学士論文

本文要約(日本語)

ソ連解体後に再構築されたロシア勢力圏の縮小は、南コーカサス地域や中央アジアに於いても、軍事や経済の分野における安全保障枠組みの再検討として確認できる。ユーラシア大陸の東西と南北の交差点である中央アジア諸国の安定化は、同地域や周辺地域の諸国における経済的発展や国際的な経済活動に有益である。本研究では地域諸国の安定化を担う主体として、実力組織である法執行機関(行政警察)に焦点を当てる。

 18世紀に中立権力論が提唱される以前から、「西洋」諸国には中立権力が存在していた。しかし理論化は市民革命によって確立された立憲主義や議会主義への反動的な性格を殊更に帯びている。近代化に伴い発達した行政・司法機関が看過できない権力を獲得することで、政治空間での権力分立は本来であれば共有され得ない中立権力にまで及んだ。先ず立憲民主制は行政・司法権力との緊張や即効性に欠けるため、例外状態の恒常化や多重化を生み出した。次に国民皆兵や近代的な警察制度の誕生により拡大した実力組織へ対しても、現行体制を護持するため暫定的な中立性を確約させる必要性が生じた。従って中立性とは諸々の共同体の根幹の、特に強力な側に発生する存在である。

 しかし中立権力を組み込んだ共同体の制度装置は、設計された意図や運用に際する態度によって異なる出力が観察できる。即ち同じ言説の下で、一方では権力の分散と相対化が図られ、他方では権力の集中と絶対化が図られている。本研究が対象とする中央アジアのキルギス共和国は民主的な法枠組みを備えているが、立法者の意図や法執行に際する態度により「民主主義の島」は浸食されている。中央アジア諸国では財政負担の抑制やクーデター防止を目的に軍隊を縮小し、警察や民兵といった補助的な実力組織を強化する制度装置が存在している。しかし同装置は地域諸国における民族間の衝突や抗議活動、クーデターで動揺や崩壊が観察されており、暴動鎮圧を担う法執行機関に対する警察改革の必要性を示している。

 キルギス共和国は警察改革に旧ソ連諸国のうち最も早く着手した国家群に含まれている。独立直後に旧ソ連から継承した国家連邦を前提とした制度装置を整理する必要性が生じたからだ。アカエフ政権下の1998年から欧米諸国との二国間援助が開始され、2003年からOSCEとの多国間援助が開始された。2010年の第二次キルギス政変に伴う市民社会の活発化により、オトゥンバエワ政権下で警察政策への市民参加と国際援助が促進された。続くアタンバエフ政権下では多国間援助が改善されたが、警察政策への市民参加が著しく制限された。

 同国では約30年が経過しても独立直後の法的枠組から変化せず、警察改革それ自体が行政改革の対象と見做されるようになった。責任者の交代と後継者の不在を原因として過去の警察改革には属人的な変更が頻繁に確認できる。国際援助は2000年代と比較して改善したと評価されているが、引き続き資金管理や実施期間、訓練内容を見直すよう指摘されている。市民社会への弾圧は独立直後から一貫して強化されており、2020年の第三次キルギス政変で誕生したジャパロフ政権にも継承されている

第2章 例外状態と中立権力

2.1. 中立権力理論

前述のとおり、本研究では法執行機関を含む実力組織を中立権力と捉える。中立権力の概念は既に政治体制の移行過程を説明する際に使用されている。リンス(1978)は政治体制の安定性を決定する主体として、軍隊と法執行機関が該当すると説明している4。同論文では題目から判断できる通り政治的競争や政治参加の程度が高い民主体制を想定している。しかし中立権力それ自体は議会主義や立憲主義を前提とした概念であり、当該の制度配置を採用しているキルギス共和国にも適用が可能だと考えられる。以下では中立権力の歴史的変遷と立憲議主義における意義を確認する。

19世紀の王政フランスでB.コンスタンにより体系化された中立権理論は、同国における議院内閣制の権力分立と立憲体制の維持を目的としている5。市民革命と国民戦争を経て国王権力(国家権力=主権)は世俗化(中立化=脱主権化)しており、復古王政と二月王政において近代化を特徴付ける諸々の観念の浸透は明確であった。従って理論化の試みは市民革命や国民戦争によって確立された立憲主義や議会主義への反動的な性格を殊更に帯びている。ワイマール時代の議論では主権(優越性)を根拠として授権しているが、中立権力論を含む多数説では中性(中立性)を根拠として授権するため注意を要する。

