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◆虎に翼18話、翼になれなかった羊として

ハイキングを全力で楽しむ轟。

鼻の穴をかっぴろげて、すぅうう! はぁ!
空気がうまい! 声もよく響く!
男たる者、荷物を持つぞぉ! さあ、渡してくれたまえ! 玉、光三郎から引き取るぞ! はっはっは!
楽しいから、よねの言葉に乗っからず「きみとは議論をしないぞ! 今日はハイキングだからな! みなさん行きますよ! ついてきて!」。
のぼりおえたら?
「やっほぉおおおおおお!」
おお、三度も返ってきたぞ! はっはっは!

大爆笑だよ! ありがとう、轟!

それはそれとしてはしゃぎようが素直すぎる!
キミは子犬か、轟。
だんだん子犬に思えてきたぞ、轟。
でもわかる。
ハイキングは楽しいよな! 轟ぃ!


寅子は靴擦れを起こす。
花岡が跪き、寅子の靴擦れに手ぬぐいをちぎり、巻いてみせる。
男たる者、婦女子の面倒を見るべし。
そういった態度なのだろう。

しかし寅子の脳裏にはきちんと刻み込まれている。
「女は優しくするとつけあがる」
花岡の発言だ。
一見すると優しく紳士な振る舞いと一致しない。
この違和感はなんだ。

はて?


ハイキングといえば、ご飯。
ご飯といえば?
男たちにとって「婦女子が作るもの」であり「男は食らうもの」。
小橋が「おふたりの手料理もいただきたいな!」と発言。
これに直ちによねが「は!?」と詰め寄る。

よねの詰め寄りに小橋、怯む怯む。
「料理は女性の武器なんだから!」
ちがうぞ小橋。料理はだれでもできるぞ? お前もハイキングにご飯を持ってくるんだぞ? 小橋。

花岡「彼女たちには料理なんていう武器はいらないんだよ」
そばにいた寅子が「こいつなに言ってんだ?」顔なのがいい。
花岡「作ってくださったみなさんに感謝していただこう」
その間、梅子、涼子、玉が俯き僅かな「すんっ」。

おにぎりを食べて「うん! うまい!」と轟、歓喜。
豪快に食べる轟を、じーっと見上げている光三郎くん天使すぎないか? ねえ。

「なあ! 光三郎くん!」と声を掛けて「でしょ!」と自慢げな光三郎くん。手におむすびを入れていた箱を抱えていた。
轟に渡して、食べるところを見守っていたのかな?

梅子さんに「ぼく、お母さんのおむすびが一番すき!」という。
ベタベタでいい。それがいい! たまらなく好き!
梅子さん、光三郎くんの言葉を受けとるも、感情の揺れが見えすぎる。これには香淑さんたちも「梅子さん?」と気遣わしげ。


小橋、あと稲垣かな?
ふたりと相撲を取る光三郎。
男尊女卑ド直球のペアながら、こども相手に相撲を取るところ”だけ”はいいお兄ちゃん。なのだが、問題はその先だ。

彼らは本当に、純粋に、無批判に受け入れているのだろう男社会における女のありかた、男のありかたを説いてみせる。
彼らの主観は、そのまま大勢の男たちが「そういうものだ」と無批判に受け入れたものだ。

具体的には?

女は家庭に入れば、食事を作り、子を生んで悠々自適。
立派な男は仕事ができる。家庭を支える。ご婦人にもてる。妾を囲う。

小橋、稲垣にとって、そして多くの男たちにとって世の中とは”そういうもの”だ。
無批判なまま。そういうものだから、受け入れる。
それがどういうことかなんて考えもしない。
個人の立場に立脚して、個々人の多種多様な価値観や感受したもの、考えや感じ方、喜びも苦悩もなにもかも見ない。
まず”そういうもの”があって、次に人がくるが、人は優位にまさる。
なので、帝大生のように自分より優位な者の前では?
「すんっ」
女たちを前にしたら居丈高。漏れなく「男がものにできる女」扱いである。立派な男になるチャンスであり、そのために消費する”もの”なのである。妾チャンスなのだ。


寅子、血相を変えて割って入る。
「やめて!」
そうだ! やめろ、小橋と稲垣(たぶん)。

寅子「そんな話こどもの前でしないで!」
いや、だれの前でもするなだし。
梅子さんと光三郎くんの前でする時点でラインをいくつも越えているんだぞ?

