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別冊 MUSIC LIFE 80's

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about 80's Music... ファントマ、ミュートマ、SONY MUSIC TV、ベストヒットUSAで形成された“昭和40年男”のお気に入りから厳選した記事などをひとま…
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#80smusic

プロジェクトT

2023年5月24日、惜しまれながらこの世を去ったティナ・ターナー。彼女の輝かしい実績の裏には、伝記で明らかになっている壮絶な私生活があった。仕事のパートナーでもある夫の暴力、私生活での多くの逆境を乗り越え大きな成功を収めた。これはカムバック賞どころではない、偉大な復活劇である。(田口トモロヲの声で) シンガーとしてのティナのキャリアは、アイク・ターナーのバンド、キング・オヴ・リズムのシンガーとしての活動から始まる。その後、デュオの名義で売り出した「プラウド・メアリー」など

甘いと苦い

REO SPEEDWAGONが今年限りでツアー活動を中止するというニュースを見つけた。メンバー間のボタンの掛け違いのようだ。 イリノイ州シャンペーンで結成され、ライブを中心に地道に活動を重ねて苦節10年、「Keep On Loving You」でチャートNo.1に躍り出た。アルバム「Hi Infidelity」は、1981年のビルボード年間チャート1位を記録している。 そのREO SPEEDWAGONのサウンドが結実した、1984年リリースの大ヒット曲「Can't Fig

when I was 15

a-haの大ヒット曲「Take On Me」が、Spotifyで20億ストリーミングを突破、この「Take On Me」の誕生についてメンバーが振り返っている。 イントロのキャッチーなリフで有名な「Take On Me」、誕生は1981年にさかのぼる。メンバーの2人、幼なじみであったポール・ワークター・サヴォイ(G, Vo)とマグネ・フルホルメン(Key, G, Vo)が、a-ha以前に組んでいたバンドであるブリッジズ "Bridges"の「Miss Eerie」という曲が

パラリンピックによせて

映画とともに、イントロからアガる曲、「ST. ELMO'S FIRE(MAN IN MOTION)」。歌っているのは、「記憶喪失の男」としてデビューしたイギリス人ロック・シンガー、ジョン・パー(JOHN PARR)。 「記憶喪失」だなんて、もちろん誰も信じていないが、このジョン・パー、最初はソングライターとしてロジャー・ダルトリーやミート・ローフら大御所に曲を提供していた。84年に歌手デビューとなった「NAUGHTY NAUGHTY」で幸先よくビルボード23位を記録。 翌年リ

9月5日 The Great Pretender

9月5日は親愛なるフレディ・マーキュリーの誕生日、存命なら78歳。 そのフレディ、生前のバースデーパーティーはすごかったらしい。 ある年、全米ツアー中のニューヨークに友人たちを招待、なんとコンコルドで送迎し、超一流ホテルのスイート全室を借り切って五日間続いたという。前夜祭、後夜祭どころの騒ぎじゃない約一週間のパーティーの費用は、総額約8000万円、シャンパンだけでも750万円! 別の年の誕生日には、スペインの空に花火で自分の名前を書かせてしまったり、高さ6m以上といわれるバー

味なことやる・・・

前回は「とんでもない飛行機野郎 ゲイリー・ニューマン、大冒険の巻~インド・スパイ容疑編」(そんなタイトルじゃない)をお届けしましたが・・・ そのゲイリー・ニューマン(Gary Numan)は、自伝「(R)evolution: The Autobiography」の中で、あのフレディ・マーキュリーにビッグマックを奢ってもらった思い出と、クイーンのメンバー全員が分別のある素敵な人たちだったこと、そして「ちょっとした騒ぎになった」と振り返っている。 1981年2月、ゲイリーは東

とんでもない翔んでる男?