反動的な中立権力論では神性(日月)の領野で国王権力が、世俗的なワイマール時代では準神性(陸海)の領野で行政・司法が、それぞれ中立権力として指名されている67。陸海の準神性は天下の全ての原動力である太陽(主権)と重力(中性)の作用に起因していると考えられる8。古代国家では行政と司法を所掌する個人にも神性が見出されていた9。後発した近代国家では先例に倣って国王権力の再構築を試みたが、当事国の暫定的な国王権力は宗教的形式を帯びても脆弱だった。古代国家でも国王と神=太陽との同一視(現人神)が採用された期間は短く、神性の些少な君主制(代理者)が採用された期間が長かった。従って前近代的な神性は中間勢力が共有しており、反動主義でさえ完全に神性を国王権力へ集中できなかった。

18世紀以前にも共同体の動乱状態に際して、議会や法を停止させる存在は確認できる。議会主義との関連では17世紀の清教徒革命に際して、議会の招集や法案発議、拒否権を有する「特別組織」が創設された。アガンベン(2003)は例外状態の端緒を古代ローマに見出すことで、例外状態や中立権力の分析を同地域に限定している10。畏怖を制するのは擬制的な畏怖(例外状態)であり、自然を制するのは擬制的な自然(中立権力)である。擬制的なものは畏怖と自然を克服する時代区分、それぞれ古代と中世に出現したと考えられる。例外状態は通例状態における権力の分散と相対を前提としているため、民主主義の起源と展開を西洋に置く議論との親和性が高い。同論文ではローマ諸王や皇帝の世俗性を強調するため「公共性」が例示されている。

Baume(2018)は列挙した中立権力が2種類の領域に分類できると指摘した11。まず第1領域は非介入や受動性という単一の中性的基盤に立脚した中立性を有する権力である12。当該の領域には中立権力のうち前述した国王だけが該当する。次に第2領域に分類されるのは前述した非介入や受動性という性質を持たない権力である13。換言すれば当該の領域に分類されるのは、次節で取り上げる中立化した中間勢力である。深瀬(1960)によると国王権力は中立権、調整権、予防権という3種類の権利と、不可侵性に基づく無答責の権利を有すると述べている14。そして国王権力の介入は自由と秩序の維持や回復、憲法制定過程の保護が必要とされる例外状態に限定されている。発動は国王の判断に依拠するため中立性の有無に議論はあるが、何れにせよ議会制度の仲介者という役割に徹底するとされている15。また国王権力は最高の権力で他の権力に優越するが、同時に他の権力から牽制されることが理想の形態である。国王権力の対極に位置するのが簒奪権力であり、ジャコバン体制や第一帝政に具現される独裁制の最高権力である16。簒奪権力は例外状態を無制限に恒常化させることで、劣位にある他の権力を停止せず破壊する17。中立権力は神話的な暴力を補助する暴力であり、簒奪権力は神的な暴力それ自体である。国王権力の弱体化と中間勢力の肥大化という歴史的変遷は、中間勢力の中性化と中立化が図られる契機だった。


2.2. 中間勢力の中立化

Baume(2012)によると中立権力の第2領域はさらに4種類に分類できる18。第1項目の裁判所は明確な基準に依拠した客観性と公平性に基づく中立性を有する。第2項目の職業的専門家は政治的利益から拘束されない専門的能力に基づく中立性を有する。第3項目の大統領は対立集団を包括し相対化する表象性に基づく中立性を有する。第4項目の第3国は紛争解決という目的に基づく中立性を有する。前節の国王権力は宗教的価値観に基づいていたが、本項で取り扱う中間勢力は世俗的価値観に基づいている。前節の末尾に記した時勢と政情の不安定化は、動的な中立権力の必要性を明示し正当化する理論の根拠となった19。戦間期ドイツではヴァイマル憲法の作成時から大統領の中立化が構想されていた。加えてC. シュミットとH. ケルゼンは前者が大統領と職業官僚を、後者が憲法裁判所をそれぞれ中立権力であると主張した。近代的な政党は理論化の後に登場した新たな中間勢力であり、ヴァイマル共和国では左右の過激派を調整する必要があった。新冷戦期のアメリカでは国外の中立権力を利用した民主化に関心が向いたため、前述したリンスは政治発展論において軍隊と警察を中立権力に加えている。シュミット(1924)も主権行使の事例としてプロイセン軍による議会の停止を挙げており、当時は実力組織が「主権」を根拠に中立権力へ分類されていた可能性がある。

以上で確認した中立権力の変遷から次に挙げる法則性の導出が可能だと考えられる。先ず中立権力の根拠となる中立性は移転するため、中立権力に該当する存在の流動性が高い20。コンスタンは議院内閣制の存続には中立権力が必要だと考え、当時は中立性に含まれていた国王権力を中心に理論を展開したに過ぎない21。次に中立権力とは憲法に存在が規定されてはいても、実質的な権威の顕示や権力の行使については規定されていない。中立権力の役割は優越性を強調した場合には「憲法の主人」、中立性を強調した場合には「憲法の番人」と称されるが実質的に同一である。そして中立権力は中立性を確約する存在であるが、非中立的な側面を公開しないことで中立性には疑念が生じる。従って中立権力について「待望される」と「待望する」という行為の主体が重複する余地を残している。