稲垣(たぶん)「大庭先生がご立派だって話だ」
小橋「そういうところだけ女ぶるなよ」

は!?
かちんとくるが、小橋のような態度は現実でしばしば目撃するものだ。
小橋、世のあかん男の代表みたいな役回りである。

「はて。私がいつ男になりたいと言いましたか?」
寅子の問いに小橋、止まらない。
「男の世界に入ってくるなら、男の願望も受け入れろって話だよ」
本当に世のあかん男の代表だな、小橋!

まあまあと割って入る花岡に稲垣(たぶん)が「花岡も言ってやれよ! ご婦人方に好かれるのも、男の格をあげるために必要だってことだよ、な!?」などという。

花岡が真に立派な人間ならば、これを叱咤する。
しかし花岡が目指すのは立派な人間ではなく、できる男なのだ。
「そういうことで、自己の価値を計る側面もあると思うが」
馬脚を現す。

はて?
寅子、待ったをかけるが花岡とまらない。

「家庭ごとに状況が違う。少なくとも! 大庭先生はきちんとご家族を養っていらっしゃるのは事実」

「え? 養っているから、なんですか?」
そうだ。

花岡を演じる岩田さん、ここで「わかるだろう?」「面倒だなあ」「わかれよ」みたいな空を仰ぐ芝居が「わかるぅ!」。
できる男自負野郎、やるぅ! ここで肝心なのは自負であって、できるかどうかは関係ないところ。なので、ボクも身に覚えがある。
致命傷だ!

「毎日社会の荒波に揉まれて、夫として、父としての役目を果たしていたら、外ですこしくらい息抜きをしたほうが、結果! 家庭円満になることもある」
ド直球のくず発言である。
しかし、このくず発言をしている男は老若男女問わず見かけたことがあるのではないか。

「家庭円満と思っているのは夫のほうだけです」
そのとおりだ。

「夫の女遊びを知って、幸せを感じる妻はいません」
まったくもって、そのとおり。
逆もまたしかり。
男女差による現実社会の格差が存在することと、その影響からすべての人が逃れられないことを忘れてはならない。
頼りになる味方がほしいのか、それとも遊びなのか。
正当化になるという話ではないが勘案すべきことだろう。

寅子の指摘に花岡の感情のタガが外れていく。
彼女の話の最中に頭を大きく振る様に、なにか振り払いたいくらいに噴き出るものがあるのか。

「いいや。自身の生活を天秤にかけて満足するはずだ」

いやに感情的だ。
彼の適応した「理屈」なのか。
それとも彼が縋りたいなにかがあるのだろうか。
いずれにせよ、急所か、急所に近いところを刺激されたような言い返しようであった。

「生活を盾にして渋々納得させられているだけです」
寅子の言うとおりだ。男たちの欺瞞に過ぎない。加害に過ぎない。
生活を人質に取られているだけだ。

「家のことをほったらかしで、大学に通わせてもらっていることが渋々納得なのか」
どんどん感情が膨らんでいく花岡。
小橋か稲垣(たぶん)が国会の野次議員のように追従する。
おぅっ。そうだっ。

「私たちの学びと女遊びを同列に並べないで!」

ああ言えばこう言いやがって!
明らかにむっとしながら、感情と言葉、寅子の反応と自分を合わせて、なんとか言い負かそうと言葉を探る花岡。
「きみたちはどこまで特別扱いを望むんだ!」
とうとう出てきた本音。
そうだぁっ。野次もよわい! 情けない! 乗っかるところでもない!

