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BUCK‐TICK/アトム 未来派 No.9

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群馬県出身のロックバンドの前作から2年ぶり、通算20作目となるフルアルバム。ビクターに復帰してからの第一弾となる本作は、来年で活動30年を迎えるバンドの記念碑的アルバムとなった。

ちなみにこの記事を書いている今日2016年10月16日はX JAPAN主催によるVISUAL JAPAN SUMMITの3日目。今更敢えて言うまでもないが、BUCK-TICKはXと並んで現在に至るヴィジュアル系の基礎を作り上げたバンドの一つである。Xが積極的にテレビに露出してお茶の間にもその存在感を放っていったのに対し、BUCK-TICKは90年のアルバム「悪の華」以降表立ったテレビ番組等への出演はなく、当時のバンドブームを知ってる人に話を振ると「えっ、まだバクチクって活動してたの?」という反応が返ってきたりする。

彼らが主に影響を与えた先は、同世代や後の世代のミュージシャンやクリエイター達だったように思う。初期のヴィジュアルイメージ然り、いち早くニューウェーブやインダストリアル、エレクトロニカの要素を取り込んだ音楽性然り、とにかくBUCK-TICKからの影響を公言する人は多い。バンド自体も87年の活動開始からメンバーの入れ替わりも長期の活動休止もなく(今井寿がLSDの使用でパクられたことならあったが)、現在もほぼ毎年精力的にツアーをこなし、それこそ今回VISUAL JAPAN SUMMITを主催している、再結成してから事あるごとに新アルバムを今年こそ出すって言いながらもう20年もアルバムを出してないどっかのバンドなどとは違って、現在でもコンスタントにアルバムをリリースしている本当に稀有なバンドなのである。どっかの誰かも少しは見習えよ。

さて、個人的な印象になるが、ここ10年くらいのBUCK-TICKは何作か実験的なアルバムを出した後に、「決め」となる作品をリリースしているように思う。2014年の「或いはアナーキー」は、間違いなく彼らのキャリアの中でも屈指の「決め」のアルバムだった。そんな前作から2年ぶりの本作「アトム 未来派 No.9」は大胆な実験的要素は多分に持ち合わせつつも、20作目を記念するに相応しい「決め」としての側面も兼ね備えた非常に贅沢なアルバムとなっている。

オープナーのcum uh sol nu -フラスコの別種-(cum uh sol nuはhomunculsのアナグラムらしい)はデジタル黒魔術のような雰囲気で聞き手を幻惑し、続くPINOA ICCHIO -躍るアトム-は今井節が炸裂する鮮烈なデジタルロックナンバーで、一気に狂乱の坩堝へと送り込む。アルバムを通じて元来彼らが得意としているデジタルノイズやブレイクビーツを多用したアレンジが前面に出ており、巷での評判通り確かに原点回帰的な面はあるものの、ここ何作かで培ってきた(彼らにしては)比較的直球なバンドサウンド的アプローチもしっかりと息づいており、両者が組み合わさった結果、メンバーの大半が50歳を過ぎているにも関わらず、ここに来て熱量が一段階上がったような印象さえ受ける。それでいてまだまだ先がありそうなのがBUCK-TICKの本当に凄いところ。

本作の個人的なお気に入りの曲を一つあげるなら、今年亡くなった森岡賢に捧げられているかのような愛の葬列も素晴らしいが、星野英彦作曲で櫻井敦司の歌詞がいつにも増して冴えわたるバラード、曼珠沙華 manjusakaが特にお気に入り。この詞は本当に溜め息が出るほど美しい。

血を吐く桜 藤色の宵 毒はまわり 腐乱の臭い 

夕立近く 紫吐息 骨を溶かす 雨粒の音

活動歴30年を間近に控えてなお、彼らの音楽性は変化を止めず、しかしどこまでいってもBUCK-TICKとしてのアイデンティティは強固で揺るがない。本作はそんなデジタルでいかがわしく、怪しげで毒々しく、そして美しくもどこか儚い2016年式のBUCK-TICKがそこにある。そこのけそこのけ未来が通る。そうだ未来だ。


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