ゲイリー・ニューマン 70年代中盤にバンド、チューブウェイ・アーミーを結成し、UKチャートでNo.1を獲得。79年バンドを解散、ソロになってからもNo.1を獲得、15曲以上のトップ40ヒットを記録している80年代初期ニューウエィヴ/エレポップ・ムーヴメントの立役者。ファッションアイコンとしても有名で、日本ではPARCOのCMに出演して話題に。 本業で最新鋭の楽器を導入するゲイリー、プライベートでは無類の飛行機好き。 「Cars」など、ヒットを連発して入ったお金で、即、飛行機

改名と名声

非常に濃い80年代を過ごし、著しい変化、成長を遂げたロッカーといえば、ジョン・クーガー・メレンキャンプ。名前が変わった以上に境遇も考え方も変わった。 1951年10月7日、インディアナ州セイモア生まれ、10代半ばでバンドを組み音楽活動を始めたという、まるで自身が作る歌のような青春時代。 17歳で結婚し、家族を養うために一度は音楽をあきらめたものの夢を捨てきれず、24歳の時、デモテープを持ってニューヨークへ向かった。 グラムロックのバンドで活動していた時期に、デヴィッド・ボウイ

ガールズ・バンドの宿命か

一昨日BS朝日の「ベストヒットUSA」タイムマシーンのコーナーでバングルス "The Bangles"が取り上げられていた。 バングルスは、スザンナ・ホフス、ヴィッキーとデビーのピーターソン姉妹、アネット・ジリンスカスの4人によりロスで結成された、言うまでもない80'sのガールズ・バンドの代表格である。 81年「バングス “Bangs”」名義でシングル「Getting Out Of Hand」をリリースするがヒットせず、同名のバンドが存在したため、バングルスと改名。81年、I

音楽と商品の相乗効果

私の80's Musicアーカイブには、60年代、70年代の曲が何曲か入っている。80年代に映画、テレビドラマ、再放送などでリバイバル、再リリースされた曲や、有名なシンガーが亡くなったのをキッカケにリバイバル、再リリースされた曲、CMに使われてリバイバル、再リリースされてヒットした曲などである。 中でもイギリス、UKチャートは、リバイバル、再リリースからのトップ100入りが多い、ヒットの宝庫。特に目立つのは、リーバイスのCMソングに使われ、再リリースされた曲。 ♪I HEA

コワモテ

85年デビュー「Johnny Come Home」など母国イギリスでスマッシュヒットを飛ばし、全米では89年に突如ブレイクしたバンド“ファイン・ヤング・カニバルズ(Fine Young Cannibals)”。全米No.1獲得の「She Drives Me Crazy」は、ジョディー・フォスター出演のホンダ・シビック・フェリオのCMに使われ日本でも有名。 83年に解散したスカの名バンド、ザ・ビートのメンバーだったアンディ・コックス(G)とデイヴィッド・スティール(B)が無名

タイムマシーンの如く

80年代アメリカの夏休み映画といえば、1985年7月3日公開の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(日本ではお正月映画だが・・・)。 その主題歌は、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「パワー・オブ・ラヴ "The Power Of Love"」で定着しているが、最初にこの映画の主題歌の依頼を受けたとき、映画音楽の仕事に関わった事がなかったことと「バック・トゥ・ザ・フューチャー」というコンセプトにヒューイ・ルイスは乗り気ではなかったという。 「ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース=主人公

七夕によせて

七夕です。ちょっと照れてしまいそうな青い詩ですが… BOY MEETS GIRLはシアトル出身、GEORGE MERRILLとSHANNON RUBICAMのデュオ。 夫婦デュオとして活躍していたが、2000年に離婚。 私生活は曲のように甘くはなかったが、音楽活動のパートナーとして離婚後もBOY MEETS GIRLとして活動。 シンガーだけでなくソングライターとしても評価が高く、WHITNEY HOUSTONの代表曲「I WANNA DANCE WITH SOMEBOD

サイエーンス!

長い間、カセットデッキについていたドルビー・ノイズリダクション・システムやドルビーサラウンドのドルビーとこの人を同一人物だと思っていた友達がいた。 トーマス・ドルビー(THOMAS DOLBY) ロンドン出身とプロフィールに書いてあるが、エジプトのカイロで生まれたイギリス人、父はロンドン大とオックスフォード大の教授。 ホンダ・シティのCMソングに起用されていた「彼女はサイエンス(SHE BLINDED ME WITH SCIENCE)」や「HYPERACTIVE!」は聞いた