生活は続く
中学生の頃に気が合うと確信していて、近いうちに連絡しようと思っていた友人が亡くなったという話を聞いた。
友達とカラオケで楽しんでいたときにその事実を聞いたのだけれど、それまでめちゃ楽しかったのが、その話を聞いてからはずっと頭の片隅にその友人が居続けて、楽しむことができなかった。
いち早く連絡するべきだった、と後悔が耐えない。もう一生話せないと思うと、限りない闇が近づいてくる感覚が襲ってくる。感謝の言葉も、お別れの言葉も、何も言えなかった。
人は突然死んでしまう。だから、今、伝えたい愛のようなものは後回しにせず、無責任に電話でもかけてみて、相手を傷つけるつもりで伝えてやる。相手が嫌がっていても、そのパーソナルスペースを侵害してでも伝えてやる。それがいいんだろうな。
なんか、自分の教訓とか、ポエムとか、そういうものに友人を使うのも失礼なんだよな。何をやってるんだ、と思う。
けれど、気持ちの整理がつかないし、こんな一生忘れないと本気で思っている感情も、時が攫いいずれ何となく風化してしまうものであるから、記しておきたい。
きついなぁ。友達には死んでほしくない。当然。
自分も、死なないように務める。
一応、自殺ではなく、病気が原因で亡くなってしまったと聞いている。
だから、相手に口酸っぱく健康とか、検査とかに口出しして良いのかも。死んでほしくないもん。
そのためには、まず自分がその模範にならないと説得力も湧かないね。
その子とは学校の行事で一緒に北海道に言ったことがあって、自分が創作していた物語について、熱意を持って一緒に話してくれたりして、本当に良い奴だったんだよなぁ。
沼に沈みそうだし、失礼であるから、これで終わる。友人の死をきっかけに自分がダークな、ブルーな気分になることをその友人は望んでいないだろうし、失礼だ。前を向いて生きないといけない。生活は続く。
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