パクチー犬 2



頭上からガンガン照り付けるクソバカ太陽野郎が一瞬にして雲に隠れ、一転してクソバカ大雨がナニゴトダァーという勢いでザザ降りの雨をひっくり返し、ふたたび太陽が今度はただのバカ太陽ぐらいの輝きで西の空に戻ってきた夕刻のことでした。
水たまりを飛び越え飛び越えサンダル履きでペタペタ歩いていると、ちょうど四つ角のところで、足の悪いやせ犬が一匹、車に追い立てられているところでした。
「パーン、パーン、パーン」
高音のクラクション。そう、このあたり一帯の特徴なのですが、クラクションの音がやたらデカいのです。耳をつんざくような金属質の高音が、運転手のイラつきそのままに、あたりに刺々しく鳴り響いています。

ところがこのやせ犬、人生をはかなんでしまったのか、クラクションで激しく追い立てられても、ふてくされたようにのらくらするばかりで、一向に立ち退く気配を見せません。
ふと目が合いました。じっとぼくを見つめています。上目づかいに哀願するような赤い瞳でした。

(しょうがねぇなあ)

そうつぶやくと、ぼくは、手で車の運転手に軽く挨拶し、やせ犬に近づきました。衆人環視というほど大袈裟なもんでもありませんが、なんとなく道ゆく人が事の成り行きを見守っている感じがして、ぼくは気恥ずかしさも手伝って、結構あらめにのら犬を道端に追い立てました。

「おい、犬。なんだよお前、人生はかなんじまったのかぁ?」
外国のことゆえ、誰はばかることなく日本語でそう話し掛け、コリコリする頭を撫でさすっていると、何やら足下に生暖かいものを感じます。
「あー犬ぅー、お前ションベンもらしやがったなぁー」
見れば生暖かい液体がじんわりとサンダルを濡らしているではありませんか!
その排尿姿勢からして恐らくメスと思われるそのやせ犬は、相変わらず我れ関せずといった面持ちで遠くを見ています。そのあまりに泰然とした態度を前に、怒る気力も消え失せました。

(しょうがねぇな、まったく)

ひとりぶつぶつ呟きながら、水たまりで足をジャブジャブ洗っていると、なにやら背後からの気配を感じます。
“気配を感じる”などと書くとなんだか大仰に聞こえますが、長旅を続けている旅人というものは、確実にこの感覚を身につけるものなんです。

現地の言葉もろくに話せず、文字も読めないわけですから、いうなれば視覚聴覚にハンディキャップを持って暮らしているわけです。ちょうど盲人の方が鋭敏な聴覚を身につけるように、旅人もまた気配を読む能力を身につけます。
好意的な気配、怪しげな反応、あるいは身に迫る危機──それらを確実にかぎ分けます。

その時、ぼくが感じた気配はといえば、それはとても暖かなものでした。
振り返ってみれば、道端に開店準備中の屋台があり、そこのおばちゃんが店開きの手を休めてぼくに微笑みかけているのでした。「どうも!」。つられてぼくも思わず笑顔になります。
──旅先でのちょっとしたエピソードです。旅の道すがら、何度こんな出逢いを繰り返してきたことでしょうか。
ほんの一瞬のこころの触れ合い。きわめて日本語らしい日本語でいうなら「どうも!」のひと言。何がどうも!なのか自分でも皆目わかりませんが、とにかくこの瞬間、こころは弾み、自然と笑みがこぼれるのです。
言葉を交わすわけでもなければ、握手をするわけでも、ましてや抱き合うわけでもないのに、こころの片隅に暖かい想いがポンッと沸き上がり、そして静かに消えてゆきます。旅の先々で、ぼくはこんな一瞬の出逢いと別れを何度も何度も繰り返してきました。
“友人”と呼ぶにはあまりにも関係が薄いように感じられるかもしれませんが、ぼくはこうして魂の琴線に触れる人だけを友と呼ぶことにしています。一期一会──それこそが人生というこの旅の、最大の楽しみに他なりませんからね。

ぼくは、二度と逢うこともないだろうおばちゃんに対し、アジア人同士でしか通じない、ぺこり頭を下げるだけの微妙な挨拶を送り、そして、再び歩き出しました。

──ぼくの世界観を大きく変えるきっかけとなった“パクチーおばちゃん”との、これが最初の出逢いでした。


おばちゃんは年の頃なら四十歳後半ぐらいでしょうか?細かい形容をすっ飛ばしても問題ないぐらい、おばちゃんでした。
正直、顔は覚えてないのです。ただいつも笑顔で、笑顔のおばちゃんと表現するだけで十分だとも思っています。なにはともあれエニウェイ笑顔のおばちゃんなのです。

夕刻になるとカオサンの外れには屋台が立ち並びます。バーミーナムというタイのラーメンを食わせる屋台なのですが、おばちゃんちもその屋台でした。
なんの用事かは忘れましたが、所用で出掛けたその帰り道でもまた目があいました。ニッコリ笑ってどうも。ペコリ。
夜、飯を食いに外に出てまたニコリ。ペコリ。

こっちがタイ語を話せるか、おばちゃんが英語でも話してくれればコミュニケーションの取りようもあるのですが、タイのラーメン屋のおばちゃんが英語なんぞ話すはずもありません。
英語が国際語だなんて思っているのは日本人のとんだ勘違いで、庶民はあくまでも自分たちの言葉しか話しません。

と、偉そうにいう以上、ぼくがタイの言葉を話せれば問題はないのですが、タイ語は中国語同様イントネーションが独特で、なかなか覚えきれないのです。タイの皆さん、ごめんなさい。
カタコトでも現地の言葉を話すことを心掛けているぼくは、インドネシア語は一週間でそこそこは話せるようになったのですが、どうもタイ語とは相性が良くないらしく、覚えきれないのでさじを投げた感がありました。
ひっきょう、どうしてもペコリニコニコになってしまいます。

次の日は夜までにおばちゃんと四回も出逢いました。うち二回はカオサンから遠く離れた場所での偶然バッタリです。
さすがにその夜は屋台の前を素通り出来ず、覚悟を決めておばちゃんの店に顔を出すことにしました。どうせ夜は十件ほど先の屋台でバーミーナムを食べてたのですから。

だったら“覚悟を決めて”などと大袈裟なことを言わず、すんなりおばちゃんの店にいけばよさそうなものですが、もちろん訳ありです。
パクチー。これが問題でした。

タイのラーメン・バーミーナムはさっぱり味のスープにお好みで砂糖と唐辛子をブチ込んで食います。その激辛激甘の味には舌が順応したのですが、出来立ての麺の上にパサッと乗せるパクチーがいけなかった。
いわゆる薬味です。日本人がラーメンやそばに好んで刻みネギを入れるように、タイ人にとってバーミーナムにパクチーは欠かせないシロモノなのです。
その“香り”については敢えて書きませんが、とにかく臭い!一瞬にしてスープがパクチー臭に染まってしまい、とても食えんのです。
いうまでもなく十件先の屋台はパクチーを入れない店で、パクチーを苦手とする人が多い日本人旅行者の間では、ちゃんと情報が流されていたのでした。
パクチー入ってたら食えないかもな?と思いながら、覚悟を決めておばちゃんの店に入りました。

つづく