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text 002/アンドレ・マルロー「空想博物館」について

アンドレ・マルローという人物を簡潔に紹介するというのはとても難しい。『人間の条件』を著した作家であり、思想家であり、そしてド・ゴール政権下のフランスでは1960−1969年の間に文化大臣として手腕をふるい、日本をはじめ世界各地を訪ね、「文化大国フランス」のイメージを各国に敷衍した外交官でもあった。

マルローの幅広い活動について紹介することは本懐ではないので、彼の美術史に関わる活動、特にその芸術論の根幹である「空想博物館」について触れていきたい。「空想博物館」についてのエッセイは(Le musée imaginaire「空想の美術館」とも訳されるが、日本での「美術館」が主に近世・近代を扱う実情に対して、マルローの扱う対象は博物館にあるものに近いのでは、と考えているためこの語を当てた)は、戦後間もない1947年に初めて発表され、その後1951年と1965年に出された改訂版によって、その思想が組み立てられていった。

その思考と目的を要約するならば、作家や様式の影響と受容の変遷をたどる美術史(美術の歴史)という伝統的な枠組みを乗り越えるために、地理的あるいは時間の制約を(あえて)無視し、諸文化同士の連関を見出そうとするものである。もちろん、美術史が主にフォルムの変遷を扱う学問であるのに対して、マルローが注目するのは精神性や神秘(神々しいもの)である。

ここでマルローが対立モデルとしているのは明らかにルーヴル美術館であった。旧体制下の王宮、両翼の回廊に沿って並べられた美の変遷は、ヨーロッパ的な美意識の根幹であるイタリア・ルネサンスを受け継ぐものは現在のフランスであることを物語る。歴史というものは科学のように客観的でニュートラルな学問ではない。20世紀初頭の帝国主義の拡大から第二次世界大戦下にかけて、歴史は政治に利用されてきた。近代が負った歴史の幻想を「想像博物館」は崩そうと考えたのだろう。

マルローが敬愛したピカソという芸術家は、実に逸話にまみれた人物であった。ボヘミアン芸術家、女性問題、そしてナチスへの抵抗。しかし、彼がブラックとともに生み出したキュビスムや様々な芸術的展開は、同時代そして後代に強い影響を及ぼしている。その力の大きさは、「くそっ!あれもこれもピカソがやっちまってる!」という若き日のポロックの叫びを例に挙げれば充分だろう。破壊と構築を繰り替えす類稀なる芸術家として、他の芸術家、そして美術史家たちを魅了してきた。

美術史の基本概念がそうであるように、美術史は形の変遷をたどる。何に影響を受け、どういう様式を確立し、誰に影響を与えたのか。ピカソはキュビスムという20世紀に置ける革新的な絵画を生み出したため(その革新性についてはまた後日)、このキュビスムの創造と影響について研究史は焦点を当ててきた。だがそのために、彼が本来持っていた象徴主義的な精神性や、神秘性にはこれまで触れられてこなかった。マルローがピカソ論となる『黒曜石の頭』を彼の没後に発表したのは、存命中に画家の名誉を守るという目的の他に、美術史が彼を扱う閉塞を、できる限り見ていたいという意地の悪い欲望だったのでは無いだろうか。

いつか画家が真実を話し始めるかもしれない、誰かの口述によって語られるかもしれないことを待っていたのではないか。しかし、そんな日が訪れることなく、1973年にピカソはこの世を去ってしまった。


【著者プロフィール】
サルトル佐助
美術史家。専門はキュビスムを始めとする20世紀西洋美術。
実のところ実存主義についてはよく知らない。



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