寅子「はい?」
花岡の発言にショックと落胆を覚えていたにせよ、今回の発言が決定打になって見えたもののあまりの情けなさ、どうしようもなさに明らかになにかが切りかわったような反応だ。

「男と同様に勉学に励むきみたちを、僕たちは最大限敬い、尊重している! 特別だと認めているだろ!」
譲歩してやっているのに、なんでわからないんだ!
僕たちをすごい、立派、格がちがうと褒めることはあっても、責めるのは筋違いだろう! というのである。

だけど筋違いな上から目線にあまりに無自覚だ。
尊重しているのではない。なるほど、特別だと認めているだろうが女としてである。彼らが適応した世のありかたにおける女として。
ひとりの人間として寅子たち五人をみていやしない。
あまりに筋違いなのである。

寅子、これには怒る。
舞台に立つ寅子と花岡。
観客席のようなピクニック場所から見上げる梅子や轟たち。
「ああ! ああああ!」と心配して、だれより不安げな顔の轟が気になってしかたない!

「私たちは特別扱いされたいんじゃない! 特別だから見下さないでやっている? 自分がどれだけ傲慢か理解できないの!?」

まったくもってそのとおりだ。
しかし、この言葉を聞くべき人は花岡だけじゃない。
この怒りをまともに取り合ってこなかったばかりか、特別扱いをしてやっているのになにが不満なんだとのたまう者は、花岡だけじゃない。

「僕たちはきみたちが勝ち得た権利を認めて」
と言ったところで、支えに縋っていた柱が抜けて、間抜けにゆっくり落下の花岡。滑稽に見えるけれど、舞台から落ちていくのも納得ではある。
暴力はいかん! 暴力は! となる人もいるのだろうけど今回はボクはそうは思わん。
花岡よ。きみは自分で落ちた。
思わぬ形で。残念にも、不運なことに。自分で落ちた。


病院に場所を移す。空気が重たい。
轟が付き添ったのだろう。彼だけが出てきた。
梅子さんが容態を尋ねると「もうすこしかかるらしい」。次いで、またしても梅子さんが「親御さんに私からお電話しましょうか」と提案されるが「いや。父上には俺から伝えます」と引きうけてみせる。のみならず「あの程度なら佐賀から来てもらうこともあるまい」と付けたした。

今日の回を見たのが昼過ぎだったので、SNSで「花岡の故郷は佐賀か」「あああ」といろんな反応をお見かけした。

涼子がお母さまがご心配なさるのでは。お母さまがいらっしゃれば花岡さまもご安心なさるのでは。そう伝えるのだが、ここで轟が花岡の情報を明かす。

「花岡の母上はずいぶん前に亡くなっている」
これには全員「ああ、ああ、そうなのか」と暗い顔に。

直ちに轟は明るく力強く伝える。
「気に病むな! あいつが自分で足を滑らしたんだ」

うまいフォローじゃなかったぁ!
寅子が「でも」と小声で言うなり「なにか飲みものを持ってこよう!」とダッシュで撤退! 轟ぃ! 気遣い飲みものなのか、しくじり気まずい飲みものなのか、どっちなんだい!

香淑さん「轟さん、根はいい人ではあるんでしょうね」と気まずい空気にフォローを入れる。
よねさんは「どこがだ」と返す。

たんなる対抗心だけではなく、カフェーでいろんな男たちを見てきたのもあるだろうし、轟も花岡たちが適応して抱えた男尊女卑を抱えているという警戒心もあるのだろうし、そうした価値観は深く広く根を張ることがあるから、というのもよねさんなら心得ていそうだ。

いろいろあったけどハイキングの帰り。
光三郎くん、梅子さんの膝枕で眠っている。

沈黙のなかで、梅子さんが「あーあっ! とうとう知られちゃった! みんなに」と明るく朗らかに言ってみせる。そうとうな背伸びと無理をして。

そうして梅子さんが語る。
若い頃には自信があった。よき妻、よき母になる自信が。
嫁の鏡だと言われた。なにせ、すぐに子を授かったのだ。そのときから夫は家に帰らなくなったけど、こどもがいたと思えた。
なのに夫の母が「乳をあげればいい。この子は自分が大庭家の跡取りとして立派な弁護士に育て上げる」と取り上げた。
それでもこどもたちが立派に育つのならそれでいいと思っていた。

むりだ。
つらすぎたはずだ。
苦しすぎたはずだ。

だれも相づちさえ打てないなか、梅子さんの話は続く。
そうやって戦うことから逃げていたら、罰が当たってしまった。

思い出しているのだろう。
様々な作品でお見かけしてきた平岩さんの表情の定められない揺らぎに梅子の人生の懊悩がにじみ出る。
それは決して形にならない、留められないうねりだ。
苦しみと痛みの波だ。

