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80's Magazine Cue

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本来の居場所は90年3月の表参道、キャットストリートあたり。 1965年7月 神奈川県、海の近く生まれ。中森明菜とは18日、小牧ユカとは20日違い。「今は獅子座のあなたに夢中よ」… もっと読む
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2024年3月の記事一覧

1982年春 I Will...

最初のテキストで「自分たちの卒業した年は、中高ともに卒業ソングのハズレ年」と書いたが、聖子ちゃんのあの曲が、1年早かったらなぁと思う事がある。その曲は、82年1月にリリースされた「赤いスイートピー」のB面、数ある卒業ソングの中でも大人気の「制服」である。 ただ、「今だったら・・・」という結果論かもしれない。 当時、作詩の松本隆さんは、「制服」の方が自信作だったそうで、A面B面を入れ替えてロングヒットさせるプランがあったらしい。結局は、A面の「赤いスイートピー」が予想以上に人

1986年 冬眠せず、春眠せず。

「My Revolution」 86年1月リリース。TBSドラマ「セーラー服通り」主題歌。みさっちゃん(渡辺美里)の4枚目のシングル。 85年の年末から86年の春、ほとんどの週末、寝ないで遊んでいた。 特に何をするとか、どこに行くという予定もなく、夕方あたりから友達5、6人くらいが集まって、クルマで徘徊ドライブ。 途中、クルマを停めてくだらない話をしたり、ボウリングやビリヤードをしたり、開いているコンビニで休憩したり、クルマの中で仮眠したり・・・ そんなこんなで夜明け頃、眠

わかい・・・

先ほど、音楽ニュースを見ていたら、「中森明菜、36年前の未発表曲がデビュー42周年記念日発売の最強ベスト・アルバムに緊急収録決定」とのニュースが。 今回のベスト盤に収録される未発表曲とは、「HELLO MARY LOU」。 1961年のRICKY NELSONのカバーで、明菜バージョンは、1988年に、日本たばこのマイルドセブンFKのCMで流れていました。 CM上では、歌唱クレジットはなかったですね。流れていたのも、短い期間だったと記憶しています。そして、このタバコのCM

1980年8月30日

中学最後の夏休み、最後の登校日、“ヤツ”(※これからも度々出てくるであろう、N君)が転校してきた。 筆者の隣の空席に座った。画鋲を椅子に置くトラディショナルな悪戯をしたのだが、気がつかなかったようだ。 二学期、音楽好きという共通点もあって、すぐ友達になった。 流行っていたYMO、ふたりでリコーダーで「Fire Cracker」を吹いた。 YMOを真似たテクノカットだった筆者はリフを、元野球部、坊主頭のNはメロディーを吹いた。今考えるとかなり滑稽だ。まぁ、確かにあの頃も滑稽だっ

少し長い春休み・・・

「卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう」と歌った、斉藤さん(斉藤由貴)が、まだデビューしていなかった1981年3月12日は、筆者の中学の卒業の日。 卒業式本式では泣かなかったけど、クラスに戻って最後の学活は泣いた、みんな号泣。公立だったので、小学校からの仲間と、高校進学や就職でバラバラになるのが、さびしかったのはもちろん、二学期、特に文化祭あたりから、クラスの結束が固かったし、担任がひとりひとり声かけて、金八さながら。 最後の学活が終わって、外へ出て、胴上げやっちゃってたし

1980年1月

山口百恵さんの曲「しなやかに歌って~80年代に向って」(79年の秋リリース)のサブタイトルに“80年代に向って”とあるように、新しい、明るい時代を期待させた1980年の始まり、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、カーター米大統領が、夏に開催のモスクワ五輪のボイコットを提唱、ウイングスのコンサートで来日したポール・マッカートニーが、成田空港で捕まった!波乱の幕開け・・・ 筆者は、「ザ・ベストテン」で、歌謡曲だけでなく、全盛期であったニューミュージックにも夢中。洋楽の方は、木曜日に洋楽

初テキスト

40年前(1984年)の3月1日は高校の卒業式だった。そんな日にいろいろ書き始めようと思うのだが・・・ なぜ筆者が80年代にこだわっているのか? 中学二年の三学期、中学三年生から浪人、高校、大学を経て、社会人一年生までの多感で濃厚な時期が80年代だったのが運のツキだった。いい音楽を聴き、いい文化を味わい、何の心配もない、何も考えない楽しい時間を過ごし(若かったしな・・・)、今の自分を作り上げたと言ってもよい期間であるからだろう。もちろん、嫌な事も思い出もあるが、たくさんの友達