のマインドを安心や平和の状態に持っていくことです。

見えるレベルの「与える」より、見えないレベルの「与える」の方が、ずっとずっとパワフルだからです。

全世界にあるヴィパッサナー瞑想合宿でも、ティーチャーが必ず1人参加されますが、その人は瞑想の講義をするために来るのではなく、ただ前に座っているだけなのです。

その先生が前に座っていてくれるから、参加者も、深い瞑想状態に入りやすくなるのです。

それだけ、ヴィパッサナー瞑想の教師は、深いレベルで真の癒しを体現されてます。

ちなみに瞑想苦手というのをよく聞きますが、瞑想も「doing(すること)」だと思うからうまくいきません。

瞑想は「being」、つまり、
意識が前頭葉ビジーな状態ではなく、静けさや安らぎに委ねられている状態です。

ただ、最初から静けさや安らぎに委ねられるわけではなく、しばらくは、前頭葉タイトジャンクションとの対峙(普段氣付いてない封印されてモンスター化した感情や感覚と出会う)になります。

瞑想はじめたら、自分の内側の不快な感覚に圧倒されて、辛くなったり、怖くなったりしてやめてしまう、というのもよく聞きますが、圧倒されるほどの不快な感覚に氣づけたことが、瞑想がうまくいってる証拠。

感覚に氣づけたということは、前頭葉にベタっと張り付いた意識のポインターが身体の方へ向けられてるってことだから。

その感覚に抵抗せず、寄り添っていると、そのタイトジャンクションは必ず緩んで昇華していきます。

それを根気よくやってきた人が、真のヒーラー、真のセラピスト、真のティーチャーになれます。

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