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◆虎に翼、浮かぶのは自分ばかり

今日はおさらいから入ろう。


明律大学女子部法科の学生たちが、志望学生数の減少に伴い学祭である「明律祭」にて法廷劇を演じることに。
実際の判例をモチーフに学長は筋書きを用意。
これを華族のご令嬢である桜川涼子が脚本としてまとめる。


実際の舞台は幼稚な男子大学生たちが茶々を入れて台無しにした挙げ句、先に手を出して破壊。
やり返した女子部の面々のみが叱責と処分を受ける羽目に。
新聞は大学側と幼稚な男子大学生らに迎合。
窮地に立たされる寅子たち。


そこでよねの過去について聞かせてもらう運びに。
なにをどう言っても軽々な内容になり、それはよねにも自分にも意味をなさず、攻撃的になると忌避した寅子は、生理の話題から裁判劇の判例の検証にもっていく。


裁判劇では、まんじゅうに毒を混ぜたとある。
実際にまんじゅうを作り、想定された毒を入れるのはどうかと検討。これは事実上不可能だと気づく。


涼子は検証にあたり、実際の判例を調査してきたことを告白。
学長が実際の判例を改ざんしていたことに気づいたという。


具体的になにがどう変わったのか。
裁判上の女性の立場を「医師→女給」に。
「婚姻予約不履行をされていた」「それを理由に女性は裁判へ。訴訟に勝利して慰謝料の支払いを求めていた→振られてめそめそ、腹いせに仕返しをした」。
「おまんじゅうの毒は防虫剤→チフス菌」。


無知で弱い女性が一方的に都合良く扱われるような内容に変えていたことが明らかになったのだ。
しかも、その事実を女子部の面々に一切伝えずに、演じさせようとしていたことがわかった。
ちなみに婚姻予約の不履行が裁判で認められることは驚きに値する結果であり、今回の件では当時、七千円もの支払いが男性側に命じられていた。


男の両親は結婚を受諾していた。
貞操を蹂躙した。女性の将来を誤らせた。
その責任が慰謝料の支払いに繋がったそうだ。


この婚姻予約の不履行、現代風にいうと婚約であり、その破棄に値するもの。
正当な理由なく一方的に破棄した場合、または、故意や過失によって婚姻のできない原因を生じさせた場合に不履行、不法行為などとして損害賠償の義務を負うことになるという。


なぜこんな改ざんを?
「無知な女性が可哀想な目にあう」
「そんな女性を女子部の面々が助ける」
そうすれば、ウケる。


学長の意図は「都合良く女子部を使ったもの」であり、彼にとって「善意」だとしても、使われる人たちにとって、改ざんされた当事者たちにとっては?
胸くそが悪いものだ。


それにしても「まんじゅうで? わざわざ?」。
寅子の疑念は尽きない。
実際に作ってみると「まんじゅう。手間がかかる!」。
裁判の男は、女性の作ったまんじゅうが好き。
決して穏便に別れたわけではなく、そのうえ裁判に訴えられて、さらには敗訴までして、当時でいう7000円もの大金を支払ったあとでも、彼女の置いたまんじゅうを喜んで食べるか?
さすがにお気楽が過ぎるのでは?
なにゆえ?
疑問を抱く寅子に同級生の大庭梅子が語る。
「男って馬鹿なのよ。別れた女はいつまでも自分が好きだと思っているの」
これには寅子の母はるも何度もうなずいていた。
(別れた男が故郷にいたのだろうか。それとも追いかけてやってきたのだろうか。いまでも俺のこと、好きなんだろ? とか言われたのだろうか)


まさかそんなばかなと思いながらも寅子が「そうなの?」とよねを見ると「カフェーにきている男はみんなそんなものだ」と返される。
実際、先の回で女給にべたべたと触り、サービスだと忍耐しながら笑顔を取り繕って「あーん」と食べさせたり呑まさせたりしているのを見て、客の男たちは「俺のことが好きだな」と思っているのだろう。


これは男からして「そうなんです。はた迷惑な抱え方をしがちです。ばかなんです」とうなだれるものだ。
学長が「このほうが受けがいい」として改めた内容によって、透明化したものと、その扱いの加害性も男がよくやるものである。
裁判の男が婚姻予約の不履行をしながらも、それまでは甘い夢や将来を約束してみせて、その愛だに女性の貞操を蹂躙し、自分に都合のいいように扱っていたこともそうだ。


「私たちはいつの時代も、こんな風に都合良く使われることがある」というナレーションが重たい。


冒頭のよねと寅子の接する交流。
よねの過去の話を受けて、なにをどう伝えようか。
ことばに困る寅子。
上から目線になっても、ケンカになってもいけない。
どうしよう!


