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親孝行

ひとり〇〇政府をかれこれ、2ヶ月くらい続けている。

緊急事態宣言発令後、在宅確認を電話で行っている。在宅確認をする相手は、両親。連絡先は、母の携帯電話。

気づいてなかったが、父親は在宅確認をされてないことを拗ねていた様子だったそう。イーストがどこでも売り切れと言われていたので、使っていたイーストを少し分けるために、宅配便を実家に送った。そのときに手元にあった、小さなお菓子も同梱した。そのお菓子の個数は2つ。両親へ一つづつ、食べてもらいたかったからか、暇だったのか、その時の思いつきで、お菓子の外袋に両親の名前を書いた。(母親が、お菓子を独り占めするとも思わないが、まぁ、名前が書いてあるって、結構嬉しいのでは?と閃いたのだ)

後日、在宅確認の電話をしたところ、母親が「俺のことも忘れてなかった」と、父親が安心していたわ、と話していた。そこで、気づいた。

あぁ、父親は在宅確認をされないことを気にしていたのだと。でもその一方で、お菓子の袋に、自分の名前が書いてあるだけで、ホッとするのだと。

話は全く逸れるが、昔、重松先生のご本の中で、「こどもは、たくさん名前で呼んであげなくちゃいけないんだよ」というような事があった。名字ではなく、名前で呼びかけることが大切なんだと、ご本の中の誰かが言っていた。

書いてある自分の名前を読む、それは、自分が呼びかけられていると、錯覚する。だから、自分宛のメールは読むけど、所属で一括りにされているメールは読まないよね。

名前を書くのも、親孝行の1つなんだと、勝手な解釈。

ちなみに、両親のことはダイレクトに名前呼びである。甥が、おじいちゃんやおばあちゃんのことを、呼び捨てにしていると、びっくりしているが、まぁ、なぜかそうなってしまった。何も文句は言われないし、お菓子の袋に名前を書くだけで、喜ばれる。「名前」って、自分のものだけだし大切にしたい。

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