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AIにはできないこと=魂職

AIが神になる時代

「自分の特性、価値、自分にふさわしいパートナー、職業、住環境、自分に合う治癒法など、自分のことをなんでもわかる全知全能のような存在がいて、自分のために選んだり決めたりしてもらえたら、な〜」って思うことありませんか?

多分、誰の中にもそういう感覚ってあると思うんですよね。

それ、ちゃんと顕在化させて見張っておいた方がいいかもしれません。

これから迎える時代は、データ至上主義の時代、、 
データを多く持つものが、世の中を制する時代。

AIやデータで何でも分かるようになり、企業は私たち顧客のニーズを完璧に捉えた商品やサービスを提供できるようになる——。

あなたに似合う服から身体に合う食事、相応しい職業や結婚相手、今の体調にあった薬や治療法、全て最適なものがビッグデータによって選ばれるんです。

凄くないですか。
全知全能のようなビッグデータが、あなたのためになんでも決断を下してくれるようになっていく。

もう何も迷わなくて良いんです。
失敗も怖がる必要もないし。

毎日ググり、アマゾンでモノを買い、フェイスブックで「いいね」つけるたびに私たちはプロファイリングされデータベース化されていってます。

ビッグデータを持つ企業は、あなたの両親や伴侶以上にあなたのことを良く知るようになるのではないでしょうか。

だから、ディープラーニングで進化する神は、誰よりも最適な決断をあなたのために下してくれるようになります。

それだけでなく、自分の好みのアバターのAI自体があなたの最高の恋人、最高のメンター、最高のカウンセラー、最高のシェフや家政婦になる日も近いかもしれません。

、、、ここまで読んで、
何か背筋が寒くなるような感覚があった人は、
私仲良くなれそうです。

ここに大事な問いがあります。

「あなたのデータ=あなた、
なんでしょうか?」


データはあくまでも数字・記録であり、
それをどんなに増やしたところで「あなた自身」になりようがありません。
そこには、あなたはいません。

でも、「世界中の人々を分析すればするほど、このお金は巡ってくる」
と考える多くの企業はそうは思ってません。

そして、企業だけでなく、実は多くの人がそうは思ってません。

だから、どこの大学出たとか、どこで働いてるか、年収はいくらか、何人と付き合ったか、とか、こんな家を持ってるとか、何回賞を取ったか、あるいは何個「いいね」がついたか、などそういう「記録にまつわること」が人々の関心事の多くを占めるのです。

そうやって、人間がテクノロジーとの関係性を深めていくことによって、
果たして私たちは幸せになれてるのでしょうか?

私たちには、身体がある

インターネットなどのテクノロジーは、私たちの生活を便利に快適にしていく一方で、身体や感覚から私たちを遠ざけてきました。

パンデミックを機にその流れは一気に加速して、今はテレワークは当たり前、オンライン授業、オンライン飲み会やワークショップ、さらにはヴァーチャル旅行まで登場しました。

それはつまり、直接的に身体を通して人と関わったり、実際に出かけていきその空間のにおいを感じたり、肌で感じたりする機会がどんどん減っているということになります。

政府が発表している未来の社会でも、
「2050年までに我々人類は生身の身体を捨てて、
意識をデータ化し、デジタル世界で生きていく」

というムーンショット目標を掲げています。

私たちが望んでいる、いないにかかわらず、
人間をトランスヒューマンにしていく計画らしいです。

すでに気づいている人もいるかもしれませんが、コロナ禍でのテレワーク、オンライン授業などは、その新しい生活に慣れるための準備、訓練なのです。
いきなりそんな世界に移行したらみんなビックリしちゃうので、
ちょっとずつ慣れてもらおうという政府なりの配慮があるようです。

そうやってリアルからバーチャルへと交流の場が変わりゆく便利さやメリットと引きかえに、現実感が希薄で心が満たされなかったり、人生に潤いが無くなってきていると感じてきている人は決して少なくないはずです。

現代人の心身の不調の原点がまさかのそこにある、という医学的な見地もあります。

データ至上主義は身体を蔑ろにする

さて、ここで「身体」というものを私たちがどう理解しているかについて考えてみましょう。

近代的世界観を無自覚に受け入れている私たちは、

「考えている私」が主体であり絶対である。
→脳が唯一、思考を実現する器官である。

→思考に関係ないそれ以外の「身体」は「支配されるもの」

だと考えることにすっかり慣れてしまっています。

だから身体を軽んじるようになります。

これが実は様々な問題を生み出しています。

人間は全身で思考している”のです。
身体も、実は「思考」しています。

私たちは身体の声にもっともっと耳を傾けていかなければなりませんが、

近代的な世界観が骨身に沁みている私たちにとって、それが最も難しいことになっています。

我々の肉体は決して脳の従属物ではありません。

現代医療においても今はなんでもデータ化、数値化されますが、人の身体には数値化するだけでは理解することができない固有の論理がそれぞれに存在します。

それはその人の人生で培われたものです。

年齢、人種、性別、仕事、趣味嗜好、性格、生活習慣、生活環境、対人関係、そして現在だけでなく過去の行状が絡み合ってるために数値化も平均化もできません。

それを、治療でもなんでも、まずは数値化する、平均化するということで答えを出そうとするから、みんな目の前の身体を忘れてしまうのです。

数値化できないような愁訴を身体はサインとして送っているのに、それをずーっと無視し続けるから大きな病気になるのです。

「感性がある」「感性が優れている」などと言いますが、
そもそも「感性」とは、身体を通して世界や物事を深く感じ取る能力です。

身体の哲学家として有名なメルロー•ポンティは、
「原初の世界認識はむしろ身体が行っている」
と言っています。

つまり、脳さえあれば大丈夫、と思っている大脳中心主義で生きていると、「身体が世界を認識している」ということがごっそり抜け落ちてしまい、
現実感が希薄で心が満たされないようになってきます。