生理の話題となり退散しようとするよねの店のマスター、彼を「お気になさらず」と二度、しっかりと留めた梅子。
話題にできる内容がやまのようにある。
当時の男たちは女性の生理をどこまで理解していたのか。学ばないかぎりできない配慮がやまのようにあるが、カフェーで女性たちを雇うマスターはどの程度しっているのか。透明化していいことか? 梅子が引き留めたのは「あなたは知っていないと」という狙いがあったからでは。「逃げるんじゃないよ」と。


姑であるはるに味を確かめる、寅子の兄に嫁いだ花江。彼女は寅子たち猪爪家と生まれの異なる関東育ちでは、という話がSNSのタイムラインで話題だ。
京都や関西、はるは四国の出で甘めたっぷりの味つけが好み。洋菓子を食べる場面も多い。しかし花江は彼らと馴染んだ味覚が異なる。この差というよりも、アイデンティティーを花江は認めてもらおうと、しばしばはるにアタックしているのではないか? という見立てがあり、これには唸った。
毎話のように「お母さま、味を」「ううん。もうちょっとお砂糖を」のくだりをしていて、そのたびに花江の表情が曇っている。


他にも涼子がよねを敬遠していたけれど、あなたのようになりたいと告白する場面をはじめ、今回もやまほどポイントがある。


そして、やまほどポイントがあるのだから、必然、その感想もやまのようにあふれている。
それぞれの人たちがどう、ではなく。
今日の話を見たボクは、ボクのあらゆるものが映し出される実感をもって視聴した。


世の出来事。
会話・交流する他者。
絵画に彫刻、映像作品や小説、漫画。

家庭内、学内、社内での出来事。
だれかの動き。
集団の行為。

それらは合わせ鏡のように自分を浮き彫りにする。
映し出されるのは自分の世界観、価値観かもしれない。
自分の思惑や意欲、欲求や執着かもしれない。


学長は女子部の演劇を前にして、自分の価値観や捉え方、思惑などを遺憾なく発揮した。
毒まんじゅう殺人事件における男もそうだ。彼女はまだ俺のことが好きにちがいない、だからまんじゅうを作ってくれたのだ! 食べなきゃもったいない! と食べて、ひどい目に遭った。(自分の行いをまるっと棚上げ透明化してなお、自分の欲しか見ていないので自業自得もいいところだが!)


なにせ毒まんじゅう殺人事件の男ときたら。
医学生は医師である女性にお金をたかり返却を約束、将来を約束しながら通いつめていいように利用。
両親も結婚を承諾していた。にもかかわらず!
医学生が医師になると、すべてを破談。お金も返さず。両親も手のひらを返したのである。


なるほど。貞操を蹂躙。金銭の収奪。婚姻予約の不履行。
並べてみても、こりゃあひどい。
どれかひとつでクズ野郎確定なのに、みっつも並ぶのだ。


いやあ。本当にひどい。
当人にその自覚がないのが生々しい。
しかも、おまんじゅうを見て「あいつ、俺のことがまだ好きなんだな」なんて!
どう勘違いできるんだ!?
それをするくらい男はばかだ、愚かだと言われてもやむなしだ。


やむなし。なの、だが。
女性を妊娠させて逃げる男は現代でも大勢いる。
セックスすれども避妊せず、という男も大勢いる。
相手から合意が得られている、などと吹聴する男もそうだ。
貞操の蹂躙ひとつでクズ野郎確定だが、さらに問題のある妊娠女性を放り出す、性行為の責任から逃れる男はいる。なのに行為の強要、結婚や妊娠の強要をする男さえいる。
そのクズさは切り離してしまえたらどれほどいいだろうが、自分にさえ思い当たるものがある。


現代と地続きの内容であるが、それについて語る男性はどれほどいるのだろうか。
学長のように、あるいは幼稚な男子大学生らのように、まんじゅう殺人事件の男のように振る舞う男性は、どれほどいるのだろうか。
自分の問題をきちんと自分ごととして捉える男性は、どれほどいるのだろうか。


ボクは自己嫌悪、自己否定、自分を殺すのに十分な理由を抱えているが、仮にまんじゅう殺人事件の男の立場であったとき、両親はもれなく医師である女性をバッシングしたろうし、周囲の仲間たちもそれを当然として振る舞っていたなら、そこから脱することができるだろうか。
到底、自信がない。


視聴するたびに問いが浮かぶ。
過去が問いかけてくる。


今日の日はさようなら。
また明日。

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