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helpXというお互い様精神

古民家をリノベーションするにあたり、長らく封印していたHelpXを再開したのですが、これがめっぽう面白いです。

何が面白いかと言うと、いくつかあって、
・ルドガー・ブレグマンがHumankindの中で記した ”家庭は共産主義の原理に基づいて営まれている。親は所有物を子供と共有し、可能な限り子供に貢献する。ここに経済という言葉が生まれる。古代ギリシア語のoikonomia 家庭の管理。わたしたちの暮らしは共産主義的行為に満ちている。数千年にわたって、地球上のほぼ全てのものはコモンズだった”をまさに体験できるということ。お金を介在させない交流は、人間的に平等であり、エーリッヒ・フロムが言うヒューマニズムを感じさせる。
利己的な個人主義を色濃く感じる日常において、これはもう癒しの行為。なぜなら世界の広さや深さ、人間の営みの面白さといったものから人生の味わいを得られるから。

・異文化交流
いくら資本主義が世界を席巻したと言っても文化の違いは残っていて、その差異は刺激的で面白い。それでいて資本主義がもたらした功罪の認識は共通しているところがあるので、文化の違いを残したままその話題について話し合える。
昨日までヘルパーとして滞在してくれていたオーストラリア人のお父さんからは、「人々は昔のように協力し合えるようになるか」というような問いかけがあった。難しいなあとその時は考え込んでしまった。インターネットが良いきっかけになると思うという意見もあるけれど、そうとも思えない。道具だから得手不得手があって分野によって濃淡あると思うけれど、近代化によって失ったものを取り戻す術になるとも考えにくい。SNSは個人主義を助長し、第二次産業革命の構造を庶民化したけれど結局は資本家が力をもつ構造のロングテール化になっただけのようにも見える。
翌日「私は信じてるよ」とそのお父さんは言ったけど、ぼくもそう思う。昔の方が良かったとは思わないし、そもそもわからないのだけど、希薄化された関係性より有機的な繋がりを本質的に求めている人の方が多いように感じる。helpXやカウチサーフィン、wwoof、workawayなんかが成立するのも同様。
そんな感じで同時代を生きる者同士、国や世代を越えて話し合い、改めて考える機会をもらえるのが面白い。

・英語を使う機会
duoringoも面白いのだけど、やはり生で相手に伝えるというのには敵わない。読み書き聞く機会は多いし学校での勉強もそれだったけれど、考え話す機会は日本で生活していると少ない。その穴を埋められる。しかもサービス提供者と受給者、生産者と消費者といった関係性を超えて。消費する側される側にわかれない関係性は、資本家と労働者という仕組みを超えた生産の在り方をも生み出せる、そう思うのは規模が小さいからだろうか。だけど、そこに現代のIT技術を用いれば小さく有機的な繋がりから最大化も可能で、閉塞感も打ち破れるように思う。
せっかくの機会を活かして英語をもっと話せるようになりたいと思いつつ時間ばかり過ぎていくのが勿体無い。duoringoも併用しつつ生italkiと言えるような機会を大切にして、相手もこちらも言語を研鑽し、語学力だけにおさまらない学びを深めていきたい。
helpXはそれを楽しみながら行える。

8月後半はタイでお世話になった家族が来宅。その後は中国人の若い女性がヘルプに来てくれます。
途中airbnbも挟みつつ。

気付けば、来訪してくれるヘルパーさんやローカルを旅する人達の中でも年長者になってしまい、若い人たちの持つ熱量や可能性に凄いなあと思うことが増えた。

太刀川英輔さんは創造力を進化に置き換えて、それを変異と反応の繰り返しであると単純化したけれど、他者からの評価ではない数値化されない自分自身の成長を、異なる価値観を持つ人との関係の中で味わっていきたい。

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