現にそういう人が増えてるから、精神疾患や自殺者が増えているのです。

今の世の中、社会、職場、家庭などに、関わりたくないのに関わらざるを得ない何か嫌な空気感を感じてる人は少なくないはずです。

他人に関心がなく、暖かみがなく、お互いを監視しあうような何か冷たい空気感です。

それが、絶望的なほど身体を忘れてしまった私たちから作られている空気感とは、なかなか思えないかもしれません。

本当の交流は、身体を通してしかできないと思います。
相手の匂い、相手の体温、相手のまとっている空気、、

そういう生身の人間同士の交流、自然との交流がどんどん減ってきています。

マスクをして表情が見えない、
過剰な殺菌、消毒で肉体の常在菌まで殺し、
ソーシャルディスタンスという名の人体隔離、
人工香料をまとって本来の自然な臭いを消し、
テクノロジーの活用で肉体労作を極力減らす、
検温が日常の一コマとなり、低体温がよいとされる、

こういうことの積み重ねは、ある意味「身体性を感じないことが常に正しいこと」とされてきているともいえます。

人間は、大脳だけで世界を認識しているわけではないという当たり前のことを今一度捉え返してみないと大変なことになっていくかもしれません、、、

私の競合はAI

かなり前になりますが、
ある人の紹介でビジネスコンサルタントを初めて受けてみました。

たくさん質問していただいたのですが、その中で「あなたの競合はなんですか?」というのがありました。
そんなことを考えたこともなかったのでその時はとっさに「宗教?ネットワーク組織?」等と答えたのですが、
その後の対話の途中でハッと気づいたんです、
私の競合は、AI(人工知能)なんだと。

私は、ボイスエンライトメントやカウンセリングを通して、
「身体との繋がりを取り戻す」「身体性を感じることを思い出す」ということをやっていきたい。

そういう人が増えれば増えるほど、幸せな人が増えて、世の中に温もりが取り戻せることがわかってるから。

でも、残念ながら今は、「人間がテクノロジーとの関係性を深めれば深めるほど、私たちは身体との関係性を薄めていく」ということが起こっているのです。

だから、今はAIはライバルです。

でも、もっと深掘りすると、
身体との繋がりを喪失した人は、不安がいっぱい、自信がない、で何かに依存しないでは生きられなくなる、
その依存先が宗教だったり、ネットワーク組織だったり、あるいはAIだったりするだけです。

宗教やAIが悪いのではなくて、
人間がどうしようもないほど身体性を喪失してしまったことが問題なのです。

これからテクノロジーを使った高度な文明へ向かうことが避けられないのであれば、
私たちが身体との繋がりを取り戻すためにそれを利用したり、
身体と繋がった状態でうまく利用していけるのであれば、
テクノロジーとの関係性を深めながら、私たちはもっと幸せに生きていけるのではないでしょうか。

AIにはできないことをやる=魂職

この前、ボーカロイドが好きな若い子に、最近のボーカロイドの曲を何個か聴かせてもらいました。

、、、ビックリしました。

息遣いから、声のかすれ具合、
抑揚、発音など、一見(一聴?)人が唄ってるとしか思えない精妙さ。
おそらく一般的な耳で聞いたら、人が歌ってるのか、ボーカロイドなのか、判断できないレベルにまできているでしょう。

ディープラーニング恐るべし。

しかし!
ボーカロイドがどんなに人間の声に似てるとはいっても、そこには絶対に含ませられない周波数があります。
それが、人生。

出会いや別れ、
傷つけられたり傷つけたりしたこと、
救ったり救われたりしたこと、
愛したこと、愛されたこと、
成功したこと、失敗したこと、、

そんな人生というストーリーを、誰でも必ず経験してます。

人生というストーリーには、膨大なエネルギーがあります。

そのエネルギーがどこにあるのかといえば、身体なんです。

身体と繋がって歌う、ということは、人生というストーリーを乗っけて歌う、ということになります。
ストーリーが乗った歌は、上手い下手に関わらず、強力なパワーを持ちます。

昨年私たちの仲間でミニコンサートをした時、普段は人前で歌うことがほとんどない2人の女性が自分たちの人生を歌に乗せて竹内まりやの【人生の扉】を歌った時、会場中が、涙、涙、になったことがあります。
私も涙が溢れて仕方がなかったです。

ボーカロイドみたいに完璧なテクニックではなかったかもしれないけど、このような、人の心に響く歌、味のある歌を歌えるのは、身体を持った人間にしかできないことなのです。

何も、その人の人生と共鳴するような歌詞の曲を歌う必要も本当はありません。

身体と繋がって発声した声、そのものが、その人の人生、心、意識の状態を表します。

人は無心になって、身体に全てを委ねたとき、1番強い波動を出します。

それは、満遍なく存在する愛の波動と共鳴するからです。

完璧に歌おう、上手に歌おう、人を感動させようとすれば、そういうことは起こりません。

かく言う私も、いつでもそんな境地で歌えるわけではありません。

数年前とは全く違いますが、まだまだ身体との関係性を深める余地はいっぱいあります。

「脳が一番、身体はそれに付随するもの」
という近代的な身体観が骨の髄まで染み渡ってる現代人にとっては、気が遠くなるほどの長い道のりなのかもしれませんが、
データ史上主義の時代に入っていく今だからこそ、大きく見直さないといけないことなのかもしれません。

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