長男たちの後をついて歩く梅子がつまずいたとき、長男の徹太がふり返って「どんくさいな」という。
梅子を見る冷ややかな目、ものの言い草、夫そのものだった。
当時の映像に梅子さんの絶望が色濃く滲む。
息子でなく夫のようなものになってしまった。
血の気が引くように。祈るように握っていたものが離れていって、遠くへ押し出されていってしまうように、抜け落ちていく。失ったものに引きずり寄せられてしまう。
その事実に耐えながらも、いまはついていかなければならないということに歩く梅子さんの苦しさが滲んでいた。

梅子さんが大学に通う理由が開示される。
離婚をするため。こどもの親権を得るため。
大庭がこどもを渡すわけがない。
長男はもう間に合わない。
でも、次男と三男はちがう。

よねが真っ先に「無理だ」と語り、寅子が「民法第877条」と呟く。
意図をもって大学に通った梅子はもちろん、心得ていた。

「民法第877条には子はその家にある父の親権に服すとある」
離婚をして大庭の家を出たら、梅子に親権を得る手立てがない。

「それでも、やらないといけない」
光三郎くんを見つめながら「いまはだめでも、糸口を必ず見つけてみせる。長男はもう無理かもしれない。次男とこの子は。絶対に夫のような人間にしたくないの」と言うのだ。

涼子さまを率先としてみんなでもっと早く話してほしかった、力になりたかったよと伝える。

そこで梅子さんが言うのだ。
絞りだすように。力を出すように。

「だって、みなさんが私を好きになってくれたから!」

何度みても泣いてしまう。

「妻としても、母としてもなにも誇れない。だれからも愛されない。こんないやな女の私を」
寅子の後ろで涼子さま、そんなことないと首を振る。
心の中で、そう叫んだ人もいっぱいいたんじゃないかな。

「私は、長男を救えないって諦めてしまっている」
絶望だけじゃない。選択せざるを得ない。だけどどうにもすることができない。八方塞がりのなかで、自分を諦めそうな、抜け殻になってしまいそうな沼にはまっている。
平沼さんの演じる梅子さんが、自死する前日にボクにいろいろと語った母に重なってしかたがなかった。

「そんなことない!」
ハ・ヨンスさん演じる香淑さんが大きな声で言う。
あの日、母に訴えた自分を重ねてしまう。

香淑さんが入学式でも、いつでもどこでも、声をかけてくれた。
とても優しかった。大好きだよと。

寅子も力強く言う。
梅子さんは心優しい、とても魅力的ないい女です! と。

みんなが見守るなか、やかんらしきものを手に聞いている轟。

当時のボクが母に渡せなかったこと。伝えられなかったこと。
たくさんのものを、みんなが梅子さんに渡す。
生きる力として、梅子さんがくれたもののように、寅子たちが渡している。

当時のボクが蜘蛛の糸を切ってしまったのなら、寅子たちは糸を紡いでいる。梅子さんが編んでくれていたように。

涙しながら「ありがとう」と微笑む梅子さんに涙が止まらなかった。
番組終わりに「わたしの翼」として、赤ちゃんとこどものふたりの写真が掲載されていた。私の翼は息子たち。

ボクは翼になれなかった。
愚かな羊だ。

花岡や小橋、稲垣(たぶん)のような愚かな振る舞いも何度もした。その自覚もある。轟のように振る舞っていたつもりのことも多いけれど、相手がどうなのかを考えることを知らずに、ただただ愚かだった。

梅子の長男もそうなのだとしたら、見ていてつらすぎるな。

戻ってきたタイミングも不明な轟だが、なるべく早い段階で戻ってきたものの声を掛けられずに、ずっと聞いていたのかな。
そうあってほしいなと願う。
梅子さんが語ってくれたことが、轟になにかの意欲へと繋がる一歩になってくれたらなと願わずにはいられない。

花岡よりも轟のほうがクレジット先なんですよね。
なにか、きみらしい選択を見せてほしいよ。轟。

きみに仮託して自分がなにもしないようではいけないな。
ボクもしっかり生きないとな。

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