「ファン」とはどこの誰なのか?
タレントや、アーティストや、キャラクターのファンの方々は、どこに住んでいてどんなお仕事をしているのか?と考える瞬間がある。
レビューを書いていると「ファンの方々はこんな風に聴いている」とか、インタビューの時にも「ファンの皆さんも楽しみにしていると思います」などと発言してしまう。
言いながら「今自分は誰のことを取り上げたのか」「ファンとはどこの誰のことなのか」とよく考える。
私はそこに含まれているのかいないのか、それすらはっきり分からない。
いつから応援されるタレントやアーティストが生まれて、どこから応援するファンが生まれて、お互いの毎日が始まるのか。
どの境界線を越えたら、ファンと名乗り始めるのか。
偶然見かけた芸能人に「ファンなんです!」というあの一言は、あまり信用できないし、言われた本人もきっと信用していない。
正真正銘のファンで、いつも尽くしている人にかぎって、なぜ「ファンなんです」と言える機会が訪れないのか。理不尽だ。
「ファン」とは何だかとても不思議な“現象”のようにも感じる。
でもそう思うのはきっとマクロとして捉えているからで、それがどんな方々なのか、細部まで想像して発言していない。漂う雲のように漠然としている。
だからミクロで考えたい。空から降る雨粒の一つひとつ。
たとえば「これからも記事楽しみにしています」と声をかけてくれる方にも生活があり、悩みがあって、家族がいたりする。
私はいつも「読んでくださってありがとうございます」と言うばかりだけれど、その方々だって応援されるべき何かがあるはずだ(あったら教えてください)。
誰かのファンの皆さんがどんなお仕事をしていて、今日がどんな1日だったのか。
お互いに分からないし、分からないから成立している関係もある。
けれど、何か楽しみにしているイベントがあり、それを励みに頑張っているかもしれない。
いつも記事を読んでくださっているのはそんな方々なのだ。それこそがライターが大切に思うべき、慮るべきことなのだと考える。
みんな違ってみんないいけど、みんなそんなに違わないのではないか。とも思う。
だから私は、読んでくれる方もきっと共感してくれるはずだとどこかで期待をしているし、それがあるから記事が書ける。
共感していただけなかったとしても、私にとっては何か発見につながるはずだ(ということにしておきたい)。
ファンとは共感の集合体なのかもしれない。
一人ひとりに100の感じ方があって、それが1000になって10000になっている。
それを忘れずに、今後も記事を書いていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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