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東日本大震災から10年,僕の目線

最近,雑草が生い茂る自宅の庭をどうにかしようと思いウッドデッキを作った。子供が立って歩くようになって,家の中だけで遊ぶには手狭のように感じられるのでちょっとでも遊べる空間を作ってあげたいと思ったからだ。今年の1月末からつくりはじめ,桜が咲く頃までには完成させたいと思い毎日コツコツとペンキやノコギリを使って作っていた。いつものように庭でノコギリを使って木を切っていたら街中に放送が流れた。今日で東日本大震災からちょうど10年なのでみんなで黙祷をしましょうという放送だった。あの時から10年経ったのだけれども僕は何が変わっただろう?と考えた。

震災当時は東京に住んでいたのだけれども地震の恐怖もさながら人々のパニックにも恐怖した。そして原発,放射能のことに恐怖しすごく怯えていた。何年か経ってもその恐れは薄れることがなかった。震災から3年ほど経ってたまたま仕事で京都に引っ越すことになって環境が変化しその恐れや不安は薄れていったのだけれどもなくなることはなかった。

いま冷静になって当時の僕を分析してみると震災直後の"恐怖"というのはきもち悪いものをみて鳥肌が立ったりゾクッとすることに似ていて,内側から込み上げる潜在的な"恐怖"であった。けれどもその後僕が数年間感じていた恐れや不安というものは「恐れたいから恐る,不安と思いたいから不安と思う」という意識的なものだったのではないか,と考える。前にラジオでアンガーマネージメントの人が言っていたのだけれども「怒りは娯楽です」と言っていたことにも近いのかもしれない。怒りというのはお金もかからず気軽にできる趣味のようなものだーということを言っていた。SNSやニュースなどをみて政治に対して怒ることなどはあるかもしれないけれども,それが常習化すると本当に怒っているのではなくて趣味や娯楽のようなものになるのかもしれない。いつの間にか潜在的に感じた怒りではなくて「怒りたいから怒っている」という意識的なものに変わってしまうのではないだろうか。

はじめは恐れや不安は自分の中から潜在的に感じるものだけれども,時間が経っていくにつれてその時感じたことを間違っていたこととはさせないために恐れや不安を自ら意識することで継続させるー意識的なものに変えていくのではないだろうか?恐怖や不安は一定の期間を過ぎると自らの生活の中に潜り込み,歯を磨くとか食事する,通勤するといったことと同列に近くなってしまうような気がする。そうやっていうの間にか生活の一部になってしまうのではないだろうか?その生活の一部にある恐怖や不安というものは本当の意味での恐怖や不安なのだろうか?もはや生活の一部となった恐怖や不安は震災当時に感じた恐怖とは違うものになっていて,そんなことをいつまでも思う必要はないのではないか?といまでは考える。

震災当時,僕は放射能のパニックに陥り周りにいた人たちには迷惑をかけてしまった。本当にごめんなさい。

当時の僕からすると10年後の未来は絶望的だったのかもしれない。けれども,いま10年後の僕は庭で鼻歌を唄いながら,ウッドデッキでゆったりと過ごす姿を想像してノコギリで木を切っているのだ。

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