中間勢力を前身とする中立権力は他の権力に優越する正統性を有していない。従って国王権力のような無答責の権利を有しておらず、通例状態でも介入を伴うため中性も有していない。そして中立化した中間勢力は自身の権力基盤を独占できないと考えられる。ただし国王権力と中立的な中間勢力は、強制力により諸権力を矯正する特徴が共通している。他の権力に対する優越性という要件が実質的な力量の判定に委ねられ、中間勢力は自身の中立性に依拠して有権すると考えられる。


2.3. 二重の例外状態と中立権力の多元化

先行研究では中立権力に行政組織が含まれているが、分類するに至った経緯は説明されていない。前述した中間勢力の中立化に関する議論を踏まえて、本項では行政組織が中立権力に分類された歴史的経緯を考察する。先ず行政組織は通例状態とされる状況においても「中立性」を確約することで例外状態に置かれている22。アガンベン(2003)は暫定的には唯一無二の存在であるはずの例外状態が、重複している状況を「二重の例外状態(恒常化した例外状態)」と指摘した23。例として先行する宣言の存在を無視して例外状態が繰り返される状況、先行して宣言された例外状態の存在を認識せず放置されている状況、共同体において複数の政権が例外状態を発出する状況が挙げられる。即ち「二重の例外状態」とは宣言された例外状態の数量ではなく、先行する例外状態と後発の例外状態で構成された緊張関係を指している。「二重の例外状態」が発生した時期は立憲的な議会が誕生した近代であり、行政組織の肥大化と立法権に対する行政権の優越性に起因している24。立法府は法を制定する最高の機関であるが、行政府の意思決定に基づく委任と条例は立法府を優越している。また行政府は実質的に司法府にも優越しており、立憲的ではない共同体では服従させている。司法権に属する最高裁判所は中立権力であり、中立権力もまた多重構造に組み込まれていると考えられる。

唯一無二の例外状態が「二重の例外状態」に移行する理由は、例外状態を認識させることが可能な権力に宣言されるからだ。しかし行政機関が中立権力に該当しても、委任されている権能には限界があり、必ずしも当該の権力が主権者とは云えない。従って軍隊と法執行機関は中立権を有しているが、クーデターのように立法府の委任関係を解消しない限り、例外状態を宣言することは想定されていないと考えられる。第一領野の中立権力が保有する神話的暴力、第二領野や簒奪権力が保有する神的暴力には差異がある。中立権力論では第二領野や簒奪権力による神的暴力は、主体の呼称から判断できる通り待望される行為ではない。立憲主義の文脈では主権者たる「憲法制定権力(神話的暴力)」に限って実力行使が可能だからだ。しかし近代化に伴い中間勢力や簒奪権力が法に組み込まれることで神的暴力が「神話化」する。神的暴力は法に組み込まれた行為となるため、行使される実力は法に反しながら待望される行為となる。


2.4. 立憲主義における中立権力の意義

中立権力に関する先行研究は中立権力の変遷や分類には着手してきたが、それ自体が憲法の立憲主義と矛盾しないのかという問題に対して明確な回答を避けてきた。立憲主義は諸々の権力や法制度を抑制する性質だが、中立権力は観念に反して超越するからだ。中立権力は前述の通り第1領野の無答責な権威の正当化から出発しているが、無答責が立憲的な制度下で容認される余地は縮小する傾向にある。中立権力は例外状態に際して諸権力を調整する「介入者」であるが、立憲的な議会制度の維持という結果を保障する「責任者」ではない。従って中立権力論とは絶対的な存在の日和見的な待望に他ならず、相対的な存在を前提とする民主体制とは相容れない。実力組織は絶対的な存在との結び付きが強力であるため、選任された上位存在が動乱状態で減退すれば暴力や恐怖で自己を正当化できる。しかし比較が可能な存在を前提に形成されている民主体制は、比較で生じる操作が可能な差異が必然的に生じる。譲歩や妥協、説得といった民主的な営為は差異や境界で実践される性質である。実力行使は相対的な存在どうしの空間を歪めて政治空間を縮小させる。実質的な実力組織と理想とされている中立権力は極度に近似した存在である。中立権力は民主主義に対しても中立的な態度で振舞うため、民主主義が実践される余地を縮小するという点で「非民主主義的」である。しかし実力組織は法制度と同様に立憲的に運用される場合に限り、民主的な「価値観の共同体」を護持する極めて強力な存在となる。

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